なぜ「ながおか史遊会」は、研究活動ではなく教育活動に主軸を置いているのか

ぶっちゃけ、ながおか史遊会の概要を説明するとき多くの人に言われるのは、「『ながおか史遊会』さんは研究活動がメインではないんですか?」という問い合わせである。

確かに、各地域には、「〇〇郷土史研究会」的なグループがあちこちにあり、大抵そういうところは、大先生たちが日々ご自身の研究成果を発表しあったり、意見を交換したりしている。だから、そういう現場を見ている人たちにとっては、ながおか史遊会は研究はしないのか?ということになる。

やん×2個人でいえば、私自身も郷土史や地元の文化について日々疑問におもっていることはあり、それについては自分なりに調べたり文章をまとめたりさせていただいてる。まあ、それが「研究」といえるかどうかは別として、自分なりに少しずつではあるが、勉強はしているつもりだ。

そして、やん×2自体、現在教育産業の末席に身を置いているものである。

従来、郷土史畑では、「教育」は「研究」の従であると考えられてきた。つまり、研究こそが主体であって、教育活動はある程度業績をだした偉い先生が後身を育成するために行うものだというのが暗黙の了解。

だから、学校の勉強では、「歴史」はやるけれども、「郷土史」は総合学習の時間にやるか、社会科で少し触れる程度の内容。ガチで郷土史の勉強しようと思ったら、部活動のなかでやるか、大人になってから趣味の範囲でやるかしかない。

そうやって、過去の出来事を国家レベルの話にすり替えて、自分たちとは縁通り、どこかの無関係な人たち同士がおこしてきた小競り合いの話、みたいな、あとはコンテンツを暗記して「はい、終わり!」みたいな、無味乾燥な学科としてとらえられてきた。もちろん、郷土史の学びを深めるために、高校の日本史程度の知識は最低限必要だとおもってきたし、これからもそれは変わらないと思う。ただ、それだけでは不十分だ。

「歴史」というものが、どこかの知らない地域の、知らない人たちによって起されたことを暗記するためのもの、として子どもに捉えられているのだとしたら、それは事実とは異なるし、まったくもってもったない話である。

むしろ、歴史とは、自分たちの存在の根本にかかわる問題であり、「自分とは何か」「自分はどこからやってきて、どこへ向かうのか」という哲学的な疑問に対してのヒントを与えてくれる学科である。自分たちはなぜ今の地域に住んでいるのか、そしてその地域がどのように発展してきたのか、最終的には学校教育における歴史の授業は、これらの問いに何らかのヒントを与えるような授業カリキュラムでなければならない。

とはいえ、やん×2も教師をしたことがあるし、中学・高校の3年間計6年で、これらの内容を網羅することは不可能。現状、入試にむけた暗記の単元にならざるを得ない。

一方で、郷土史を長い間研究してきた偉い先生方は、〇〇研究会で超マニアックな話をしていて、〝にわか″がとても入れそうな雰囲気出ないし、入ったところであまりの知識量のなさに笑われて、いづらくなるだけだろう。

「だから、歴史はわかんなくなるし、おもしろくねーし。その延長線上の郷土史なんて、ますますわからん。つまんねー やーめた。」となる。

「偉い先生方も、自分たちの目線で、自分たちが研究できればいいだけだから、わからない人に伝えなくてもいいし、若手を無理して育てる必要もない。わからんものはわからんものでいい。知りたいんだったら、必死に勉強してくらいついてきなさい!」ということになってしまう。

その結果、今多くの歴史系市民団体が抱えている問題といえば、メンバーの高齢化、過疎化。活動の有名無実化だ。

その道の権威、研究者でなければ自由に歴史の話で盛り上がってはいけない。そういう風潮が、いま業界の活動に閉塞感を与え、自分たち自身が前時代の"遺物”となりつつあるのだ。

やん×2は、もともと地元の歴史にそんなに詳しくないのだ。歴史系の勉強をし来たといっても、10代から京都・奈良かぶれで、京都や奈良の歴史ばっかり勉強してきた。地元の歴史にはほとんど目を向けてこなかったし、世界中日本中あちこちいくまで、勉強しようとすら思わなかった。

そんな、何もない一人の男が、地元の文化系団体の少なさを嘆き、また自身も地元の歴史を学びたくて立ち上げたのが、「ながおか史遊会」だ。29の夏のことだ。

それが、今ではやん×2の趣旨や想いに賛同して、協力してくれる仲間たちが少しずつ現れてきてくれた。"長岡を京都や奈良に負けないくらいの文化都市に”という思いは、さすがに実情とかけ離れすぎていて、大きくこけてしまったけれど、新潟市にはにいがた史遊会、そして魚沼にはゆきぐに史遊会が立ち上がった。みんな、小さな違いはあれど、地元の学びを何とかしたいという仲間たちだ。ありがたいことである。

