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ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として4/4

※本記事は、2012年に執筆し、同人誌『F』第11号に掲載したものです。

〈擬装〉するパブリック・エナミー#1

  さて、アメリカにおいて、ヒップホップの〈疑似共同体〉は少なからず、抑圧された黒人の歴史という意味を付与され、〈擬装〉された。大和田は、「とくに中産階級の白人によって黒人音楽が「政治的に」利用されてきた歴史」(注53)があると述べているが、ヒップホップ内部でヒップホップを「政治的に」利用した筆頭は、やはりパブリック・エナミーだろう。「利用」と書いたが、無論、その点を批判する気はない。パブリック・エナミーは、抑圧される黒人の指導者たらんとし、周囲もそれを期待した。では、パブリック・エナミーはいかに〈擬装〉したのか。ジェフ・チャン(注54)によれば、パブリック・エナミーは、「ジェームズ・ブラウンの「Say It Proud (I’m Black and I’m Proud)」[ブラックであることを誇りにしていると声高に叫ぶ]を継承する者として自身を位置付けた」ということだが、チャック・Dは、「ブラウンの美学をどうやって取り入れたのか」という問いに対して、「執拗なまでに容赦なく繰り返すんだ」と語っている。ジェームズ・ブラウンの〈身振り〉を「執拗なまでに容赦なく繰り返す」――すなわち〈反復〉することによって、自身にジェームズ・ブラウンを継承させようとした、と。ここで、KRSワンの〈身振り〉を〈反復〉することによってヒップホップを継承しようとした、ジブラのことを思い出さずにはいられない。ジブラが、KRSワンに〈変身〉することで、日本におけるヒップホップという共同体を演出しようとしたように、チャック・Dは、意識的にジェームズ・ブラウンに〈変身〉することで、ヒップホップにおける「ブラック」という共同体性を演出したのである。そして、この時代のヒップホップを彩るサンプリング手法も、おそらくこうした面から考えられる。
 ヒップホップにおけるサンプリングは、大和田俊之が「こうしてみるとヒップホップって本当にポストモダニズムと相性がいいと思います」(注55)と言うように、ポストモダニズムの文脈で語られることが多い。たしかに、ヒップホップに限らずハウスやテクノなども含め、原曲の一部を流用して大量の曲やリミックスを作る手つきは、おおいにポストモダン的だと言える。しかし、それによって勢い、「こうなると、作者/芸術家って枠組みだって変わってくる。敬意が払われなくなってくるんだ。乱暴にサンプリングしたりカバーバージョンを作ったりするのがこれだ」(注56)などといったような語られ方が支配的になるのはいけない。ヒップホップに対するこのような言説は、日本においては、椹木野衣による「ジャズやR&B、ソウルやファンクといった黒人音楽の輝かしい伝統(それは「黒人が黒人のために演奏する黒人よりもうまい黒人音楽」を意味している)からの切断において成り立っているのだ」(注57)といった語られ方が、東浩紀の「『デ・ジ・キャラット』のオリジナルがどのような作品で、その作者がだれで、そこにどのようなメッセージが込められているかを問うことは、まったく意味をなさない」(注58)といったオタク文化をめぐる議論と合流して出てきた印象がある。とくに「ゼロ年代」以降、ヒップホップはサンプリングによるフラット化した表現である、という語られ方をされることが多い。しかし、ヒップホップをポストモダニズムのフラット性でのみ語ることは、当然、多くのことを見落とす。何度も言うように、ヒップホップにおける〈身振り〉の〈反復〉は、一方で共同体化・歴史化への意志を孕んでいる。だからこそ、なにを〈反復〉し、なにを〈差異〉化するか、という点が重要なのである。だとすれば、サンプリングの意味は、椹木の言う「切断」のみに回収されない。たしかにサンプリングは、過去のある部分を「切断」するかもしれないが、それ以上に意識されているのは、サンプリング元との連続性――すなわち、〈反復〉なのである。だからこそ、パブリック・エナミーをはじめ、ヒップホップの数々はJBズをサンプリングするのだ。パブリック・エナミーがJBズのブレイクをサンプリングすることと、イントロにマルコム・Xの「Too black, Too strong」という言葉をサンプリングすることは、あるいは「Fight The Power」のPV(スパイク・リー監督)がワシントン大行進のニュース映像から始まることは、「Say It Proud (I’m Black and I’m Proud)」という点で、完全に通底している。当然である。パブリック・エナミーは、マルコム・X/マーティン・ルーサー・キング~ジェームズ・ブラウンという流れの延長に自分を位置付けるべく、サンプリングによって自らを〈擬装〉し、ジェームズ・ブラウンやマルコム・Xに〈変身〉したのだ。だとすれば、チャック・Dの「Once again, back is the incredible」(「Bring The Noise」)というラインを、ラキムが「Guess Who’s Back」でサンプリングし、ライムスターが「Once Again」でサンプリングしたとき、ラキムもライムスターも、その瞬間において、パブリック・ヱナミーと同じ共同体性・歴史性をゆるやかに共有している。
 椹木は、とは言え、ジャングル・ブラザーズについては「ヒップホップを黒人音楽にするための種々の音楽的実験ともいうべきものである」とも言っている。たしかに椹木が言うように、『Straight Outta Jungle』『Dan By The Forces Of Nature』という2枚のアルバムで、「アフリカ中心主義的ヒッピー像の見本を自ら示し、アフリカのリズムや歌を自分たちの音楽に盛り込ん」(注59)だジャングル・ブラザーズは、露骨にアフロ・アメリカン回帰路線を示している。しかし、ジャングル・ブラザーズに限らず、パブリック・エネミーもプア・ライチャス・ティーチャーズも、それぞれの〈身振り〉の〈反復〉を通じて、アフロ・アメリカンの表現としてのヒップホップを〈擬装〉していた。ジャングル・ブラザーズというグループはむしろ、パブリック・エナミーのような過激な政治性から距離を取ったようなグループとも言えるが(というか現在から考えれば、パブリック・エネミーのような過激派の方が特殊とさえ言えるのだが)、パブリック・エナミーにせよ、ジャングル・ブラザーズにせよ、彼らのアフロ・アメリカン的な〈身振り〉の〈反復〉が、アフロ・アメリカンの共同体(コミュニティ)をゆるやかに再編し、「黒人音楽としてのヒップホップ」という〈疑似歴史〉を歴史化していくのだ。KRSワンは「Ah, Yeah」において、「俺が地上に降り立ったのはこれが初めてじゃない」とラップし、自分を歴史上の様々な人物の生まれ変わりとして〈変身〉し続ける。KRSワン自身は、この〈変身〉によって、それらの延長としての自分を〈擬装〉する。

