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ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として2/4

※本記事は2012年に執筆し、同人誌『F』第10号(特集:擬装・変身・キャラクター)に掲載したものです。

ジブラ的「責任」/メジャー・フォース的「無責任」

 11年5月18日に、若手ラッパーの筆頭であるラウデフが、ツイッター上で、「せんせんふこく」というメッセージとともに、ジブラへのディスソングを発表した。僕の個人的な印象として、このビーフは非常に唐突なものに思えたし、ツイッターにおける不特定の感想を目にする限り、同じように唐突さを感じた人は少なからずいたようだった。ディスやビーフについては、肯定的な立場であれ否定的な立場であれ「ヒップホップ文化である」の一言で片づけられることが多いが、個人的にはやはり、そこではある種のセンスが問われていると思う。すなわち、機を見るに敏というか、聴き手を「俺/私もそう思っていた!」と勘違いさせるような、潜在的な欲求に初めて形を与えるような、すなわちタイミングが重要なのだ。プロップスがなんとなく飽和したと感じられ、新世代の台頭も含め、本人の立ち位置が少し下降しているのか、していないのか。後から振り返ればディスソングというのは、つねにそのような時期に、世代交代/立場逆転を告げるものとして機能していた。その意味で僕は、キリコ「Dis Is It」におけるコマチへのディスは素晴らしかったと思っているのだが、いずれにせよ洋邦問わずディスやビーフというのは、潜在的な欲求を味方につけてジャンルの活性化につながる生産的な役割を果たす、という地点に到達してこそ、「ヒップホップ文化である」と言われていたと思う。
 このような考えに照らすと、ラウデフによるジブラのディスはセンスの悪いもの、すなわち、タイミングの悪いものだと思えた。おそらくジブラという存在は、11年5月18日時点において、プロップスが飽和しているどころかむしろ、その偉大さが再確認されていたはずなのだ、潜在的に(潜在的に、と言う時点で明確な根拠はゼロなのだが)。ディスされる直前、ジブラはラウデフを自分のイベント「HARDCORE FLASH」にオファーし出演させていたが、このことに象徴的なように、まさにラウデフのような新世代のラッパーが活躍する土壌を作り上げた大きな存在の一人がジブラだった。日本語ラップのファンは、MSCやシーダ以降の――Jポップ的な翻訳を通過した、あのヒップホップとは別の――ヒップホップが、シーンとして成熟しているのを見るにつけ、さんぴん世代の活動に思いを馳せていたはずだ。無論、これは僕個人の感慨でしかないが、同時に、僕はこれが少なからぬ日本語ラップ・ファンの感慨であるという確信も持っている。すなわち、これこそが潜在的な思いとしか言いようのないものである。ジブラをディスるな、ということではない。もう少し前でももう少しあとでも良かったと思うのだ。しかし、11年5月18日という選択だけは、タイミングとして悪かったのではないか。
 その後、ラウデフによって仕掛けられたビーフは、ジブラによるアンサーとそれを茶化したかのようなラウデフのアンサーによって終了となった。最終的にラウデフは、ツイッター上でジブラに向けて、「この度は、ガキの遊びに付き合ってもらってありがとうございました!」というメッセージを送っている。真意はいまいち不明だが、おそらくラウデフは、ビーフ自体を冗談として扱っていたのだろう。僕にはこの冗談も、たいして面白くないタチの悪い冗談としてしか映らなかったが、一方で、ビーフというもの自体に重い意味を込めないことで、カジュアルにラップを楽しんでいるラウデフの姿を好意的に捉える声も聞く。なるほど、どうも保守的な僕には分からなかったが、若い感性を持つ日本語ラップのファンにはそのように映っているのかもしれないし、それはそれで理解できないこともない。だとすれば、ラウデフによるディスも、僕にはキャッチできなかったが何らかのタイミングを掴んだものだったのかもしれない。僕もアンテナを磨かなければならない。とは言え、そのときの僕が目を向けざるをえなかったのは、やはりジブラのアンサーソングだった。

真夜中三時 丑三つ時 突然の発作 始まる病気
激しい鼓動 激しい動悸 末期的症状 漲る狂気
ジキルとハイド スキルとプライドが引きずり出す俺のイーヴィルなサイド
白黒付けるなら今の俺はBlack 子供相手にBiggie & 2 Pac
幼児虐待 リリカル・スプラッター 速効Murder 目の前で火付けるバーナー
突然掌返した君に 裏で糸引いてる誰かの耳に
歳がどうの? Yes, I'm 40 だがステップすりゃ最後 U dead like zombie
東電もびっくりの責任転嫁 トチ狂って年上にライムでケンカ?
若手いじめるのは柄じゃねえ だから忘れんなよ これはお前のゲーム
正にスピルバーグVSジョージ・ルーカス 1ヴァースでお前の背筋凍り付かす
神よ 許したまえ奴の罪を 若さが故の過ちと無知を
銃に生きる者は銃に死す様に Beefに生きる者はBeefに死す
神よ 与えたまえ奴に罰を 愚かな裏切り者の結末を
銃に生きる者は銃に死す様に Beefに生きる者はBeefに死す 