ながおか史遊会は、一人の男の想いによって創設され、今も運営されている。その根本は、長岡市を京都市や奈良市のような、文化財を大切にする文化都市とし、普通のサラリーマンや主婦が、休日の空き時間を利用して自分のテーマに沿って学びを深め、将来的には書籍などを刊行して自身が調べてきたことを世間に還元する。そんな街を作りたいということだった。その発想の根本となったのが、江戸時代に町人学者として一世を風靡した富永仲基とやん×2が学生時代学んでいた「山の辺文化会議」である。

最初の目標は、設立一年目にして早くも頓挫。今の市場には求められていないということがわかった。誰も、郷土史を学ぶことに、意義も意味も見出していなかったのだ。

だから、2年目以降は、町人学者を生み出すのではなくて、まずは気軽に歴史的なコンテンツに親しんでもらう、興味を持ってもらうコンセプトに切り替えた。そして、当然だけど、一人の人間がすべての地域、時代を網羅することは不可能だから、たくさんの人に、自分の興味の持ったことをどんどん調べてもらうように促そう。調べごとをしたいけど、どうしたらいいかわからないという人には、史料のアプローチの仕方だとか、専門家とつなげるだとか、そういったハブの役割をしようと、心に決めた。2か月に一回開催していた講座は、歴史トークという形に変更して、プレゼンをする人も、オーディエンスも、対等な立場で楽しく意見交換したり、質問をしあったりするような形にしようと決めた。そして、2021年現在、ながおか史遊会は、ますます形をどんどん砕いていって、「誰もが」、「気軽に」、「楽しめる」会になるように自己変容を遂げている。そして提供する学びのコンテンツも、郷土史だけではなく、美術やハンドメイドのワークショップなど、体験型のものも多く取り入れるようになってきている。

いま、やん×2が見たり聞いたりしている中でしっている団体や組織の中で、ながおか史遊会が掲げた一番最初の理想、つまり、地域の文化発展に貢献し、町人学者を育てるといった理想に一番近いところは、NPO法人頚城野郷土資料室(KFA)さんであり、現状のながおか史遊会が目指している形のものが、レキシズルさんのような取り組みである。

まず文化は高度でハイレベルな文化人の集まるところから世俗的で、大衆的で一般的なところへまんべんなく流れていかなければならない。そして、一旦低きに流れたものは、昇華させて高度なものへと変化していかなければならない。いまはまだきっと、その過程だ。

この作業が、やん×2の生きている間に完結するとはゆめゆめおもっていない。やん×2は敵も多いし、人望もないしな。 やん×2がせいぜい整えられるのは、声をあげる勇気。「何かしたい」とおもっている人たちが、気兼ねなく自信をもって、自分のやりたい活動をできるように後押しすることだけだ。ながおか史遊会は、そんな人たちが大きく飛躍していくための踏み台の役目をしてくれればよいと思っている。

今から6年前。台湾から打ちひしがれて日本に帰ってきて、自信もやる気も失っていた、コネもカネも力もなかった一人の男が、「とりあえず、やってみればいいじゃん!」という一言で再び前を向いて戦えるようになったように。

「何もない」「何物でもない」人たちが、やん×2のしてきた活動を通して、一念発起してくれれば、それでよい。

そのためにはやん×2は、仏にも鬼にもなる。

「バカだアホだ無駄だ」といわれながらも、3年も性懲りもなく続けていれば、やん×2も「ながおか史遊会やられている人ですよね?」くらいの認知度はでるよ。

一見すると軸のないようにみえる弊会の活動。それは、軸がないのではなくて、状況に応じて活動内容を変化させているだけ。ながおか史遊会が一見、ふらふらしているようにしか見えない人たちは、やん×2の想いを知らない人たちなのだ。

「研究」は、一人で進めるもの。共同で研究したとしても、あくまで結果に向き合うのはその人個人の問題。だから、後押しさえしてしまえば、一人でも「研究」はできる。

でも、「何をしたらいいかわからない」「何があるのかわからない」地域におけるコンテンツそのものを知らない。

そんな人たちに、「ほら。こんなおもしろいものがあるんだよ?」「こんなおもしろいアプローチができるんだよ?」「こんなおもしろいこと考えている人たちがいるんだよ?」と提案できるのは、そう。ながおか史遊会でなければできないこと。

魚そのものではなくて、魚の釣り方を一緒になって考える。魚のたくさんいそうな場所を、一緒になって探してみる。失敗しても、次はどうすればうまくいくのか、一緒に悩みながら考える。よりそう。

それができるのは、おそらく、県内数多い歴史系・郷土史系活動団体の中でも、「ながおか史遊会」だけだと思う。

だから、ながおか史遊会は、研究がメインなんじゃない。教育がメインなんだ。いままでも、そして、これからも。

関わってくれる仲間と一緒に、塾頭自らも成長していく。

そんな会にしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?