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ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として1/4

※本記事は、2012年に執筆し、同人誌『F』第10号(特集:擬装・変身・キャラクター)に掲載したものです。

〈リアル/フェイク〉という問題系

 ごくごく個人的な理由であまり好きな作品とは言えなかったが、それでも『デトロイト・メタル・シティ』は、僕に何事かを考えさせるものだった。よく知られたそのストーリーは、本当はネオアコなどのいわゆる渋谷系的な音楽が好きな主人公の根岸が、にも関わらず、実際はメタルバンドのカリスマとなってしまうというもので、そこでは根岸の内面とは無関係に強度が与えられていくパフォーマンスが描かれていた。
 たしかに内面とか言われるものほど、生ぬるいものはない。僕は職業上、高校生に小論文を書かせたりする機会があるのだが、高校生というものは「自由に書いて良い」と指示するときほど、なんと予定調和な文章を書いてくることか。文学作品を読ませれば、千田洋幸の指摘(注1)をなぞるかのように「主人公の自己発見」を読み込んでくるし、社会問題について語らせれば、石原千秋の指摘(注2)をなぞるかのように「私たち一人一人が高い意識を持たなくてはならない」と結んでくる。10年ほどかけて反復させられた学校教育的なディシプリンに対して、彼らの内面はあまりに無力であることが多い。このことはしかし、発達段階の途中にある高校生だけに言えることというわけではない。そうなのだ。いつからか巷に溢れる〈リアル〉とかいう言葉を、僕はまったく信じることができないのである。『デトロイト・メタル・シティ』の話も高校生の話も、もう忘れてしまって構わない。問題の大きな一つはヒップホップである。いや、とりあえず日本のヒップホップと限定しても良い。
 日本のヒップホップは発生の頃から、〈リアル〉であるか〈フェイク〉であるか、という点がつねに評価の中心にあった。当然、〈リアル〉な方が良いわけで、日本のヒップホップは、いかにその〈リアル〉を獲得しようとしたかという歴史として振り返られるかもしれない。ヒップホップにおける〈リアル〉については、その時々によって使われ方に大きく誤差があるが、ここではひとまず、どれだけ自分というものがリリックに反映されているか、と考えてもらいたい(〈リアル〉の用法を限定し過ぎているきらいもないではないが)。とりあえず、自分(の内面)や自分を形成する生い立ちや環境をラップすることで、ヒップホップ的な〈リアル〉はひとまず成立するということになる。
 ところで、最近の日本のヒップホップの中では、かなり先鋭的であると言って良いだろうフラグメントというユニットがいる。僕自身、ほんの短いあいだ、一緒にイベントをやる機会もあったが、ヒップホップのセンスとエレクトロのセンスがとても良い具合に混交されたトラックメイカーのユニットである。そのフラグメントは、セカンド・アルバムからの先行シングルとして、神門というラッパーをフィーチャーした「母ちゃん」という曲を発表している。「母ちゃん」は、フラグメントのクッシーの母が体調を悪くしたという実際のエピソードが元になって作られた曲だそうだが、「母ちゃん、産んでくれてありがとう」という典型的な感謝系ラップになってしまっている。というより「母ちゃん」は、ラップの内容が、シーモ「MOTHER」と酷似している。具体的に言えば、「小さな」母を「あなた」と呼びかけ〈です・ます調〉で語る文体、「子供にいいもん食わせて/自分は残りもの食べること知ってます」(「母ちゃん」)「いつも真っ先に気にする/自分じゃなく僕の体で」(「MOTHER」)という、自分より家族を優先する母の描写、「何時だろうと一声で起きるの あれ何でかなぁ?」(母ちゃん)「あなた毎日起こしてくれた/どんな目覚ましよりも温かくて正確です」(「MOTHER」)という寝起きのモチーフなどである。実際、クッシー曰く、「あれをシングルとして切ることはセルアウトって思われても仕方ないし、『なに、売れたかったの?』って実際に言われたりもして。でも神門は『ちゃんと真っ直ぐ作ったんだから、自信もって真っ直ぐ出しましょうよ』って言ってくれて」(注3)、とのことだ。「母ちゃん」を聴いたとき、セルアウトとは思わなかったが、実に退屈な感謝系ラップだとは思った。別に感謝系ラップを否定するつもりはないが、なぜフラグメントがこれをしなければいけなかったのだ、と。サウンドもフロウもそれなりに追求・差異化の痕跡が見えるのに、なぜリリックとそのテーマだけが感謝系ラップのデータベースから安易に拾い上げたようなものになってしまったのか、と。フラグメント側も、当然そのことを考えて、シングル・カットすることに躊躇したのだろう。しかしそのとき、その表現に正当/正統性を与えたのが、「真っ直ぐ作った」という〈リアル〉性である。この曲は他人から安易に思われようと〈リアル〉だから良いのだ、という純粋無垢な〈リアル〉性。なるほど、「母ちゃん」で歌われている心情はクッシーが真摯に向き合って紡ぎ出した言葉が元になっており、間違いなく〈リアル〉なのかもしれない。しかし、何を言っている。その〈リアル〉こそが、表現を危うくするのではないか。〈リアル〉こそ生ぬるいのだ。人一人の内面など、聞き飽きた物語に溢れている。「真っ直ぐ作ったんだから真っ直ぐ出しましょうよ」という〈リアル〉な選択こそが、長すぎる歴史を抱えた現在において、いちばん無力な選択だったのである。唐突だが、僕は小林秀雄を思い出す。小林秀雄は、本居宣長の「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉を参照しながら、次のように述べる。