 ジブラによるアンサーソングのリリックも複数の解釈が可能だろうが、僕はその歌詞にとても深い意味を受け取った。妄想かもしれないが、というか妄想だと思うが、とにかく受け取った。両者の曲についてはウェブを検索すればすぐ聴けると思うので、ぜひ聴いて欲しいと思うが、驚くのは、「下剋上 by 新世代のリーダー そろそろ白黒つけようぜジブラ」と言うラウデフに対して、ジブラが「白黒つけるなら今の俺はブラック」とあっさり現時点での負けを認めてしまったことである。ビーフにおいて物を言うのがラップのスキルだということは前提も前提のことであり、ラウデフが言う「下剋上」という言葉も、ラッパーはラップのスキルの前に平等に開かれている、という前提から発されたものである。ベテランだかなんだか知らないが俺のスキルのほうが上だろう、と。すなわち、「下剋上」。しかし、この前提を無き物にするかのように、ジブラはあっさり負けを認める。とりわけラウデフは、スキルという点で圧倒的な支持を得てきたラッパーである。ラウデフを期待の若手としてフックアップしていたジブラは、ラップのスキルという点において最初から勝とうともしていないようである。ジブラはラウデフに対して、「だから忘れんなよ これはお前のゲーム」と言う。俺のゲームではなくて「お前のゲーム」だ、と。つまりジブラは、少なくとも今のジブラは、ラップのスキルを競うような勝負のみをしているわけではない。ジブラは、ラウデフの「悪いが老いぼれ先は短いぜ」「ぶっちゃけ隠しきれない衰え」というラインに反応を示し、アンサーソングの中で「年がどうの? Yes, I’m 40」と、若くはないことをわざわざ確認する。では、ベテランになってしまったジブラはどのような勝負をしているのか。ジブラは近年、ツイッター上で、しばしば次のような発言をする。

 ようやっとTwitterが収まってきました。皆熱いTweet本当にありがとう。解散の理由はただ一つ「責任」です。一人一人の結果が出ないまま随分時間が経ってしまいました。日本を代表するクルーの一つとして、これ以上ダラダラと続ける訳にはいきません。

2010.3.24

 この国にもヒップホップが根付くと思わせた責任です。

2010.3.4-16:15

 俺はいつもヒップホップに対して責任を感じてる。「お前なんかに考えてもらう必要ない」って言う奴も居るだろう。でも俺は考える。だって、全体に対して本気で責任を感じてる奴が何人居る?誰も考えなくなったらどうなる?終わるぜ。絶対。