俺はマーカス・ガーヴィやボブ・マーリーに姿を変えて地上に戻ってきたんだ
俺に危害を加えようという連中がいた時にはマルコムXになりきったこともある
今はこうしてKRSワンとして地上にいるんだ

KRSワン「Ah, Yeah」

 何度も言うように、そのような共同体化・歴史化が、シーンとしての拡大・継続をもたらす一方で、ユダヤ人や白人の交流を見えなくさせるという点には、いつだって注意が必要だ。しかしヒップホップは、佐々木中が言うように、「何をリスペクトしてサンプリングしているのか、っていうレファレンスを明示し、それを共有していく」(注60)という側面が非常に強い。ヒップホップに少しでも関心があれば、誰でも知っていることだ。すなわち、引用元との連続性が少なからず注目される。至極当たり前の話である。したがって、ポストモダンとかなんとか言い募るあまり、引用元との連続性を見落とすべきではない。
 ヒップホップのイメージが、多分にパブリック・エネミーによって培われているのだとすれば、それは彼らが、政治的発言のみならず、サンプリングという〈身振り〉の水準で、抑圧されたアフロ・アメリカンを〈擬装〉したからである。なにせ、オールドスクール・ヒップホップは、ほとんどがパーティー・ラップだったのだ! そんなパブリック・エネミーのチャック・Dは、シュガーヒル・ギャング「Rapper’s Delight」に衝撃を受けたということだが、この事実は重要である。

ロング・アイランドの黒人居住区という、ラップ世界の遠端に住んでいた当時一九歳のMC、チャック・Dは、「Rapper’s Delight」から違った衝撃を受けていた。「ヒップホップのレコードなんて代物が作れるとは考えてもみなかった。そんなもの、あり得ないって思っていたんだ」(注61)

 チャック・Dという、反社会的でヒップホップ的〈リアル〉の総本山のように思われる人も「ラップ世界の遠端」に住んでおり、その意味では〈フェイク〉性を抱えていると言える。チャック・Dのリリックをパリスがゴースト・ライティングしていた(!)という事実(注62)も含め、チャック・Dの〈リアル〉でさえ〈擬装〉された〈リアル〉である。そんなチャック・Dは、「Rapper’s Delight」を聴いて初めて「ヒップホップのレコードなんて代物」を作ることを考え始める。当時の、現場のヒップホップというのは、延々と流れる音楽をバックに延々とラップしたりダンスしたり、というものだった。したがって、チャック・Dは、「ったく、ヒップホップを一五分にまとめあげるなんて、すげえな」(注63)と驚くのだ。「Rapper’s Delight」を企画したのはシルヴィア・ロビンソンだが、彼女がなかばやけくそで集めたメンバーは、クラブのドアマンやピザ屋の店員など、単なるラップ好きの素人である。実際、「ブロンクスの連中にしてみれば、同曲はくだらない似非ラップ以外の何物でもなかった」(注64)。しかし、だからこそ、「Rapper’s Delight」はヒットした。ジェフ・チャンによれば、「「Rapper’s Delight」のリリース後、ブロンクスのトップ・アーティストも次々にデビューを果たし、ライヴの雰囲気を収めようとしたが、そのほとんどが失敗に終わった」のであり、「Rapper’s Delight」こそが、「ラップ、ヒップホップ、ブロンクスなどというものをまったく知らなかった人々にも親しめるラップだったのである」(注65)。
 ここにはやはり、〈フェイク〉だからこその伝播力を見ることができる。オーディエンスとDJの存在を前提とし、延々と続くヒップホップの現場は、物理的に広がりにくいものである。むしろヒップホップは、その表層的な形式だけを抜き取った〈フェイク〉な曲によって、ラジオなどのメディアに流れ、「ラップ世界の遠端」にまで広がっていく。そして、それを聴いたチャック・Dは、ヒップホップのレコードを作ることを考え始める。いつだって、〈フェイク〉なものがシーンを拡大・継続させるのだ。そう考えると、最初のヒップホップのヒットである「Rapper’s Delight」の歌い手たちが、人前でラップを披露したこともない、空虚な主体だったことの意味は深い。彼らのラップは、他人のリリックをパクッて作ったような代物だったらしいが、このような、〈リアル〉な現場とはまったく違った地点から、大好きなラッパーに〈変身〉することによって、ヒップホップの最初のヒットは生まれたのである。すでに確認した通り、そのヒット曲はラジオを通じて、チャック・Dのもとに届く。今度はチャック・Dが「Rapper’s Delight」の表層的な形式だけを抜き取って、そこに、抑圧されたアフロ・アメリカンの意匠を〈擬装〉する。パブリック・エネミーという過激な社会派は、むしろ〈フェイク〉の連続によって誕生しているのだ。いや、「過激な社会派」などという本質化自体が、パブリック・エネミーの〈身振り〉の一面的な捉え方に過ぎない。なぜ、ユーモラスなフレイヴァー・フレイヴの存在を忘れてしまうのか。いや、もちろんフレイヴのことは覚えているけど、なぜ、フレイヴがいるにも関わらず、「過激な社会派」という本質化をしてしまうのか。それは、多様な〈身振り〉の水準を見落とし、わかりやすく〈擬装〉された〈リアル〉を抽出しようとするからである。無論、チャック・Dやプロフェッサー・グリフによる発言も含め、パブリック・エネミーの〈擬装〉は巧妙だった。しかし、根底に〈身振り〉の〈反復〉という運動がある以上、「過激な社会派」などという安易な本質化は避けたいと思う。本質化した瞬間、パブリック・エネミーの〈あの身振り〉は失われてしまう。僕は、痙攣したような踊り方をする、ステージ上のフレイヴが大好きなのだ。