 
先ず動作としての言葉が生まれたのである。動作は各人に固有なものであり、似せ難ひ動作を、知らず識らずのうちに、限りなく繰り返す事だ。似せ難い動作を、自ら似せ、人とも互ひに似せ合はうとする努力を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返す事だ。その結果、そこから似せ易い意が派生するに至つた。(注4)

 本文は短い随筆の一部であり、書き流したような印象も受けないではないが、それでも学生のときに読んで感銘を受けた文章である。「意」とは意味のことで、小林は「意」を「心情」とも言い換えているが、小林の立場からすれば、内面を反映するものとしての〈リアル〉を、あらゆる事物に先立つものとして想定すること自体が間違いである。まずは具体的で固有な「動作」があって、それを各々が擦り合わせることによって、「心情」らしきものが生まれたのだ、と。したがって「〈リアル〉だから」という理由は、なんら優れた表現の正当性を与えないのである。ヒップホップに限らず、様々な表現を語る際に〈リアル/フェイク〉という図式が採用されているように感じるが、問い直さなければいけないのは、他ならぬ、この――とりわけ、内面との関係として語られる――二項対立である。

愛すべきスチャダラパーへのディス・リスペクト

  00年前後、ジブラやラッパ我リヤなどのハードコアなヒップホップがJポップの中に台頭してくると、少なからず失笑に似た受け止められ方をした。高校生だった僕はその頃、クラスに心を打ち明けられるような友人がいなかったにもかかわらず、むやみに「What’s Up Yo Men!」などと言いたがる男だったので、周囲からは完全に変態扱いされていたと思うが、とにかくそれくらい盲目的にヒップホップに夢中になっていた。それだけに僕は、「ヒップホップってあれでしょ。悪そうなヤツは大体友達のやつでしょ」などという嘲笑交じりの会話を耳にするたびに(本当によく耳にしたものだ!)、とても悲しい気持ちになったものだが、ここで問題にしたいのは、その嘲笑の根底にあるものが、日本人のくせに黒人のマネをしている、という指摘であったということである。すなわち、日本人がヒップホップをするということは〈フェイク〉である、という批判だ。このことは、ヒップホップを日本に輸入した最初期から問題にされている。