2011.8.18-1:52

そう。風呂敷を広げて皆に中途半端な夢を見させた責任です。中途半端じゃ終われません。

2011.8.18-2:01

 「責任」という言葉が意識的に使われているが、とくに「この国にもヒップホップが根付くと思わせた責任」という言葉は深いと思う。そもそも、「ヒップホップが根付く」とはどういうことなのか。たしかに、「今夜はブギー・バック」や「DA.YO.NE.」など、わかりやすく日本流に翻訳したヒップホップとは別の、ハーコー感のあるヒップホップを広めた立役者はジブラだと言える。もちろん、ジブラが表舞台に出てくる土台を作ったのが、90年代前半のスチャダラパーや中盤のイースト・エンド+ユリ、あるいはm.c.A・Tやダ・パンプだったことは忘れてならないが、ハーコー・ヒップホップが人口に膾炙する直接的なきっかけとなったのは、やはりドラゴン・アッシュ「Greatful Days」におけるジブラの客演であったと言える。ジブラはそこで、あまりにも有名な「俺は東京生まれヒップホップ育ち/悪そうなヤツは大体友達/悪そうなヤツと大体同じ」というラップを披露するのだが、冒頭にも述べたとおり、この、いかにもなパンチラインは、ヒップホップに馴染みのない人たちの失笑を少なからず買うことになった。とは言え、それ以降、ジブラやユー・ザ・ロックの強烈なキャラクターもあいまって、日本のハーコー・ヒップホップは急速に認知を得ることとなる。したがってなるほど、良くも悪くもジブラは、ハーコー・ヒップホップを広めた筆頭だと言える。その意味で、「Greatful Days」が発表された99年という年は、日本のヒップホップにおいて大きな意味を持っていた。しかし一方で、このジブラの行動、及びドラゴン・アッシュそれ自体を良く思わなかった向きもあった(というより、ジブラ自身もその後の降谷健二の振る舞いを良く思わなかったということがあり、事態はやや複雑なのだが)。
 日本のヒップホップ史における99年は、「Greatful Days」が発表された年であるとともに、ECD『MELTING POT』が発売された年でもある。ヒップホップにどぷりと浸かっていた僕は、当時このアルバムを聴いて、とても困惑したことを覚えているが、ECD自身、この作品については「ヒップホップでなければ何でもいい」(注16)という態度で臨んでいた。ECDは、96年の「さんぴんCAMP」をオーガナイズし、先述したようにハーコー・ラッパーとしての立場から「Jラップは死んだ、俺が殺した!」と叫び、97年には『BIG YOUTH』というヒップホップの名盤を発表している。そのECDはしかし、同時期にアルコール中毒に悩まされていたこともあり、その頃にはヒップホップに対する興味をすでに失っている。また「Greatful Days」をめぐっては、「そんな日本語ラップならこっちから先に縁を切ってやるというヤケッパチな気分になっていた」「処世術でしかない音楽」(注17)と語っており、「楽屋に本人がいるのを知りながら、ジーブラとドラゴン・アッシュの共演を「おまえら、あんなんで満足してるのか」とマイクで煽」(注18)った、とも書いている。握手を求めてきた「ニキビ面に流行りのナイロン製の被りものがまったく似合っていないそのB・ボーイ」に対して、「一日も早くこんな奴らとは無縁になりたいと願うのだった」(注19)と語っているのも印象的だ。つまり、「「黒人によるパンク」という表現に僕は興奮した」(注20)と振り返るECDにしてみれば、巷で言われているヒップホップに〈リアル〉を感じることができず、ヒップホップが退屈な形で広がっていくことに強い反発を感じていた、ということである。実際、ECDはその後、急速にヒップホップ・シーンから距離を取り、ハードコアやオルタナティヴのバンドとともに活動するようになる。だとすれば、ここにはジブラとECDをめぐって、「さんぴんCAMP」「大LBまつり」のときには見えづらかった対立が存在している。すなわち、ヒップホップをめぐってのジブラ/近田的対立である。たしかに思い出せば、ECDこそは、ノイズ~パンクを経てヒップホップに接近し、デビューはメジャー・フォースからだった。「さんぴんCAMP」をオーガナイズしていたことで見えづらくなっていたが、現在の活動も含め、ECDは経緯だけ見れば、そもそも「絶対的にHIPHOPであらねばならない」人ではなかったのだ。
 一方、ジブラの「俺は東京生まれヒップホップ育ち/悪そうなヤツは大体友達/悪そうなヤツと大体同じ」というくだんのラインは、その時点で『RHYME ANIMAL』という完成度の高いラップを披露していたジブラにしては、少し素朴に過ぎるとも感じられる。しかし、ジブラの言う「責任」とは、このラインによく表れている。このことについて宇多丸は近年、ラジオで重要な指摘をしている。すなわちこのラインは、ヒップホップ・ファン以外のリスナーが聴くことを想定したジブラが、「悪そうなヤツ」「大体」というわかりやすい韻を踏むことで、一般リスナーにライミングの何たるかを示している、と。しかもジブラは一方で、「育ち」「友達」「同じ」「この街」とタイトな脚韻を同時に踏むことで、コアなヒップホップ・リスナーへの配慮も行なっているのだ、と(注21)。だとすればジブラは、自らが〈フェイク〉だとされ、失笑と反発を買うことを引き受けたうえで、ともすれば稚拙と思われるライミングをしながら、「悪そうな」〈身振り〉を続けた。なぜか。「この国にもヒップホップが根付く」と信じたからである。かつて「黒人になりたい」と思った自分と同じように、〈フェイク〉な勘違いだろうがなんだろうが、自分の〈身振り〉を模倣し、自分に〈変身〉しようとする。そんな次世代が現れれば、それこそがまさに、あのヒップホップが日本に根付くことになるのではないか――そのために、〈あの身振り〉を愚直に〈反復〉していたのである。したがって、ECDが「一日も早くこんな奴らとは無縁になりたいと願う」、その「ニキビ面に流行りのナイロン製の被りものがまったく似合っていないB・ボーイ」こそ、ジブラが求め、引き受けようとした存在だったはずだ。ジブラは、このBボーイのように、「まったく似合っていない」にも関わらず、〈変身〉させてしまった「責任」について語っているのだ。すなわち、「風呂敷を広げて皆に中途半端な夢を見させた責任」である。
 ECDがデビューするのと同時期、ECDの積極的なフックアップもあって、やはりメジャー・フォースからデビューしたのはスチャダラパーだったが、そのスチャダラパーは、「はじめに」という曲で、「無責任一代男」のフレーズをサンプリングしている。この曲が収録された『スチャダラ外伝』(アナログ版、CD版には未収録)は、スチャダラパーが他ジャンルのミュージシャンとコラボレーションするというコンセプトになっており、くしくも「絶対的にHIP HOPであらねばならない」という考え方から大きく外れた作品である。本稿は、スチャダラパーにディス・リスペクトを捧げることから始めたが、この、ジブラの「責任」とスチャダラパーの「無責任」の対比は、図らずも両者の性格を象徴している。 