サンプリングという〈疑似歴史〉

 パブリック・エネミーは、ジェームズ・ブラウンをサンプリングすることによって、アフロ・アメリカンとしての自分たちを表明した。もちろん、パブリック・エネミーがサンプリングをしたのはジェームズ・ブラウンだけではないし、パブリック・エネミーの〈身振り〉がすべてアフリカ中心主義に還元されるわけでも、当然ない。彼らが結果的に体現するのは、ラッパーにおける「言いたいこと」のように、様々な衝突を経たのちに構築された、〈擬装〉された〈リアル〉に過ぎない。とは言え、パブリック・エネミーにおいて、ジェームズ・ブラウンとマルコム・Xのサンプリングは、結果的に大きな意味を持った。ここでは、サンプリングの〈疑似歴史〉性について、もう少し考えてみたい。しかしその前に、ヒップホップから少しだけ離れて小沢健二の話を。
 小沢と言えば渋谷系の代名詞的存在であり、渋谷系と言えば、高度資本主義言説とともに、やはりポストモダニズムと相性の良い語られ方をしていた(注66)。時代条件なども踏まえ、大枠で異論はない。しかし、こうした語られ方が支配的になると、なにを引用したか、という問いが抜け落ちてしまう。「このあいだまでネオアコだったけど、今回はモータウンだね」とか、「へー、新作は音響派なんだ」とか、ポストモダニズム的な態度においては、あくまで入れ替え可能な音楽要素が、戯れるように導入されているような語られ方をする。
 10年5月、反グローバリズムの姿勢を強く打ち出していた小沢は、久しぶりにコンサートをおこない、僕は中野サンプラザへ観に行った。新曲3曲を除いてあとはすべて過去の曲だったのだが、そのアレンジなどには多くの改変が見られた。著作権に配慮したのか、明確な引用元が存在する部分は、ほとんど改変されていた。具体的には、「ぼくらが旅に出る理由」のポール・サイモンっぽい間奏部分が、「ローラースケート・パーク」だったかの曲にメドレー的につながることでカットされていた(その後、ふたたび「ぼくらが~」に帰ってくる構成)。「東京恋愛専科」は、サビの部分が、ジルベルト・ジルの曲のメロディ・ラインなのだが、改変されていた。その他、あからさまなところは全部カットされていたのではないか。ただし「ラブリー」における、冒頭のベティ・ライト「Clean Up Woman」のフレーズだけはそのまま残っており、「カウボーイ疾走」のジョニー・ブリストル(というかコーク・エスコヴェード)と思われる部分もとくに変化なしだった。それはまあいい。というか、そのくらい過去の小沢の曲は、サンプリング手法が多用されていたのだ。
 アレンジについては、「カローラ2」を筆頭に、ワールド・ミュージック趣味/南米音楽趣味が全開だった。とくに、ラテン調やレゲエ調のアレンジが目立っていたと思う。そして、ほんのりエキゾティックなノリ。新曲の「シッカショ節」は、なんと音頭だった。たまたま一緒の会場にいた鈴木謙介氏と、終了後、少し話をしたが、鈴木は「大滝詠一化していたね」と言っていた。なるほどたしかに、と思った。その鈴木の師匠である宮台真司と石原英樹・大塚明子は、かつて大滝詠一におけるラテンや音頭の趣味を「諧謔の身振り」だと論じたが(注67)、ポストモダニズム的態度ならば、「ほほう、今度はワールド・ミュージックね」ということになるのだろう。しかし、どうもそのように片づけられない気もする。引用元との関係を、ポストモダニズム的に「切断」と考えるのではなく、むしろ連続性を考えたい。すなわち、なぜ、ネオアコでもモータウンでも音響でもなく、ラテンとレゲエと音頭が選ばれたのか、と。
 僕が小沢のコンサートで思ったのは、ソウル・フラワー・ユニオンみたいだ、ということである。ソウル・フラワー・ユニオンもやはり、アイルランド音楽を出発点に、ラテンやレゲエ調の曲をやりつつ、さらには「海行かば山行かば踊るかばね」のような軍歌を換骨奪胎したような音頭調の曲もやっていた。小沢がソウル・フラワー・ユニオンの〈身振り〉を〈反復〉している、というつもりはないが、彼らは、反グローバリズムの姿勢という点が共通していた。だとすれば、考えたいことは、反グローバリズムという思想とサウンドの関係である。くしくも、その鈴木が指摘しているが、「「反グローバリズム」や「福祉国家」といった、二一世紀における左派の中心的な課題と、超越的、伝統的な、つまり右派の好むテーマは一足飛びに結び付いている」(注68)。グローバリゼーションに対抗するために、失われた共同体を呼び起こすために、その共同体は強い根拠を付与されるべく「超越的、伝統的」なものに寄りがちだ、ということだ。小沢や中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)自身がどう考えているかは知らない。しかし、彼らのサウンド面だけ見れば、この指摘は典型的にそうだ。カストロ‐社会主義‐キューバなど中南米は、小沢によるドキュメント映画「おばさんたちが案内する未来の世界」において、小沢が未来社会のモデルにしようとした地域だったが、無論、ラテン音楽というのは中南米を起点としている。音頭も言うまでもなく日本の「伝統」音楽であり、強固な地域共同体を連想させるものである。もちろんラテン音楽も音頭も、サウンドというのは純粋に民族的なものではなく、すべからく混交的である。