それに、ブロンクスから出てきたヒップホップっていうのは、当然のごとく僕らには理解しがたい彼らの現実みたいなものがあったからね。あれだけ強いビートと言葉で出てきたわけだから。たとえば、パブリック・エナミーなんてものは対白人がテーマだったわけでしょう。それ以前にキング牧師の演説であるとか、土台がありますよ、アメリカは。(注5)

平面顔で目の細い、黄色人種然とした顔つき体つきで、新しい物好きの日本人が、最新ヒップホップ・ファッションで決め、ブロンクスやブルックリンの黒人地区に行き、バリバリのストリート・キッズに、「ヨー・ホワッツ・アップ(中略)」なんて声かけたらどうなるか。
なんでぇこのチャイニーズ、俺たちの真似してやがんの、ギャハハハハ、と笑われるのがオチ。マジで石投げられるかもしれない。(注6)

 黎明期におけるヒップホップの紹介者だった近田春夫は、「いまのヒップホップのひとがほんとうに「リアル」を歌いたいのなら、渋谷なら渋谷という土地を、現実の渋谷が喚起される歌詞に定着する訓練をするべきなんだよ」(注7)とも言っている。高校生の僕は、このような批判に対する理論武装もコミュニケーション能力も欠いていたので、泣き寝入りするしかなかったわけだが、とは言え、これらの指摘はなかなかクリティカルなものであり、その批判の有効性はいまもって失われたわけではない。
 96年、日比谷野外音楽堂において、ハーコー勢による「さんぴんCAMP」とスチャダラパーを中心とした「大LBまつり」が週違いで行われたことは、ヒップホップ・ファンならば周知、ヒップホップ・ファンでなくともそれなりに知られた事実である。野音で連続的におこなわれた、この2つのイベントは、目下飛ぶ鳥を落とす勢いだったLB勢と、まるで世間に取り入る気がないように振る舞っていた「さんぴん」勢との対比を強く示した。実際、ECDが「Jラップは死んだ、俺が殺した!」(注8)と言い、ムロが「こんなシーンを待ってたぜ!」と言い、デヴ・ラージが「俺たちが大トリ、次の週の小鳥とは違う」というフリースタイルをした「さんぴんCAMP」は、明らかにLB勢に代表されるお茶の間感のあるヒップホップを牽制していたように思えた。もちろん、四街道ネイチャーが両イベントに出演していたり、スチャダラパー自身が客として「さんぴんCAMP」を見に行くなどの交流があったりと、実質的には両者はそれほど対立していたわけではないのだが、受け手としては「さんぴんCAMP」と「大LBまつり」はいかにも敵対しているように見えた。どしゃ降りの「さんぴん」と澄み切った青空の「LB」という対比も、なんと過剰にドラマティックだったことか。その意味で「さんぴんCAMP」は出来過ぎだったわけだが、重要なことは、90年代におけるハーコーなラッパーたちが、「マス」を対抗軸に置いて自分たちを「コア」と名指すことによって「マス対コア」(注9)という図式を作り、その上で〈リアル〉性を担保していたということだ。しかし00年代、他ならぬ自分たちが大衆(=「マス」)の支持を獲得してしまったことで、その〈リアル〉性は強く問われることになった。日本人のくせに黒人のマネをしている、と。
 さて、日本のヒップホップにおける〈リアル〉の問題に最適解を出し続けていると思われるのが、先ほどから名前が挙がっているスチャダラパーである。ヒップホップは、その誕生の背景と歴史性ゆえに、自分を取り巻く現実を赤裸々に表現することが本質だとする考えが共有されているが、その意味でスチャダラパーは、USヒップホップの表層的な形式をなぞることは本当にヒップホップを体現したことになるのか、という問いをハーコー勢に突き付けていた。Bボーイがズボンの片足をまくるのは、ギャングが銃やナイフを持っていないことを示すためと言われているだが、ではなぜ日本でそれをする? Bボーイが「Yo !」と言うのは、「boy」を逆さにしたスラングだと言われているが、ではなぜ日本でそれをする? 「Say Ho !」というコール&レスポンスは、黒人奴隷と白人の関係から派生したものだと言われているが、ではなぜ日本でそれをする? 