オレたちにも聴こえる特殊な伝播

 さて、00年代後半になると、まさに「日本にヒップホップが根付」いたかのような流れが出てきた。それは、磯部涼が次のように紹介するような流れである。

 一方で、前著でフィーチャーしたMSCのように、到底、メジャーからはリリース出来ない、イリーガルなリリックを歌うグループが登場、その表現は、八〇年生まれのラッパー、SEEDAがハスラーとしての生活を振り返った、ラップによるピカレスク小説、あるいはプロレタリア文学とも言える、〇六年のアルバム『花と雨』で頂点に達する。(注22)

 それが、アナーキーになると、彼の場合はその生い立ちや現在の環境を歌うだけで、そのままオリジナルに近いヒップホップになってしまう。前の世代が歌うとどこかとって付けたようだったセルフ・ボースティングものやメイク・マネーもの(…)も、新自由主義と格差社会がキーワードとして浮上した現在の日本ではリアリティがある。(注23) 

 00年代後半からは、日雇い労働者街や被差別部落など、まさに日本のゲットー的な状況や、ドラッグ売買などの経験をラップする一群が登場してきた。最初の引用における磯部によれば、「彼等はアメリカの影を追い求め続けた結果、いつの間にかその影と同化してしまったのだ」。このような、日本についに登場したハーコー・ヒップホップは、例えばシンゴ☆西成「ILL 西成 BLUES(GEEK REMIX)」について、「これをアンチ競争社会、アンチ新自由主義社会の曲と言わずして何と言おうか」(注24)と評されるように、しばしば「社会的抑圧者の表現」として歓迎された。先の都築響一「夜露死苦現代詩2・0」も、こうした評価の仕方の延長上にあると考えて良いだろう。なるほど、たしかに磯部の言うとおり「新自由主義と格差社会」は、ヒップホップの表現に「リアリティ」を与えただろう。「前の世代が歌うとどこかとって付けたようだった」という〈フェイク〉感覚も共有できると思っている。しかし、これではヒップホップというものがあまりにも時代に左右され過ぎている。ここで考えたいのはむしろ、「どこかとって付けたようだった」にも関わらず、愚直に〈反復〉され続けた「前の世代」の〈身振り〉について、である。実際、「生い立ちや現在の環境を歌うだけで、そのままオリジナルに近いヒップホップになってしまう」アナーキーは、そのリリックのなかで、「少年院で見るテレビにジブラ/消えかけたローソクに火をつけた」(アナーキー「K.I.N.G」)とラップしているではないか。「邦楽ラップ界の重鎮ジブラが出演する音楽番組を目にしたことが、本格的にラッパーを志す転機になった」(注25)とも。そう考えると、アナーキー的な「リアリティ」を誕生させた土台として、ジブラ的な「どこかとって付けたようだった」という、ともすれば〈フェイク〉な〈身振り〉は無視できないはずなのだ。
 アナーキーがこのとき少年院で観た音楽番組は、『HEY! HEY! HEY!』(フジテレビ系)だったと言われている。この回は僕自身も観た記憶があり、よく覚えている。放送では、松本人志が『ガキの使いやあらへんで』(日本テレビ)において、例の「俺は東京生まれヒップホップ育ち」をネタにしていたことについて、ジブラが「普段、パクリはいけないと言っているのに、パクっていたじゃないか」と冗談半分で詰め寄っていた。ここには、重要な論点がいくつもある。まずわかりやすい点を言えば、ECDが「処世術でしかない音楽」と言った「Greatful Days」の、まさにその「処世術」的側面によってジブラは有名になり、ゴールデンタイムのテレビ出演まで果たした、ということだ。このことは、語弊を承知で言えばセルアウトとも言えるが、そのセルアウトは結果的に、アナーキーという、ついに日本でも「リアリティ」を獲得したとされるラッパーを誕生させたのだ。現在から振り返るのであれば、「Greatful Days」におけるジブラの「処世術」的側面が同時に、次のシーンの土台となっていたことには目を向けたい。とは言え、いま述べたことは一般論であり、当然と言えば当然の話だ。この『HEY HEY HEY』のエピソードが物語る射程は、もっと広い。それについて考えるためには、他ならぬ、お笑い芸人である松本人志がジブラをネタにしたことの意味こそを問わなくてはならない。
 少し遠回りするが、磯部涼は『SRサイタマノラッパー』評の枕に、次のようなことを書いている。