ましてや小沢による音楽は、高度にポップ・ミュージックである。しかし、高度なポップ・ミュージックだからこそ、あからさまにラテン趣味や音頭趣味をまとわせた音楽は、多分に共同体志向という〈擬装〉を感じさせる。だとすれば、小沢が〈反復〉していたのは、かつて旅した中南米の世界だったのではないか。あるいは、失われた「伝統的」な世界だったのではないか。あのライブでなされたサウンド面のアレンジは、小沢のMC以上に、反グローバリズムのメッセージを感じさせた。ちなみに、つい昨日、オペラシティのコンサート・ホールでおこなわれた小沢のコンサートに行ってきたが、基本的にはアンプラグドのバンドとストリングスが4人であった。それが、いかなる〈反復〉だったのかは宿題にさせていただきたい。
 このように、サンプリングは、ポストモダニズム的な引用元との「切断」のみではありえない。そこではむしろ、引用元との連続性を見なければならない。もちろん、視点の取り方によっては、「切断」らしきものは見出されうる。小沢が懇意にしているスチャダラパーも、ポストモダニズム的な「切断」として捉えられていたかもしれない。先述したように、スチャダラパーにおける引用元は、USヒップホップの成分が希薄だったとも思え(そんなこともないのだが)、例えば「ノーベルやんちゃDE賞」では、根本敬の「でも、やるんだよ!」(注69)などといった言葉が引用される。スチャダラパーにおける、このような軽やかな態度は、なるほどポストモダニズム的な主体を想起させる。しかしこのことをもって、スチャダラパーのフラット性を強調するのは早計だ。言うまでもないが、スチャダラパーがヒップホップの一方で目配せをしていたのは、いわゆる〈サブカル〉的な共同体であり、スチャダラパーは根本敬に〈変身〉することによって、むしろ〈サブカル〉共同体に参入してもいた。先に触れたことに関わるが、スチャダラパーが〈反復〉した〈身振り〉とは、例えば「なんなの、だからなに」(スチャダラパー「ドゥビドゥ・WHAT?」)と言い続ける、退屈な終わりなき日常を送る少年たちの〈身振り〉だった。もちろん、同時にヒップホップの〈あの身振り〉の〈反復〉だっておこなっている。したがって、やたらにフラット化と言って、思考停止に陥ってはいけない。重要なことは、何度も言うように、なにを〈差異〉化し、なにを〈反復〉しているか、という点である。この〈差異〉と〈反復〉の衝突の内に、表現者たちの特異性が出現する。〈差異〉は、〈反復〉との関係において見出されなければならない。
 サウンド面に限らず、サンプリングがひとつのマナーとなっているヒップホップは、〈反復〉があからさまなために、引用元を参照しやすい。それは、ヒップホップというシステムが、いかに共同体性・歴史性への意志が強いかということの表れでもある。本稿の立場は〈身振り〉原理主義である、と述べたが、まさにその〈身振り〉を拡散するシステムとして、ヒップホップはよく出来ているとは思う。さて、またしてもジブラだが、ジブラの「Jackin’ 4 Beats」という曲は、「証言」「人間発電所」「Bボーイ・イズム」といった、日本におけるハーコー・ヒップホップのクラシックスのトラックとリリックをサンプリングしながら、矢継ぎ早に歌った曲である。キャリアの節目とも言える2枚組のベスト盤に新曲として収録されたこの曲は、ジブラの自らに対する歴史化への意志が、サンプリングによっていかんなく表現されている。これらのクラシックスの延長に今の自分はいるのだ、これらのクラシックスに支えられて今の自分はいるのだ、と。ジブラは、数々の盟友に〈変身〉し、パンチラインを引用することによって、Jヒップホップの共同体性を強固なものにするが、本稿の立場からすれば、他ならぬジブラがこのような曲を発表することの意義深さは、あらためて強調するまでもない。加えて言えば、スラックやオジバといった若手ラッパーたちが、「Jackin’ 4 Beats REMIX」と称して、同じトラックでマイクリレーをしたのも、やはり各々が〈変身〉することによって、ヒップホップ・シーンに参入していくことの堂々たる表明となっている。同じような態度の曲として、JBM、バイケン、サイモン「日本語ラップ is DEAD?」もやはり、日本語ラップの数々のパンチラインが散りばめられている。例えばJBMは、冒頭から「この夜更けりゃ俺の出番」(マイクロフォン・ペイジャー「改正開始」)とP.H.のパンチラインをラップしているが、ここにも、P.H.の〈身振り〉に自身を重ねることで〈変身〉しようとするJBMの態度を見ることができる。そして何度も言うように、この〈身振り〉の〈反復〉こそ、「日本語ラップ」という共同体性と歴史性を強化する。したがって、「日本語ラップis DEAD?」という問いの回答は、まさにその曲自身が示している。すなわち、自分たちが〈変身〉を続けている限り、日本語ラップはけっして死ぬことはない!――ということだ。非常にクレバーな曲であり、なおかつ感慨深い。
 福嶋亮大(注70)は、「文学」における現代的な問題として、「偽史的想像力」というものに注目するが、そこでは、レヴィ・ストロースを参照しながら、「偽史」的な歴史観について次のように説明する。