「太陽にほえろ」のテーマ曲をバックに「Say オイース!」と登場したスチャダラパーの存在は、ハーコー勢が90年代に謳っていた〈リアル〉が、本場のUSヒップホップに似ているという意味での〈リアル〉に過ぎず、それこそが、自分を取り巻く現実を表現する、というヒップホップの本質に背いているではないか、という痛烈な批判として機能していた。KRSワンが自らの貧困な生い立ちをラップにするように、スチャダラパーは退屈な終わりなき日常をラップする。パブリック・エナミーが、ジェイムズ・ブラウンをサンプリングするように、スチャダラパーは、「サザエさん」をサンプリングする。つまり、自分を取り巻く現実を表現するという意味において、本当に〈リアル〉にヒップホップをしていたのはスチャダラパーではないか、ということだ。無論どのラッパーも、日本でヒップホップをすることの意味を個別に追求していたに違いない。しかし、最適過ぎるほど最適解だったスチャダラパーのクレバーな試みは、少なからずハーコー勢への批評になっていたはずである。
 しかし、何かがおかしい。俺が感銘を受けたのは、「Yo Men !」と言うBボーイではなかったか。俺は、ズボンの片足をまくった、まさにその姿を死ぬほどクールだと思ったのではなかったか。俺は「Say オイース!」ではなく、やはり「Say Ho !」と言いたかったのではなかったか。つまり、あの姿や形、あの動作でないと意味がなかったはずなのだ。「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」――だとすれば、ヒップホップの本質とはなんなのか。〈リアル〉であるとはどういうことなのか。そこそこ恵まれた環境で生まれ育ってしまった俺から〈リアル〉を抽出しようとしても、「母ちゃん、産んでくれてありがとう」くらいのことしか出てこない。何度も言うが、そんな物語はとっくに聞き飽きているのだ。俺は別に、似せ易い「意」に感銘を受けたのではない。あの筋肉質な体による一挙手一投足、あのがなるような声とフロウ、すなわち、似せ難い「姿」に感銘を受けたのだ。だとすれば、為すべきことはやはり、似せ難い「姿」に自らを似せようと、あの動作を愚直に〈反復〉することではないのか。黄色い肌の小さい体と細い腕で、ブカブカの服を着ながら「Yo !」と言い続けるべきではないのか。そのように、徹底してヒップホップの表層的な形式を〈反復〉することのほうが、俺には切実ななにかを感じさせる。もしそれが、必然性の無い形式という意味で〈フェイク〉だと言うのなら、俺は〈フェイク〉でよろしい。俺は、そのとき言われている〈リアル〉に対して、すでに興味を失っているかもしれない。というより、ヒップホップ的な〈リアル/フェイク〉という二項対立自体が不毛なのである。この図式で〈リアル〉を目指すためには、スチャダラパー的に上手な翻訳をするか、もしくは、例えばシンゴ☆西成のように、現実のゲットーにおけるBボーイとして這い上がるしかない。だとすれば、そこそこ恵まれた環境で育ってしまった俺はもう、ヒップホップの論理によって、Bボーイへの道が閉ざされているということになる。不良でなければBボーイにはなれないのか。貧しくなければヒップホップは出来ないのか。
 俺は、インテリなヒップホップのクレバーさを褒めたいわけでも、あるいは、サグなラッパーの〈リアル〉を語りたいわけでもない。自分の資質や置かれている状況、辿ってきた経緯には全然ふさわしくない、にもかかわらず、ヒップホップのあの「姿」に心を奪われ、呪われてしまった人の切実さに対して、言葉を与えたいのである。その言葉を紡ぎたいのである。そのために、まずは〈リアル〉という言葉を撃たなければならない。とりわけ、日本において〈リアル〉なヒップホップを体現し、現在では多くのヘッズからプロップスを獲得しているスチャダラパーに、ディス・リスペクトを捧げなければならない。ディス・リスペクトとは良い言葉である。批判相手に対しても「リスペクト」が保存されている。スチャダラパーが日本のヒップホップに果たした功績は疑うべくもない。