恵比寿駅から山手線に乗ると、座席に座った大柄で強面のB・ボーイがヘッドフォンでおそらくインストゥルメンタルのトラックを聴きながら、リリックの書かれたメモ帳を見て、一心不乱にラップの練習をしていた。声は出さずに口だけ動かして、手は例のラッパーの仕草である。その姿を見て周りの乗客はクスクス笑っているが、彼はそれに全く気付いていない。僕はいたたまれなくなってしまって、渋谷駅で逃げるように飛び降りた。その時、僕は日本語ラップがいまだ、日本社会において明らかに異物であり、しかも、その原因は日本社会というよりも、日本語ラップ自身にあることを思い知った。リップ・スライムやKREVAのように、臭みを消してそこに溶け込むよりは、異物である方がずっとましだろう。ただ、彼の服装や仕草は全く板についていなかった。どこか借り物のように、コスプレのように感じられた。それは、彼が若い、無名な日本語ラッパーだったからではない。それが例えばZEEBRAだったとしても乗客は笑っただろう。(注26)

 ここで確認しておきたいことは、磯部が見た光景において、「例のラッパーの仕草」という、まさに〈あの身振り〉を愚直に〈反復〉しているBボーイの「服装や仕草」が、「借り物」「コスプレ」――すなわち〈フェイク〉だと感じられた、ということだ。加えて、「異物」感のある〈フェイク〉な〈身振り〉が、当然のことながらではあるが、「クスクス笑」いを生んでいる点も見逃せない。端的に言って、このBボーイはイタい存在である。このような、周囲が見えなくなっている存在のことを俗にピエロ(道化師)と言う。その通りだ。磯部は「それが例えばZEEBRAだったとしても乗客は笑っただろう」と述べているが、ジブラはおそらく現在であっても、少なからずイタいと思われ、ピエロのように見られ、失笑を買っている。しかし重要なのは、まさに、この「笑われる」ということなのだ。山口昌男(注27)は、サーカスにおける道化――すなわち、ピエロの演技について、「日常生活における身体のリズムとは別のパターンを作り出す」と指摘した上で、「その増幅又は省略による齟齬感は、日常生活の慣習化した身体のリズムの組織化と異なるために、「笑い」を引き起こす」と述べる。つまり、「日本社会において明らかに異物」だからこそ、「例のラッパーの仕草」という「身体のリズム」は「クスクス笑」いの対象になっているのだ。山口は別のところで、「サーカス道化は、ダブダブズボン、ミニ帽子、途方もなく大きいドタ靴によって、通常人の世界に寸法を合わせることができないことを示す」(注28)と述べているが、その姿はくしくも、リュウゾウによって「上下迷彩/足はティンバーランド」(サイプレス上野とロベルト吉野「START LINE」)と歌われる、駆け出しのBボーイを指しているかのようである。ジブラを含め、「日常生活」に溶け込まない〈フェイク〉な〈身振り〉は、「道化」として笑われてしまう。しかし、山口はこうも続ける。

しかし、その「笑い」によって、効用性の体系から離脱する権利を認められる。こうして道化に認められる自由は、同時に、彼を人間の範疇から押し出す働きもする。その自由を逆手に使って道化は、新しい綜合(トータリティ)への道を示す。(中略)笑いは、事物を日常的文脈から切り離して、宇宙的リズムに置き換える最も身近で有効な手段である。(注29)