 過去と現在のあいだに緊密な連続性が成立していなくてもよい。ただ、ある要素に、「それ自体としては無意味な」過去が存在するという設定だけが割り振られていればいいのだ。たとえば、先ほどの「聖地巡礼」は、初期状況(風景)を何も変えず、ただ「過去をもつという特権」を土地に割り振ることによって成立するという意味で、レヴィ=ストロースの言う「歴史」をよく示すものとなっている。

 そこでは、未来と過去は、機能的に等価となっている。過去‐現在‐未来は因果的に繋がるというよりも、現在を境にしてぶつ切りになってしまっている。

  サンプリングが〈疑似歴史〉を紡ぐ機能を持つ、ということをくり返し述べてきたが、福嶋によれば、「偽史」においては、「過去と現在のあいだに緊密な連続性が成立していなくてもよ」く、「過去‐現在‐未来」という「因果的」な繋がりは必要ない。一読、ヒップホップにおけるサンプリングを連想する。「無意味な過去」とは、まさにサンプリング元のことではないか。〈身振り〉の〈反復〉、あるいは〈変身〉としてのサンプリングにおいて、引用元はたしかに「過去」に違いないのだが、〈変身〉主体との関係を考えたとき、そこにはなんら「緊密な連続性」「因果性」がない。サンプリングをポストモダニズムと捉える言説は、おそらくこのような性格を指してのことだろう。たしかに、ジブラとKRSワンになんの「連続性」があると言うのか。ましてや、俺とKRSワンにはなんの「因果性」があると言うのか。引用元となる「過去」の〈身振り〉は、「「それ自体としては無意味な」過去」に他ならない。とは言え、もしかしたら、ジブラとKRSワンはハーコー・ラッパーという点で「連続性」を持つではないか、チャック・Dとマルコム・Xは抑圧されたアフロ・アメリカンという「因果性」を持つではないか、という声があるかもしれない。しかし、それこそが「偽史」なのである。ジブラが〈あの身振り〉を〈反復〉したからこそ、遡及的にKRSワンとの「連続性」が見出されるのであって、逆ではない。チャック・Dも、抑圧されたアフロ・アメリカンという〈擬装〉をしたからこそ、遡及的にマルコム・Xとの「因果性」が見出されるのであって、逆ではない。福嶋は「未来と過去は、機能的に等価となっている」と述べていたが、サンプリングによってもたらされる過去と現在の二重性が「偽史」を呼び込むのだ(注71)。宇多丸が言うところの「俺は古着、だが洗い立てのブルージーンズ」(ライムスター「ONCE AGAIN」)という二重性である。
 この二重性は、サウンド面のサンプリングに限らない。ジェフ・チャンは、ブレイクダンスを次のように記述している。

 BボーイやBガールは、サイファーに入って踊るたびに、自身の世代についてのストーリーを身体で語っていた。トップロックから始めて、両手は喧嘩するギャングのように刺すモーションをし、足は試合中のモハメド・アリのごとく左右に動かす。そして、ジェームズ・ブラウンのごとく床に沈むのだ。ハリケーンのようなスパイの見事なフットワークやズールーのフリーズ、激しいスピンを行ない、これらの動きの合間に、ブルース・リーのような微笑や、マオリ族の言語を真似する。彼らの動きは、ヒップホップ全体の歴史を見事なスタイルで提示していた。(注72)