ヒップホップのヒップホップたる根拠

  くり返すが、スチャダラパーに捧げるディス・リスペクトには、「リスペクト」が内包されている。しかし、日本のヒップホップ・シーンにおけるスチャダラパーの意義が疑うべくもなくなってきた現在だからこそ、別の切実さのもとで為されてきた〈リアル/フェイク〉をめぐる格闘に言葉を与えたい。その切実さとは、次のようなものである。

 一時期、黒人になりたくて、なりたくて、しょうがなかった。
 もちろん無理なんだけどさ。
 ヒップホップが好きになってしばらくは、自分自身が日本人であることや、日本で育っていることがイヤでしょうがなかった。向こうのヤツらとは根本的に違うと思った。(注10) 

 ジブラの言葉だが、ここには、ヒップホップにかぶれ黒人に憧れるがゆえの〈変身〉願望が存在している。このような〈変身〉への欲望は、必然性の無い表層的なコピーという意味では〈フェイク〉に他ならないが、何度も言うように、むしろ〈リアル/フェイク〉という二項対立の図式こそを問わなければならない。先の「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉は、本居が万葉集について述べたときの言葉だが、この言葉を受けた小林は、別のところで「「万葉」の秀歌は、言わばその絶対的な姿で立ち、一人歩きをしている」(注11)とも言っている。小林が強調するのは、個別具体的な動作は「絶対的な姿」として屹立している、ということであり、「意」とはその「絶対的な姿」を通じて結果的に形成されたものである、ということである。ひとつひとつの個別具体的な「姿」の集積こそが「意」を形成するのだ、と。そこでは、対立図式では捉えきれない「姿」と「意」の関係がある。
 この小林的な立場をヒップホップ的な〈リアル/フェイク〉の問題系に置き換えるなら、〈フェイク〉な〈身振り〉の集積こそ〈リアル〉を形成する、ということになる。70年代のニューヨークで、「Yo !」と言い、手を振りかざしていた――その無根拠な〈身振り〉の集積こそが、結果的に〈リアル〉と呼ばれるものを形成していたのではないか、と。だとすれば、「ヒップホップの本質」などと言って、端から安易に〈リアル〉を抽出しようとしてはならない。ここで、佐藤雄一の「絶対的にHIP HOPであらねばならない」(『現代詩手帖』12・12~)という問題意識が関わってくる。ちなみに、僕は共通の知人を介して佐藤と知り合ったが、いまでもよく覚えている、佐藤は「ヒップホップのDJ」として紹介された僕に対して、拳を突き出してきた。僕は不覚にも一瞬間を置いてしまったが、すぐに佐藤と拳を合わせた。グラスを持っていないときの乾杯として拳と拳を合わせるのは、クラブではお馴染みの作法である。つまり、佐藤は僕に、クラブ的な〈身振り〉としての挨拶をしてくれたのだ。クラブでは、初対面の者同士が過剰に握手をしたりハグをしたりする光景をよく見るが、普段は絶対にそんな挨拶はしないだろうという点で、やはり〈フェイク〉な身振りである。僕が佐藤に初めて会ったのは文学フリマの会場だったのだが、その、クラブとは程遠い空間で、〈フェイク〉極まりない挨拶をしてくれた佐藤を、僕はBボーイとして信頼できると思った。僕自身が、文学フリマの会場でヒップホップ的な〈身振り〉をする力強さが無かっただけに、「ヒップホップのDJ」という情報のみで、僕と拳を合わせようとしてくれた佐藤の、ヒップホップへの信頼と覚悟を、勝手に、しかし十二分に受け取ったのである(と同時に、僕は自分のヒップホップへの覚悟の無さを突きつけられた)。したがって今回、その佐藤が連載にあたって、他でもなく「絶対的にHIP HOPであらねばならない」と掲げたことは、個人的に意義深く感じているし、Kダブ・シャインの言葉を借りれば、完全に「同意見」(キング・ギドラ「公開処刑」)なのである。
 さて、佐藤は「絶対的にHIP HOPであらねばならない」において、都築響一「夜露死苦現代詩2・0 ヒップホップの詩人たち」(『新潮』11・6~)を指して、ヒップホップが「疎外論的な「図式」」のみで語られることを批判的に捉えている。佐藤は、「その図式にこだわるほど、個々のジャンルの独自性が無視され」る、と述べ、「疎外論的な「図式」」で捉える限り、その題材が入れ替え可能であることを指摘する。これは〈リアル/フェイク〉議論全般に言えることだ。ヒップホップを〈リアル〉という言葉で抽象化した瞬間、それはヒップホップ以外のものを呼び込んでしまう。ヒップホップを「社会的抑圧者の表現」として本質化した瞬間、それは例えばパンクを呼び込んでしまうし、ヒップホップを「サンプリングの表現」として本質化した瞬間、それは例えば現代アートを呼び込んでしまう。つまり、そのくらい「意」というのは似せ易いし、ありふれているし、生ぬるいのである。このことは、日本のヒップホップ黎明期を支えたメジャー・フォース勢が、いずれもパンク~ニューウェイヴ出身であるということとも大きく関わる。日本におけるヒップホップの重要な紹介者のひとりである近田春夫は次のように述べる。