 周囲から笑われる〈フェイク〉な〈身振り〉はしかし、その〈フェイク〉性ゆえに、創造性を孕んでいる。山口の道化をめぐる議論は、トリックスター論として知られているが、山口によれば「トリックスターの「にせもの」性には絶えず、「新しさ」の感覚がからんで来る」(注30)。「にせもの」(=〈フェイク〉)ゆえにフレッシュ。無論、これらの道化をめぐる議論は、ヒップホップ以外にも適用され得るものである。言説だけを取り出せば、「新しさ」を志向する近田的な立場との親和性も高いだろう。その意味で、このような理論の適用は他ジャンルを呼び込みやすい。むしろ、ピエロをはじめ、人形、仮面、化粧などのモチーフが散りばめられたヴィジュアル系の文化こそ、山口的な観点から考えてみたい誘惑もある。しかし、ここで考えたいのは、新しかろうが新しくなかろうが、イタかろうがイタくなかろうが、必然性があろうがなかろうが、ジブラに代表されるBボーイたちが個別具体的な〈身振り〉を愚直に〈反復〉した、という事実が示す意味である。この、〈フェイク〉ゆえの「笑い」をともなう〈身振り〉と、その〈反復〉こそが、シーンの拡大と継続をもたらすのだ。山口によれば、道化は「限度を知らない変身を身上とする」(注31)が、〈フェイク〉な〈身振り〉はしたがって、「笑い」を求める者にとって、格好の〈変身〉対象となる。だからこそ「笑い」を求める松本人志は、ジブラをネタにするのだ。磯部は先の引用部の前では、こうも述べている。

お笑いでの取り上げられ方にしても、中川家・剛が貧乏な生い立ちをラップしたバラエティ『リンカーン』や、モンスターエンジン・西森が実家の家業についてラップしたピン・ネタ「鉄工所ラップ」などを観る限り、世間の日本語ラップへの理解は一応深まったかのように見える(そういう意味では、ジョイマンは前時代的である)。(注32)

 見る人が見れば、それが様々な誤解の上で成立しているとは言え、ドキュメンタリー物に限らず一発芸のネタでもなんでも、芸人/コメディアンはしばしば、ヒップホップの〈身振り〉をネタにする。それは、日本におけるヒップホップの〈フェイク〉性ゆえである。〈フェイク〉であるからこそ、それは「笑い」を生む装置として機能する。だとすれば「笑い」を求める芸人は、ラッパーやDJに〈変身〉し、あらゆる番組で〈あの身振り〉を〈反復〉することになるだろう。テレビでそれを観たクラスのお調子者は、翌日、そのお笑い芸人に〈変身〉し、〈あの身振り〉を〈反復〉することによって、友人たちを笑わせるだろう。一方、ラッパーに憧れた者は、翌日、大きいサイズの服を買いに行って、そのラッパーに〈変身〉しようとするだろう。『HEY! HEY! HEY!』にジブラが出演したとき、翌日、お調子者はジブラに〈変身〉して友人を笑わせたに違いない。そして、その一方でアナーキーは、ジブラに〈変身〉してラップを書き始めたのだ。いや、アナーキーに限らない。テレビでジブラを観た潜在的なヘッズは、続々と〈変身〉を開始したのである。
 これがジブラの言う「この国にもヒップホップが根付く」ということである。そして、このような絶え間ない〈変身〉運動の根底にあるものこそ、〈あの身振り〉に他ならない。お笑い芸人や、ましてやクラスのお調子者は当然、ジブラが憧れたKRSワンのことを知らないだろう。KRSワンが影響を受けたメリー・メルのことを知らないだろう。不良だったアナーキーだって、もしかしたら知らなかったかもしれない。しかし、だとしても、ジブラがKRSワンに〈変身〉して〈反復〉した、まさに〈あの身振り〉をお調子者もアナーキーも〈反復〉する。何度もくり返すが、〈あの身振り〉こそが、ヒップホップのヒップホップたる根拠なのだ。〈あの身振り〉こそが、ヒップホップをめぐるすべての記憶と履歴を刻印しているのだ。だとすれば、ヒップホップの〈リアル〉を云々している人の与り知らないところで、多くの人が瞬間的であれ、ヒップホップを体現し得ている。
 ここで重要なことは、〈リアル〉に固執している限り、このような〈フェイク〉ゆえの伝播力は獲得し得なかっただろうということだ。「日常生活」とは切り離された〈フェイク〉な〈身振り〉だからこそ、ともすれば表層的な〈変身〉欲望が掻き立てられる。そして、その〈身振り〉を共有する者たちは、自らを「日常生活」と差異化することによって、その瞬間ヒップホップに参入したことになる。と言っても、ここで言うヒップホップへの参入とは、例えば「社会的抑圧者の表現」といったかたちで抽象化した地点から編まれる〈ヒップホップ史〉とは無関係だし、中山康樹によって「黒人性、批評性、メッセージ性」として編まれる音楽史(注33)とも関係がない。ジブラならジブラの、芸人なら芸人の、個別具体的な〈身振り〉を他人が〈反復〉する、その、ともすれば瞬間的な〈変身〉が、その人をヒップホップたらしめるのである。佐藤雄一は、「「あなた」を詩人に変える言葉が詩」(注34)だと述べ、サイファーに「詩的コミュニケーション」の可能性を見ている。佐藤の議論は今後展開されていくと思うが、〈リズム〉の生成/変成という点に注目しているようである。本稿の議論は、もっと身も蓋もない水準ではあるが、「あなた」を〈変身〉させる〈あの身振り〉こそがヒップホップである、という点では通底する。
 宇多丸は、プッチモニ「青春時代 1.2.3!」について次のように述べている。
 