 めくるめく〈変身〉によって表現される「ヒップホップ全体の歴史」。だが、こんな歴史はどこにあったのだろうか。もちろん、BボーイやBガールが、日々編んでいる〈疑似歴史〉に過ぎない。しかしサイファーは、彼らの〈疑似歴史〉を拡散させる。彼のブレイキングが終わると、待ちきれなかったブレイクダンサーは、自分も、と回り始めるだろう。いつだって「ブレイクダンスは頭で回る」(ECDイルリメ「ブレイクダンスは頭で回る」)。クールなBボーイイングに魅せられたBボーイ/Bガールは、〈あの身振り〉を練習し、〈反復〉するだろう。その成果はやがて、人前で披露されるかもしれない。彼らの〈疑似歴史〉は、その〈身振り〉によって〈反復〉される。その〈疑似歴史〉は、体系的な歴史として誰にも認識されていないかもしれない。しかし、その瞬間のBボーイ/Bガールは、〈身振り〉の〈反復〉によって、たしかにお互いの「姿」を重ね続けている。いまも昔もこれからも、この〈身振り〉こそが、ヒップホップのヒップホップたる根拠である。だとすれば、やはりこれは、「ヒップホップ全体の歴史」に他ならない。「全体の」、である。そこには、過去と現在の二重性どころではない、あらゆる時間が、あらゆる記憶を持って多層的に流れている。〈あの身振り〉を〈反復〉する瞬間、〈変身〉する空虚な主体には、ヒップホップをめぐるあらゆる記憶が多層的に流れ込んでいる。
 ヒップホップは、それ自体が共同体化・歴史化への意志を抱えている。不断に〈変身〉する主体が、「ヒップホップそのものになる」という点において目的と手段が一致しているように、ヒップホップ自体が自己目的的にヒップホップを組織化している。サイファーにせよ、ビーフにせよ、ライム&フロウにせよ、ヒップホップの表現そのものが、ヒップホップを再生産する。この、ヒップホップそのものがヒップホップを産出する(注73)、という構造こそ、ヒップホップの真骨頂である。それは、ヒップホップの主役がいつだって自分でない、ということに由来している。ヒップホップへの欲望の根源は、いつだって〈あの身振り〉の〈反復〉なのだ。そこでは、自分が抱える、つまらない自意識も、あるいはハードな現実すらも、第二義的である。いつか見た〈あの身振り〉こそが、ヒップホップのヒップホップたる根拠なのである。絶え間ない〈あの身振り〉への〈変身〉こそ、ヒップホップの表象である。と同時に、そのヒップホップが彼らを誘惑し、絶え間なく〈変身〉させる。ラキムが「Eric.B Is President」でラップした物語を、もう一度思い出して欲しい。「マイクは俺に噛みつき、俺を挑発してくる」のだ。そうした絶え間ない運動が、ヒップホップを支えている。ヒップホップはそれ自身、再生産を志向している。マミー・Dの「オレの時代が終わっても/この文化去って明後日にもゴミ箱漁っても電気すらなくなっても/もはや止められないこのアート・フォーム」というラインは、そのことをよく示している。最初の一語が、ライム&フロウによって次々とラップとして組織化されるように、ヒップホップをめぐる絶え間ない〈変身〉運動は、マミー・Dに「もはや止められない」と言わしめる。ジブラは「One Hip Hop」において、次のようにラップする。

2‐0‐1‐0 新たな感動 奇跡の誕生 ヒップホップは万能
次々賛同 また化学反応が 反響し進化する産業と環境
そう、こいつはまさに生きた文化 瞬く瞬間に全て循環
まるで活火山 今にも噴火 始めようぜカウントダウン3‐2‐1

 ヒップホップは「まさに生きた文化」であり「瞬く瞬間に全て循環」させる。もう、僕が付け加えることはなにもない。が、もう少し。「One Hip Hop」のフックで、「One」の部分には、ブギ・ダウン・プロダクション「I’m Still #1」における、KRSワンの「One」という声がサンプリングされている。だとすれば、〈身振り〉として「唇」(松浦寿輝)から発された「One」には、ジブラとKRSワンのヒップホップをめぐる記憶が刻印されている。そこには当然、ジブラがかつてラップした同名曲の記憶も流れ込んでいる。ヒップホップをめぐる記憶は、絶え間なく「全て循環」しているのだ。
 このような多層的な記憶の「循環」は、もはや認知の限界を超えている。だからこそKRSワンも、「ヒップホップと一体になる時、君は何百万のヒップホッパーたちと一つになる」(注74)と、勢い神秘主義的になる。その意味では、僕の意見も想像的な部分がおおいに入り込んでいるかもしれない。しかし一方で、こうした想像を共有する人も確実に存在しているとも感じる。吉本隆明風に言えば、これまで述べてきたことは僕にとって、「想像された真」(注75)として確実に存在するものである。個別具体的な〈身振り〉に多層的な記憶が流れているという、この感じ。原雅明は、この感じに近い感覚について書いている。
 

サンプリングが可能にした過去の多様な音源の容易な引用は、われわれを特定のジャンルやテリトリー、あるいは年代の参照に限定されない方向へと導いた。ありとあらゆる音源が日々蓄積されていく。そして、その広大な、トゥープの言うところの「サウンドの海(Ocean of Sound)」にはよりダイレクトに相対することができるようになっていく。ブレイクのためのネタものを掘っているときにも、すでに蓄積されている音楽的な知識や教養から照らされる範囲を超えて、その背後に広がっているサウンドの広大な世界が教えるものがあるのだと言ったらいいだろうか。ぼんやりと感じることができる共有財産のような音楽のアーカイヴから何かを選び取る感覚がそこにはあるのだ。(注76)

