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阪神タイガース、時々ボク

※こちらは『#37minアドカレ』の投稿となります。
主催者みなみん(@37min_)のこちらのツリーから23日以前の投稿もお楽しみください

はじめに

2023年11月5日は私にとって初めての日になった。阪神タイガースが38年ぶり2回目の日本一に輝いた日である。今年31歳の私にとって阪神の日本一とは歴史上の出来事であり、ランディ・バースは伝説の人物である。歴史上の出来事であった「阪神の日本一」が実在することを知ったこの機会に、私の阪神タイガースファンへの思いと人生についてちょっと書いてみたいと思う。「人生とか草生えるw」という人もいる(なんなら大多数がそう)だろうが、阪神ファンにとってタイガースは人生そのものなのだ。ちなみに、今年の阪神タイガースについてはこちらを参照してほしい。


2002年

自分のことを明確に「あっ、阪神ファンだな」と認識したのは2002年、星野仙一氏が監督に就任した時だ。何がきっかけかはもう忘れてしまったが、星野さんに惹かれてファンになったことだけは鮮明に覚えている。それまでは父親が野球にチャンネルを変えればドラえもんが見たい!クレヨンしんちゃんが見たい!といい喧嘩になっていたのだが、2002年以降はむしろ自分が積極的に野球を観るようになった。そしてこの年に初めて甲子園球場に足を踏み入れた。その時の景色を今でも覚えている。 ※1改修前でお世辞にもキレイと言える設備ではなかったが、土と芝生のグラウンドのキレイさはそのコントラストで逆に鮮明に映った。

これは最近のやつ
初回に間に合わずヒット一本も見てない試合

2003年

2003年、後の監督である金本知憲をFAで迎え、伊良部やジェフもやってきて、血の入れ替えを断行して18年ぶり4回目のリーグ優勝に輝いた。2003年9月15日はデーゲームの広島戦が甲子園であったが、テレビ中継で赤星がサヨナラヒットを打った場面を今でも覚えている。日本シリーズも藤本、金本のサヨナラ打など、ほんと惜しいところまでいった。
この2003年は小学五年生だったが、12年間の小中高生活の中で1番と言って良いほど楽しい年だったように思える。男女分け隔てなくみんなで遊んでいた。

2004年〜2007年

そして、2004年に第一次岡田政権が始まった2004年は前年の優勝メンバーの調子が上がらなかったこともあり、4位と低迷した。ちなみにこの年の私は中学受験のプレッシャーもあり、楽しかった思い出はあまり出てこない。2005年は2年ぶり5回目のリーグ優勝を果たした。JFKが完成したり、シーツ・金本・今岡の強力クリーンアップが活躍したりなどした。この時の日本シリーズはロッテに総得点が33-4で完敗したと言われているが、これは歴史上の創作だ。実際には濃霧で中止だと記憶している。 ※2
2005年は中学校入学の年で、私立に進学したためこれからの6年間にワクワクドキドキしていたような記憶がある。

2008年

そして阪神タイガースの近年最初のターニングポイントは2008年であろう。この年は開幕から好調で後半戦は勝率5割でも充分優勝を狙える成績だった。が、北京オリンピックで主力だった藤川・矢野・新井(この年からFAで阪神に移籍)が抜けてから風向きが変わってくる。
新井は北京オリンピック後に元々痛めていた腰を悪化させ、後半戦は戦力にならなかった。これだけなら問題はなかった。実際、後半戦の阪神は予定通り5割前後の勝率だった。宿命のライバルである巨人が猛烈な勢いで勝ち始めた。結果、勝負所の9月の巨人3連戦で三タテをくらい、最終的には優勝を逃した。 ※3
この時の私は高1だった。中高一貫校のため何の苦労もなく高校生になり、中学の頃からの友達とそれなりに青春を謳歌していた記憶があるが、巨人に捲られた9月以降の記憶はほとんどない。