①「ヨー、チェケラッチョー!」等に代表されるソレ風ソング
②威嚇的に手を突き出したソレ風ポーズ&身振り
……ラップとかヒップホップにあまり親しくない、そこらのフツーの人が抱いている「ラッパーっぽさ」のイメージというのは、おおむね以上の二点に集約されると思います。ま、少しでもこのジャンルに関する見識があれば、「今時チェケラッチョなんて言ってるラッパーいねーよ!」ということになるんですが、どーゆーわけか、メディアを通じてこの手のステレオタイプが流布され、すっかり一般に浸透しきっていると。(注35) 

 ラッパーとしての宇多丸の苛立ちはわかるが、むしろ見るべきは、「ヨー、チェケラッチョー!」と言って「ソレ風ポーズ&身振り」(身振り!)をしさえすれば、即ヒップホップに参入できてしまうという点である。この曲は事前に「次はヒップホップをやります」とアナウンスされたそうだが、〈あの身振り〉さえ〈反復〉すればヒップホップを為したことになる、という心性そのものが、〈フェイク〉ゆえの伝播力を示している。だとすれば、ヒップホップの本質とはまったく別の場所で、プッチモニの「ヨー、チェケラッチョー」は、かつてピート・ロック&CL・スムース「Check It Out」において、あるいはビースティ・ボーイズ「Ch-Check It Out」において発された「Check it out!」という声と響き合っている。発声も含めた〈あの身振り〉の〈反復〉こそが、ヒップホップの継続と拡大をもたらしている。
 したがって、アナーキーら00年代後半から活躍するラッパーの存在について、二木信への取材をもとに「日本の新世代ラッパーの音楽も、格差拡大という社会背景と直結している」(注36)という説明のみで片づけてしまうのは、一面的である。陣野俊史は、「日本語ラップが「下流」層にも浸透してきたのは、なぜか」という問いに対して、「ラップはお金がかからない音楽形態。マイク1本あればできるし、楽器を演奏するスキルも必要ない。これまで言葉を持てなかった人たちの新たな表現手段として、ラップが市民権を得た」(注37)と答えているが、重要なのはむしろ、なぜ「これまで言葉を持てなかった人たちの新たな表現手段」として、他ならぬ「ラップが市民権を得た」のか、という点である。そこにはやはり、〈フェイク〉であることを覚悟しつつ、道化であることを引き受け、〈フェイク〉ゆえの伝播力でもってヒップホップを根付かせようとした、ジブラ的な態度が存在している。「笑い」を含んだ、〈あの身振り〉をめぐる連鎖的なコミュニケーションがあったからこそ、他ならぬヒップホップは格差社会において、磯部が言うところの「リアリティ」を獲得したのである。何度も強調するが、アナーキーがラップを志したきっかけは、バラエティ番組なのである。だから、このような〈フェイク〉も〈リアル〉もすべてひっくるめた諸々の運動すべてを捉える地点から初めて、「ヒップホップが日本に根付く」ということの意味を考えなくてはならない。格差社会の深刻化したから〈リアル〉なヒップホップが出てきましたね、ではないのだ。格差社会が深刻化したときに出てきたのが、他ならぬヒップホップだったことが重要なのだ。だからこそ、ピエロのように笑われるジブラが口に出す「責任」という言葉が深いのだ。
 何度も言うが、ジブラ的「責任」の水準で考えたとき、ヒップホップへの原理的な入り口は、「社会的抑圧者の表現」や「サンプリング表現」ではありえない。「社会的抑圧者の表現」や「サンプリング表現」ならば、なにもヒップホップでなくてよろしい。いつだってヒップホップへの入り口は、個別具体的な〈身振り〉に、その身を重ねることによってしか現れないのである。そして、呪われたようにその〈身振り〉を〈反復〉することこそ、自身をヒップホップの根拠たらしめるのである。ジブラは、「オレは死ぬまでヒップホッパーだと思う」(注38)と語っていたが、DJマスターキーは「オレ自身がヒップホップ!」(注39)と、さらに力強い表現でシャウト・アウトしていた。そしてKRSワンは、ラッパーたるもの「オレはヒップホップだ」と自分に言い聞かせるべきだ、と指南した上で、次のように述べる。