 原は、「ブレイクのためのネタものを掘っている」という個別具体的な動作をおこないながら、その背後に、「サウンドの広大な世界」が広がっているのを感じている。原が言うには、「サウンド」とは、「さまざまな人の元へと伝わり、再生と複製を繰り返し、ときに解体もなされ、やがてはリサイクルされて、再び立ち現れてくる、そういったサイクルに放り出されてもなおも存在し続ける」ものであるが、このイメージは、本稿でくり返し言って来た〈身振り〉をめぐる議論と響き合っている。「サウンド」は、「再生」「複製」「解体」などの履歴を記憶しており、その記憶の広がりを原も「ぼんやり」と感じている。しかし、先ほども述べたように、「ヒップホップ全体の歴史」(チャン)も「サウンドの広大な世界」(原)も、不可視のものである。個別具体的で可視的な〈身振り〉から、集合的で不可視な記憶へ。この構造は、部分から全体を連想させるメトニミー(換喩)の構造と同型だ。三中信宏(注77)は、メトニミーについて「〝部分〟は可視的であっても、それが指示する〝全体〟は不可視である」と指摘するが、三中によれば「ここでいう「秘匿された〝全体〟」とは、分類対象がたどってきた系譜・血縁すなわち歴史であるとトールはみなしている」。三中はメトニミーをめぐる議論をさらに進めて、その「全体」が、「真実であることをまったく求められていない」仮説であることを指摘している。だとすれば受け手もまた、個別具体的な〈身振り〉に触れながら〈疑似歴史〉を紡いでいる。
 誰にも認識できない不可視な「全体」を、にも関わらず、誰もがなんとなく共有している気がする。このつながりの感覚が、KRSワンに「ヒップホップと一体になる時、君は何百万のヒップホッパーたちと一つになる」と言わしめたのだろうが、重要なことは、その根底にあるものが個別具体的な〈身振り〉だということである。僕らのヒップホップへの入り口は、いつだって個別具体的な〈身振り〉であり、それはずっと変わらない。何度も言うが、それこそがヒップホップのヒップホップたる根拠である。かつて目や耳にした〈あの身振り〉も、その〈反復〉としての〈身振り〉も、それ自体は、固有の「絶対的な姿」(小林秀雄)として屹立している。しかし同時に、その〈身振り〉にこそ、不可視のヒップホップ「全体」は付与される。その〈身振り〉にこそ、共同体性・歴史性は宿っている。この、個別具体性と全体性を同時に抱えた〈身振り〉の水準を見逃すべきではない。単なる個別性でもなく、単なる全体性でもない。個別具体であり、かつ、全体。こうした困難な水準に、ヒップホップは非常に意識的に立ち向かっていると感じる。

おわりに

 自意識を出発点にして文章を書くというのは、クールでないと思わなくもないが、自分の奥底に淀む情念を、現時点でぎりぎりまで理論化したらこうなった、という感じである。振り返ると、保守的な人間である。日々、とてつもない速さで変化していると感じられるヒップホップを前にして、あろうことか〈反復〉することに意義を見出そうとした。変化を望まず、保守的である。好き勝手にしているクラスメートに苛立ち、空気を読みに読み、実際にはそんなことすら無いのに教師からは模範的だと見られ、もちろん羽目を外しすぎる度胸もない。それは偏屈な学校の先生にもなろう、というものだ。
 ヒップホップはパンクではない、とつねづね思っていた。ヒップホップの快楽は、やはり約束事を守る快楽だと思う。ルールを遵守する快楽だと思う。ラッパーによる獄中記である、ビッグ・ジョー『監獄ラッパー』(リットー・ミュージック 11・8)は、法律を犯した時点から始まるが、あとがきで「本物のギャングたちは忙しくてラップどころではありません」と書かれるように、彼は、自身のイリーガルな側面をラッパーとしての自分だと考えていない。では、ラッパーであるビッグ・ジョーはどこにいるのか。もちろん、読んだ誰もが印象に残っているだろう、カセットデッキを分解して、電話口で、など様々な形で試みられるラップの録音である。ビッグ・ジョーは、このことについて、次のように語っている。

 なかには違法に携帯電話を手に入れて、チャットやビデオ・メールで遊ぶ受刑者もいたが、そういうやり方で録音するのは、受けとる側のメッセージが違ってくると思ったので、それを僕がやることはなかった。僕は与えられた最低限の環境を使ってクリエイトし続けることに、この行為の意味があると思った。
 それこそが70年代後半に黒人コミュニティーやゲットーで発祥したヒップホップというものだ。(注78)

