連載企画を晒してみる


さて、先日発売した「レポ」最終号(上記写真)の「新連載特集」にて東京湾海堡の話を書いたわけだが、ひとつの試みとして宙に浮いた状態の第二回目以降の企画内容を言いふらしてみることにした。

今回書いたネタは四年くらい前に3、4箇所に持ち込んでいるのだが、持ち込みって実現可能性が低すぎてこれ以上やる気が起こらない。

facebookが日本語化されるほんの少し前にfacebookの入門書を出す企画を持ち込んだ時もあったのが、「日本人がやる訳ないだろ!」と一蹴されたこともあったなぁ。

20も30も企画を考えて持っていけばいいんだろうけど、それをやったら「作家」じゃないくて「ライター」になってしまうので、それはやらない。

たぶん編集者(あるいは出版人)と言われる人たちとは、価値観の根幹部分が違うのだろう。

以下の企画、初回分だけ既に「レポ」誌上で公開済み。
二回目以降を(バラでもいいから)書かせてくれるところがあるとありがたい。

◎連載タイトル=「東京湾伝説」

 ジャンボジェット機の機影を眺めながらの羽田のアサリ漁、潜水ヘルメット着用で行う富津の「もぐりさん」、白浜(千葉)の海女さんなど、漁業一つとっても首都の眼前にひろがる東京湾は、文字通り「灯台もと暗し」で謎に満ちている。東京が世界的に希少な深海生物の生息地だということ、埋蔵金を積んだ難破船が沈んでいること、戦争遺跡の宝庫であることも見落とされがちである。 
 本書では漁業や魚市場のようなスローライフ的な話題や東京湾の謎をはじめ、海を職場とする人々、海と縁の深い祭り、はては海の文化復権に掛ける人々の活動まで、多角的に東京湾を紹介することを意図している。文字数は8000字程度を想定している。

第1回 東京湾の要塞島
 明治、大正に千葉県富津岬沖から横須賀市側にかけて首都防衛のために三ヵ所の人工要塞島が造成された。第一、第二海堡は現存するが、第三海堡は関東大震災により崩壊。2007年8月に撤去が完了した(横須賀市浦郷町で一部施設を展示)第三海堡のサルベージ工事の話は「ヒビレポ」上で書いたことがある(「バイトサバイバー」第1回)。
 この工事の話とは別にカヤックを漕いで第一海堡へ行った話、数年に一度しか行われないツアーで第二海堡へ行った話、戦時中第一海堡で暮らした人の話を書きたい。

第2回 東京湾の漁業事情
 ジャンボジェット機の機影を眺めながらの羽田のアサリ漁、潜水ヘルメット着用で行う富津の「もぐりさん」、白浜(千葉)の海女さんなど、ひとくちに東京湾の漁業と言っても千差万別である。海苔養殖やアサリ漁業、スズキ、カレイ、コノシロなどを捕る曳網漁や巻網漁、刺網漁など湾内各地の漁を紹介。また東京湾にしか生息しないという「青いアサリ」にも触れたい。
(取材エリア=安浦;小柴;子安・生麦・本牧;羽田・大森;金杉・築地・江戸川;浦安・行徳;船橋;木更津・盤洲干潟;富津・大貫・萩生・金谷)

第3回 東京湾の捕鯨文化
 捕鯨というと シーシェパードの強引な反対運動で有名になった和歌山県の太地町が有名だが、じつは東京湾にも捕鯨の伝統がある。
 千葉県の南端に位置する和田町には、全国に四ケ所しかない小型沿岸捕鯨基地が存在する。房総半島では17世紀から現在に至るまで、捕鯨が行われてきた。まず西岸にある勝山浦(現鋸南町)で発生し、その後現在の館山市、南房総市千倉町・白浜町とその拠点を移してきた。現在は政府の定める捕獲枠や出漁期間に従い、太平洋側の網走沖、三陸沖、房総沖、太地沖、および日本海側の渡島半島沖で小型沿岸捕鯨を行っている。
 また築地の「東京食料」は日本最大の鯨肉仲買商のひとつである。東京湾と捕鯨の関係を探る。
 
