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臓物の断捨離 その③

本日の戦利?!品、お御籤と、アマビエ煎餅。


「これは食べられる御札かもっ♥」と、慌てておろしてきた現金でケーキと共に購入しちゃいました。(ここでもモトをとらんとする性よ)

で、話を戻して、今回の経緯を。

まず、今回の腫瘍判明前までの流れをザックリふれると、


○四半世紀前に、母が子宮の「悪性肉腫」で他界。当時「子宮癌ならまだ効く薬もあったのに」といわれた厄介な病気だったと鮮明に記憶。


○十年前、娘を妊娠した際「子宮筋腫」が判明。以後、毎年の子宮ガン検診で経過観察してきたが、良性であることと、いそがしさにかまけて、ここ2年ほど放置。


○同居の姑(痴呆は無し、リウマチが進み気力体力が低下。要介護2だが、デイサービスは自分には合わないと拒否し、在宅サービスを利用)が、背骨の圧迫骨折でお盆より入院。

これまでは自力でトイレに行っていたが、今後は転倒防止を避けるべくオムツ介護が決定したため、平日昼間はヘルパーさん利用し、その他夜間と休日は私が交換する、『介護同居のステージアップ』が目前に。


○毎月の生理痛はシンドイものの、あとは頑固な肩こり位で、「デカくて丈夫」が、自分の売りと思っていた。

で、ここからは日付順で。

9/9水曜

 夫から夕食いらないよ連絡あり。喜び勇んで外食へ。安く上げるべく「ガスト」を提案するが娘に却下され、ラーメン屋へ。

折角ならとカップラでは食べられない「あんかけ堅焼きソバ」を注文。最初は美味しかったものの、そのボリューム故か油が古かったか、そもそも中年の私の胃腸にはハナからムリだったのか、半分もいかないうちに胃もたれ発動…

普段娘に「残すな」と言ってる手前完食した結果、かなりハードな胃もたれ胸やけに2日間苦しむ。



9/10木曜

 姑の20日の退院が決定。私も覚悟を新たにする。


9/11金曜

 胃もたれが解消し昼頃までは普通だったのが、午後から腹部に言いようのない鈍痛が発生。激痛ではないものの、思わず前屈みになり歩くのも辛くなる



9/12土曜

 鈍痛が続き、痛みがレベルアップ。夜になっても悶えうごめく私を心配した家族から、強く受診をすすめられる。



9/13日曜

 「堅焼きそばの祟り」かと内科と迷うも、婦人科の当番医が3年前がん検診をした病院だったので、そちらを受診することに。


結果、子宮筋腫は変化なし。腸のところどころにガスだまりや腫れもあり色んな腹痛はその可能性があるが、それより心配なのは「卵巣の腫れ」。とくに右側は7センチと大きく捻転をおこせば緊急手術の可能性もあるため、明日、日赤などの大きな病院で診てもらうように。との説明が。


それを聞いて真っ先に私の頭をよぎったのが母の「悪性肉腫」。遺伝だったらどうしよう。それにもし良性でも手術となったら、姑は20日に退院するのに、ヘルパーさんの予定も組んだのにどうしよう。


そこで、先生に事情を話し、一刻も早く診察してもらいたいこと、姑と同じ病院にし事情を考慮してもらい退院を遅らせ、私の診断や手術を最短ですすめてもらう手立てはないか?と相談しました。

もう四半世紀も前なので、先生は忘れてらっしゃるだろうと思いつつ、「悪性肉腫の母を手術し看取っていただいたのが先生であったこと」を伝えたところ、
「肉腫だったのはお一人だけだからよく覚えてます。いいお母さんでしたね」と覚えて下さっていて、親身になって、姑の入院先の病院へ紹介状を書くだけでなく、翌朝先生が直接先方へ予約をとってからつなげて下さると約束して下さいました。


(後日、入院が決まった際、そこの看護師さんにこの経緯を話したら、「普通そこまでやってはくれないよ。」と、驚かれました)


9/14月曜

 先生の予約のお陰で午前中に診察してもらえ、翌日MRI、翌々日結果説明ということに。


9/15火曜

 MRI。姑の退院の延期が決定。



9/16水曜

 説明。子宮内膜症による卵巣のチョコレート嚢胞。良性で現時点では癌化の疑いは無し。

ただ、大きい程癌化リスクは高まるため、右側は全摘出が望ましいと。姑の退院までに体力を回復させ介護できるよう、最短の手術をお願いしたところ、9/23に決定!(9/17と9/18は術前の説明や検査があるため、このスケジュールが最短でした)

その④へ

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