 ビッグ・ジョーははっきりと言っている。「違法」は違う、と。そして、ヒップホップの名のもと、「僕は与えられた最低限の環境を使ってクリエイトし続けることに、この行為の意味があると思った」と言っている。ビッグ・ジョーがおこなっていることは、本人も書いているように、もちろん見つかればペナルティが科されるだろう。グレーゾーンどころか違法だと思う。しかし、切迫した、最終的な決断のときに、ルールを破るのではなく、ルールをぎりぎり守るのが、ヒップホップある。ビッグ・ジョーはそう言っている。だから、DJは他人の曲を読み換えるのだ。だから、グラフィティー・アーティストは風景を書き換えるのだ。壊すのではなく、残す。
 ヒップホップの、この保守的な態度は、どこまでも退屈な僕にとって、実は大きな意味を持っていたのではないか。なぜか、ヒップホップはパンクと並列されがちだ、あるいは、テクノと並列されがちだ。僕は全然違う、と思うのである。ヒップホップは、決められたことを〈反復〉する。どんなに切迫したときでも、ルールをぎりぎり守る。リスペクトして見習う。他人のお手本になる。とても抑圧的な学校のようだ。僕の好きなKRSワンは、自らを「teacher」とし、「edu-tainment」と言っていた(KRSワン「Edutainment」)。クール・ハークは「他人の手本(ロール・モデル)になれ」と言っていた。教員をやって理解したことがある。僕自身は、学校の授業の約束事の多さにはうんざりしていた。とくに国語が得意だったので、教師が提示するルールは不自由な枷としか思わなかった。教員になって、このルールは国語が苦手な生徒に向けられていたのだな、と気付いた。やっと気付いた。規律訓練、均質化――もちろん、過剰なものは批判されるべきだが、一方で、なるほど約束事の上に全員が開かれている、と思った。ヒップホップは、ルールをぎりぎり守る。保守的だが、ルールというのは、それさえ守れば誰もが参入できるものである。持つ者も持たざる者も。ルールをぎりぎり守るというのは、ヒップホップを、そうした誰でも参入できる場所として開いておくことなのではないか。学校的な価値観から逸脱することもできず、あまつさえ教員にまでなってしまった僕は、だからこそ、ヒップホップにどうしようもなく魅了されるときがある。それは、パンクでもなく、テクノでもない。パンクは共同体化への意志が弱いように思える。テクノは歴史化への意志が弱いように思える。ヒップホップは、包括的だが、ときに暴力的で排除的である。まるで、教室空間のようだ。だとすれば、退屈な教室空間に耐えながら、ルールを守りながら、抑圧的で教育的でありながら、その裂け目から出現する特異な表現を探るべきである。教育的な部分を残しながら、その裂け目で享楽的に生きる。――「edu-tainment」に他ならないではないか。(終わり)

  
(53)前掲42。
(54)ジェフ・チャン、押野素子訳『ヒップホップ・ジェネレーション――「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語』(リットー・ミュージック 07・12)。
(55)前掲42。
(56)ウルフ・ポーシャルト『DJカルチャー――ポップカルチャーの思想史』(三元社 04・4)。
(57)椹木野衣『シミュレーショニズム――ハウス・ミュージックと盗用芸術』(洋泉社 91・6、のち増補版として、ちくま学芸文庫 01・5)。
(58)東浩紀『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(講談社現代新書 01・11)。
(59)S・H・フェルナンド・Jr、石山淳訳『ヒップホップ・ビーツ』(ブルース・インターアクションズ 96・4)。
(60)佐々木中・宇多丸「ONCE AGAINが革命だ」(佐々木中『足ふみ留めて』河出書房新社 11・3)。
(61)前掲54。
(62)前掲45。
(63)前掲54。
(64)前掲54。
(65)前掲54。
(66)例えば毛利嘉孝は、『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房 07・7、のち増補版として、せりか書房 12・1)において、「ポストモダン的な所作で世界のポップスを再編集して、作り出したのがシブヤ系だったのです」と述べている。
(67)宮台真司・石原英樹・大塚明子『サブカルチャー神話解体――少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』(パルコ出版 92・7、のち増補版として、ちくま文庫 07・2)。
(68)鈴木謙介『〈反転〉するグローバリゼーション』(NTT出版 07・5)。
(69)根本敬『因果鉄道の旅――根本敬の人間紀行』(KKベストセラーズ 93・5、のち幻冬舎文庫 10・4)。
(70)福嶋亮大「ホモ・エコノミクスの書く偽史」(『思想地図』09・5)。
(71)例えば黒人音楽に特徴的な偽史のあり方として、アフロ・フューチャリズムというものがあるが、大和田俊之『アメリカ音楽史――ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(前提)によれば、「アフロ・フューチャリスティックな想像力の大きな特徴は、それが「未来」と「過去」を同居させる点にある」。このような想像力が培われる背景には、「過酷な現実を回避し、「ここではないどこか」に自分たちの理想郷を求めようとするアフリカ系アメリカ人の想像力が古代エジプト文明の栄華と六〇年代の宇宙開発のイメージを結びつけた」という〈偽史〉への意志が働いている。
(72)前掲54。
(73)東浩紀『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』(新潮社 98・10)における「人間存在はむしろ「存在」そのものの力により産出される」(傍点原文)という言い回しを借用している。というのも、ここで議論の出発点となるエクリチュールという概念は、東によって「エクリチュールが記号に与える引用可能性、つまり記号が本来のコンテクストから「断絶」する力は、異なった複数のコンテクストを貫いてひとつの記号が「同じ」であり続ける可能性により保証される」と解釈されるが、これは、本稿における〈身振り〉をめぐる議論に対して間接的に影響を与えている。いや、そう言われればそうだったのかもしれない、という程度のものである。しかし、絶対に無関係ではないのだ。つまり、論者という主体自体がそもそも、他人の言葉との結節/妥協点の上にいるのかもしれない。
(74)前掲40。
(75)吉本隆明『言語にとって美とはなにかⅡ』(勁草社 65・10、のち定本として、角川選書 90・8、のち角川文庫 01・9)。
(76)原雅明『音楽から解き放たれるために――21世紀のサウンド・リサイクル』(フィルムアート社 09・11)。
(77)三中信宏『分類思考の世界――なぜヒトは万物を「種」に分けるのか』(講談社現代新書 09・9)。
(78)ビッグ・ジョー『監獄ラッパー』(前掲)。

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