第4回 東京湾の深海生物を追え
 じつは生き物が豊富な東京湾。明治までは東京湾岸にもアシカがいた。 横須賀沖に「アシカ島」という江戸期までアシカが繁殖していた島がある。残念ながらアシカは絶滅してしまったが、和田長浜海岸(三浦市と横須賀市にまたがる海岸)のアザラシのオガちゃんや多摩川に出没したタマちゃんは記憶に新しい。また横浜・南本牧にはつがいのイルカが生息するなど、意外と大型ほ乳類がいるのが東京湾の知られざる一面である。
「東京海底谷」とよばれる湾の中央部分の深海には「メガマウス」「ラブカ」「ミツクリザメ」という三種の深海鮫のほか、3メートルを越す高足ガニなど世界的に希少な深海生物が住んでいる。
 
第5回 東京湾埋蔵金伝説
東京湾には以下、ふたつの沈没船にまつわる財宝伝説がある。
・1869年に沈没した蒸気船早丸の仙台藩の53万両、越後藩の黄金の灯籠、幕府御用金400万両伝説
・1872年に沈没したアメリカ海軍の軍艦「オネイダ号」の40万ドル相当の大判小判伝説
 
第6回 東京湾地中海説
 東京湾岸の失われたネットワークをさがす旅。
 地中海や瀬戸内海沿岸のように、かつて東京湾沿岸はひとつの大きな文化圏だった。「打瀬船」(木造和舟)をつかった漁業など共通する文化は多く、房総半島と対岸の横浜で同じ風習や祭が見られる(木更津と本牧の吾妻神社)こともある。
 千葉の里見氏と東京湾を挟んだ対岸にあたる相模の北条市の戦い、ヤマトタケルの東京湾横断の伝承など、東京湾をまたいだ話も少なくない。
 漁業が盛んだった昭和30年代まで、東京湾内には対岸へ自由に移住する人が少なくなかった。   
 たとえば千葉の木更津や富津から横浜へ、さらには浦安・羽田・向島から木更津へ。移住した人々は定住先で出身地の屋号をつけた店を出したので、屋号を見ればそれとわかる。
 現在70歳くらい内房の漁師は昔横浜のベイブリッジ近辺まで海苔養殖の関係で船で行き海苔網を育てていたという。

第7回 手漕ぎのカヌー(シーカヤック)で東京湾を横断するひとたち
東京湾岸のシーカヤックのショップのうち、2~3店舗が「東京湾横断カヤックツアー」を主宰している。手漕ぎの小さな船(一人乗り)で東京湾を横断できてしまうと言うのは、驚きである。

第8回 徳川水軍(幕府水軍)の面影を探して
 日本橋、江戸橋と目と花の先の兜町の、いまは高速道路となった紅葉川(楓川ともいう)に「海賊橋」(将監橋ともいう)が架けられ、その傍に「向井将監」、その隣りに「向井右衛門」の屋敷が並んでいた。 
 この向井というのは、もともと東海地方の大名であった徳川家康に早くから仕えて水軍として活躍した人物。江戸に入場した家康について来たのだった。水軍というと瀬戸内海のイメージがあるが、江戸にも存在していた。この水軍の歴史を町歩きしながら紐解く。

第9回 海で働く仕事図鑑
潜水士、海上土木員、パイロット(大型船の誘導員)、海上保安庁、水上警察、市役所の土木課職員など海で働く人たちの現場を取材する

第10回 東京湾灯台コレクション
海のど真ん中に浮かぶ「東京湾灯台」など、東京湾には意外とおもしろい灯台が多い。

以下、「東京湾の鴨撃ち」などまだまだ続く予定。

興味がある方はご一報を。
連絡は yanvalou.deetee@gmail.com までよろしくお願い致します。

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