 なのに、それが新しいんだっていうような意識を持ってちゃだめだと思う。いまやっていることは新しくないんだと、そうじゃなくてその精神を受け継ぐちがうものはなんなのかっていうところに、みんなどうしていかないのか。
 かっこひとつにしても、十年まえだったらB‐BOYファッションも、街で見かけたら〈なんだこれは〉っていう変なものだったけれども、いまは適当なものをみつくろってきたら、だれでもB‐BOYになっちゃうじゃない。そうなっちゃったら、買う気も起こらない。(注12)

  ヒップホップが出現する以前から音楽に携わっていた者も多いメジャー・フォース勢は、ヒップホップにおける「新しさ」の「精神」に衝撃を受けたわけだが、それは同時に、ヒップホップが「新しさ」を失ったとき、各々がBボーイのファッションを手放し、次のものへ向かって行かざるを得ないことを意味している。近田のように、ヒップホップ・ムーヴメントをある種の「新しさ」として規定した瞬間、そこには「絶対的にHIP HOPであらねばならない」理由が無くなってしまう。ジブラは、近田といとうせいこうについて、「あくまでもミュージシャンが新しいジャンルを取り入れているというスタンスだったと思う」と述べ、「オレは〝ヒップホップを取り入れた音楽〟を聴いてきたのではなくて、〝ヒップホップ〟そのものを聴いてきたんだよね」(傍点引用者)と続けるが(注13)、この言葉には、「黒人になりたい」という「姿」の水準でヒップホップに接するジブラ的なあり方と、「新しさ」という「意」の水準でヒップホップに接する近田的なあり方の違いがよく表れている。メジャー・フォース勢のあり方を、「新しさ」への興味という形で単純化するつもりはもちろんないが、両者のヒップホップに向かう態度の根底には、愚直に「姿」に没入するか、クレバーに「意」を抽出するか、という対立がある。ちなみに佐藤も、ヒップホップを「「新しさ」を生み出して続けていくフィロソフィー」と抽象化して規定しているのだが、そこで佐藤が、「新しさ」をスティーヴン・スペンダーに倣って、「コンテンポラリー(やがて古くなる新しさ)」と「モダン(持続する新しさ)」と区別していることには注意が必要だ。この区別は、本稿におけるジブラ/近田の対立になぞらえることができる(ジブラ=「モダン」的/近田=「コンテンポラリー」的)。むしろ佐藤は、「「新しさ」を生み出して続けていく」というメタな運動としてヒップホップを捉えている。
 本稿と似た指摘は、すでに磯部涼がおこなっている。先のジブラの言葉も引用している磯部は、ジブラ/近田とほぼ同型の対立を、「ホコ天一派」/「メジャー・フォース一派」という同時代的な対立に見出す。 