2009年〜2015年

その後の2009年〜2015年の阪神タイガースは迷走していた。真弓明信が2011年まで、スパイチュ和田豊 ※4が2015年まで監督だったが、2008年の悪い流れが続いたのか、春先は調子が良くても秋の勝負どころに負けが込むようになった。輝いた年は2010年、2014年くらいだったように思える。2010年は真弓監督らしく強力打線が完成され、2014年はメッセンジャーや呉昇桓、ゴメス、マートンの大活躍で日本シリーズに進出したが、ソフトバンクの全盛期で完敗だった。
この期間の私はというと、高2では成績が伸び悩み、現役で大学に合格できず(2011年3月)、浪人してやっと合格し4年で卒業したものの院試では不合格となった(2015年)。阪神同様、パッとしない、低迷した期間ともいえる。

2016年〜2022年

そして、次のターニングポイントが来る。
2016年に金本知憲氏が監督に就任した。ここから阪神は変わった。2018年に最下位にはなったものの、後の核となる選手の獲得、育成に尽力してくれた。そして、2019年には矢野輝弘氏が監督になった。監督を務めた4年間ずっとAクラスは立派である。
この頃の私は、科目等履修生 ※5として教育実習にいき(2016年)、そのまま現任校に勤めている。そして2018年は社会人2年目だったが仕事のやり方で悩むことも多い1年だった。やはり、リンクしている気がする。

2018年の広島戦で大山がサヨナラスリーランを打った時
打った瞬間に変な声出たのを覚えている

2023年

そして2023年、第二次岡田政権が始まった。岡田さんが監督の時はドラフトもうまくいかず ※6、金本・矢野両監督の時代のドラフトがうまく行っていたのと対照的だったのもあり、しかもピッチャーの連投は当たり前というスタンスで不安に思っていたし、同じように言う阪神ファンも一定数いた。だが、それを見事に裏切る快進撃で、9月14日に18年ぶり6度目のリーグ優勝を成し遂げ、11月5日には38年ぶり2度目の日本一にも輝いた。
どこかのメディアで掛布氏も触れていたが、今年の日本一は金本の超変革矢野のオレ達の野球 ※7があってこそだと思っている。そう考えると、金本さんはFA交渉に直接出馬もしたし、矢野さんはトレードで中日から出したものの優勝時には正捕手として活躍させたし、と2023年の優勝も星野さんが導いたものと考えるとちょっと感慨深くもなる。

終わりに

この機会に初めて阪神タイガースのシーズンと自分の人生の流れを照らし合わせてみたが、意外とリンクしている。冒頭でも触れた通り、渡辺謙さんの

阪神タイガースは人生ですね

2023/11/23 テレビ朝日系報道ステーション

をまさに体現している。

真っ先に立ち上がって画面から消える渡辺謙さん。



卵が先がニワトリが先かは分からないが、どちらかの調子がよければもう一方の調子も良くなるようである。人に支配されるだけの人生は生きていても楽しくないだろうが、阪神タイガースとお付き合いしながら生きていくなら悪くない気もする。これからも阪神タイガースと運命共同体として生きていきたい。



※1 初めて買ったグッズは桧山進次郎の下じきだった。嬉しくて次の日学校でめちゃくちゃ自慢した。

※2 人は都合の悪いことは忘れ、辛い思い出は美化する生き物である。

※3 夏までは巨人ファンの友達を煽りまくっていたが、秋以降はやり返された。

※4 あのメールはマジで名文だと思う。あのエピソードを見ると和田さん一家は全員メンタル強すぎる。

※5 説明が難しいので一浪一留と説明することが多い。実際、科目等履修生は学生ではないという扱いなのか実習系には参加できない大学もあると聞く。

※6 岡田監督のせいではなく当時の編成担当が無能だった説もあるが、あの時のドラ1で戦力になった選手を探すのが難しいのが現実である。

※7 金本の超変革にはワクワクした。2018年に外スラクルクルおじさんが来なければ……

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