優れたラッパーは、ヒップホップを最大限に表現することができるが、偉大なラッパーは最大限にヒップホップである。これは自分だけがヒップホップの権化であって他の人間は違うということではない。ヒップホップそのものになることで、他のヒップホッパーたちと波長を合わせられるようになる、ということだ。ヒット・レコードや新鮮なライムが生まれる秘密、それは君と聴衆とが一つになり、君は単に体を揺らしているだけになる、そんな瞬間にある。ヒップホップと一体になる時、君は何百万というヒップホッパーたちと一つになる。(注40)

「偉大なラッパーは最大限にヒップホップである」――つまり、そういうことなのだ。〈あの身振り〉を愚直に模倣し〈反復〉するという、不断の〈変身〉行為こそがヒップホップの根拠であり、その、不断に〈変身〉する主体それ自身が、すなわち「ヒップホップそのもの」なのである。たとえ〈フェイク〉だとしても、〈あの身振り〉を〈反復〉することによって、人はヒップホップに参入することができる。「黒人になりた」かったジブラは、KRSワンの〈身振り〉を模倣し、愚直に〈反復〉することによって、〈あの身振り〉を日本に広めた。マスメディアでジブラの「姿」を観て、ジブラの〈身振り〉を模倣し、〈反復〉したBボーイは、〈あの身振り〉を通じて、人種も境遇も時代もかけ離れたKRSワンやメリー・メルの「姿」(小林秀雄)と重なる。もちろんそれが、「笑い」を求めたクラスのお調子者だとしても然りだ。これこそが、ジブラの言う「日本にヒップホップが根付く」に他ならない。KRSワンの言う「ヒップホップと一体になる時、君は何百万というヒップホッパーたちと一つになる」という神秘主義的な言葉は、この、〈身振り〉それ自身が持つヒップホップの記憶と履歴になぞらえられる。〈あの身振り〉を〈反復〉することによって、ヒップホップをめぐる記憶の一端に参入する感覚が、人を「ヒップホップそのものになる」と言わしめるのだ。(続く)

 
(16)ECD『いるべき場所』(メディア総合研究所 07・11)。
(17)前掲注16。
(18)ECD『失点・イン・ザ・パーク』(太田出版 05・6)。
(19)前掲注16。
(20)前掲注16。
(21)『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』『小島慶子 キラ☆キラ』(ともにTBSラジオ系)。
(22)磯部涼『音楽が終わって、人生が始まる』(前掲)。
(23)前掲注14。
(24)「the theater of the LIFE review ディスク〝人生劇場〟レヴュー」(『remix』09・1)における木下充の評。
(25)「「下流」の現実リアルに新世代ラッパーの歌詞に存在感」(『朝日新聞』11・10・7)。
(26)「ニッポンノラッパー――『SRサイタマノラッパー映画評』」(『indies issue』09・3、収録は『音楽が終わって、人生が始まる』前掲)。
(27)山口昌男「道化と詩的言語」(『ユリイカ』73・6、収録は『道化的世界』筑摩書房 75・6、のち、ちくま文庫 86・1)。
(28)山口昌男「ハーポ・マルクスとブレヒト」(『グラフィケーション』74・5、収録は『道化的世界』前掲)
(29)前掲27。
(30)山口昌男「フォニイ礼賛」(『中央公論』74・8、収録は『知の祝祭――文化における中心と周縁』77・11、のち、河出文庫 88・4)。
(31)山口昌男「アレルッキーノ変幻」(『藝術生活』73・4、収録は『知の祝祭――文化における中心と周縁』前掲)。
(32)前掲注26。
(33)中山康樹『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT出版 11・9)
(34)佐々木敦・佐藤雄一「サイファーが目指すこと」(『現代詩手帖』11・5)。
(35)宇多丸「マブ論」(『BUBKA』00・10、収録は『ライムスター宇多丸のマブ論 CLASSICS』白夜書房 08・7)。
(36)前掲25。
(37)前掲26。
(38)前掲注10。
(39)DJマスタキーのミックスCD『FAR-EAST COSTING』において、ブッダ・ブランド「FUNKY METHODIST」の冒頭でシャウト・アウトされる。
(40)KRSワン、石山淳訳『サイエンス・オブ・ラップ――ヒップホップ概論』(ブルース・インターアクションズ 97・3)。

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