 ホコ天一派とメジャー・フォース一派との対立とは、つまるところ、輸入文化に対する、ファンダメンタリズムとポスト・モダニズムの対立であった。オリジナル――この場合、ブロンクス起源のヒップホップ・カルチャー――に忠実に表現するか、そこに独自の解釈を加えるか。
 パンク/ニュー・ウェーヴの流れでヒップホップを捉えた(実際、アフリカ・バンバータを始め、この時期のヒップホップ・アーティストはニュー・ウェーヴとの交流も多かった)メジャー・フォース一派は、ニュー・ウェーヴ流の「何でもあり」の思想に倣ってヒップホップをどこまでも拡大解釈していく。(中略)脱構築を繰り返していった結果、ヒップホップにこだわる意味は薄れていき、タイニー・パンクスは活動休止、ヤン富田は現代音楽そのものへ、いとうせいこうは文学へ、近田春夫はトランスへとフォーマットを移していく。(注14)

 非常に鋭い指摘であり、この記事自体も、メジャー・フォースを出発点にした日本のヒップホップ正史を相対化する意欲的な試みだと思う。その意味で、この磯部の仕事は、『JAPANESE HIP-HOP HISTORY』(千早書房 98・5)を受け継ぐ重要なものだと言える。引用部の磯部も指摘しているように、そして本稿でもくり返し指摘しているように、メジャー・フォース的な態度は、「ヒップホップにこだわる意味」を薄れさせていく。ただしそれは、磯部が言うような「何でもあり」の「脱構築」のみが要因というわけではない。ヒップホップを本質化し、抽象化すること自体が構造的に、「ヒップホップにこだわる意味」を薄れさせるのだ。このことは、カルチュラル・スタディーズが、パンクとモッズとヒップホップを同列に語ることとまったく同型である。だとすれば、ヒップホップのヒップホップたる根拠とは、あの一挙手一投足としか言いようのない〈身振り〉に他ならない。その意味で、似せ難い「姿」を愚直に反復しているようなジブラ的なあり方には、やはり〈リアル/フェイク〉では括れない説得力がある。この、ともすれば〈フェイク〉にされがちな〈変身〉欲望の側面を捉えた言説は、あまり見かけない。もちろん、ヒップホップの本質を見極めようとすることで、説明体系が作られ、それによって有効に理解されてきたという側面はある。しかし、ヒップホップに限らず、〈リアル〉という抽象化・本質化こそが、ある場面ではそのものを遠ざける。磯部自身、日本語ラップの熱心な紹介者として一般的には認知されているものの、「筆者はこの一〇年、ラップという会話に近いヴォーカルを通して狭い仲間内の関係からコミュニティの再編を試みる日本語ラップや、逆に、言葉を捨て去りトランスのレヴェルでつながるミニマルテクノに興味を見出していたのだ」(注15)とも言っている。磯部も磯部で、ヒップホップというよりは、そこに派生したコミュニティのあり方を記述の対象にしているため、対象ジャンルはハードコア、近年ではシンガーソング・ライターなど、移ろいやすい。無論、批判されるべきことではない。しかし、抽象化・本質化を語ることで見過ごされる側面については強調したい。したがって、本稿では一切の「○○はヒップホップ的である」という措定を許さない。具体的には、いとうせいこうによる「印籠はヒップホップ的である」という言い方、宇多丸による「タランティーノはヒップホップ的である」という言い方などである(ちなみに、宇多丸という人の〈リアル/フェイク〉をめぐる試みもそれ自体重要なものなのだが、それについては措く)。しつこく強調するが、このような見立ては一方で効果的な説明体系を作ってきたのであり、それ自体を批判する気は一切無い。カルチュラル・スタディーズについても然りである。しかし、このクレバーな見立てこそが、一方で、「黒人になりたい」と思ってしまった人の、搾取的で危うい、しかし切実な欲望を遠ざけるのだ。宇多丸自身の言葉で返せば、これは、「夢別名呪いで胸が痛くて」(ライムスター「ONCE AGAIN」)という人の切実さである。そう、ある日、理不尽に呪われてしまっただけなのである。図書館で借りたCDに、心の底から驚いてしまっただけなのである。必然性など端から無いのである。その意味では、どこまで行っても〈フェイク〉なのだ。この〈フェイク〉な振る舞いに向き合いたいのだ。本稿は、ヒップホップのヒップホップたる根拠は、あの具体的な〈身振り〉を措いて他にない、というハードコアな〈身振り〉原理主義の立場を取る。ヒップホップは、〈あの身振り〉を中心とした〈差異〉と〈反復〉によって、ゆっくり進んでいる。これが、本稿の前提条件である。もちろん、一口に〈身振り〉と言っても、それは時代と流行によって変化する。フレッシュさを失ったスタイルや〈身振り〉はいくらでもある。しかし、スタイルがいかに変化するときでも、つねに、変化しなかった方の、残された〈身振り〉が存在している。小林秀雄の言葉を借りれば、そこでは「似せ合はうとする努力を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返」している。でなければ、それはヒップホップたる根拠を無くしてしまうからだ。だから、〈差異〉と〈反復〉なのである。ヒップホップにおいてはとくに、過去のスタイルとの連続性意識しつつ(〈反復〉)、フレッシュなスタイルを探っていく(〈差異〉)。宇多丸が正しく言うように、「ご先祖たちの探求に一コ付け足す独自のブランニュー」(ライムスター「K.U.F.U」)ということだ。本稿ではこの、〈反復〉のほうをこそ重要視している。(続く) 

 
(1)千田洋幸「文学教材論の前提――三つの「サーカス」に触れながら」(『月刊国語教育』02・5、収録は『テクストと教育――「読むこと」の変革のために』渓水社 09・6)
(2)石原千秋『国語教科書の思想』(ちくま新書 05・10)。
(3)ヒップホップ・サイト『Amebreak』による「Fragment INTERVIEW」
http://amebreak.ameba.jp/interview/2010/12/001818.html)。
(4)小林秀雄「言葉」(『文藝春秋』 60・2、収録は『考えるヒント』文春文庫 74・6)。
(5)後藤明夫・編『Jラップ以前――ヒップホップ・カルチャーはこうして生まれた』(TOKYO FM出版 97・8)における小玉和文の発言。
(6)VA『HIPHOP JAM』(ソニー)における生田ミッシーナの解説。
(7)近田春夫・いとうせいこう「対談 オレたちだって、騙してよ――Jポップな日本語、その意味は?」(『ユリイカ』03・6)。
(8)「Jラップ」という言い方はm.c.A・Tが作ったとされ、ハーコー勢から忌み嫌われていたが、『日本語ラップ伝説』(リットーミュージック 11・12)によれば、いまや「普通にまかり通っちゃっ」(東京ブロンクス)ている。また磯部涼は、「〈J-RAP〉って、よく言われてるようにホントにm.c. A・Tが作った言葉なのかな? 出典を調べてるんだけど、出てこないんだよね」とも言っている。
(9)ECDによる95年の曲で、アルバム『ホームシック』に収録。「アンチJラップここに宣言」というパンチラインが有名。
(10)ジブラ『ZEEBRA自伝――HIP HOP LOVE』(ぴあ株式会社 08・11)。
(11)小林秀雄『本居宣長(上)』(新潮社 77・10)。
(12)後藤明夫・編『Jラップ以前』(前掲)における近田春夫の発言。
(13)前掲注10。
(14)磯部涼「ヤンキーとヒップホップ――ソウル族からBボーイへと続くもうひとつのヤンキーの歴史」(五十嵐太郎・編『ヤンキー文化論序説』河出書房新社 09・3)。
(15)磯部涼「前野健太」(『ユリシーズ』10・10、収録は『音楽が終わって、人生が始まる』アスペクト 12・3)。

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