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1990年10月、『ビートたけしのオールナイトニッポン』に爆笑問題が代打出演

※本記事は、2012年2月22日に書かれたものです。

ネット時代はすごいもので、二度と見ないと思っていたであろうアレコレや、楽しみにしつつ愚かにも観逃した/聴き逃したアレコレが、アップロードされていたりします。むろん、著作権的にはグレーゾーンでうしろめたい気持ちもないではないが、ちょっとこの欲望には勝てそうもありません。

ということで、いつものように爆笑問題関連のアーカイヴをディグしていたら、なんと、ビートたけしが病欠して爆笑問題が代打に大抜擢された回のオールナイトニッポンが、とある動画サイトにアップロードされていた! これはすごい! この回と言えば、デビュー2年目の爆笑問題が不遜にも「ビートたけしは死にました」と言ってニッポン放送を出入り禁止となったという、語り草になっている回です。この回についての詳細は、例えば、数年前のTBSラジオの有料配信企画『JUNK交流戦スペシャル座談会』や、つい昨年末に放送された『爆笑問題の日曜サンデー』の浅草キッドがゲストの回などで、少しずつ話されていました。僕自身は98年くらいからの爆笑問題ファンですが、後追いで間接的に知り得た情報からすると、件のオールナイトニッポンの内容は以下のとおりです。

・太田が「俺はたけしを超えた。たけしは死にました。」と言った。その後も太田が、「たけし」と呼び捨てにしていた。(『JUNK座談会』における太田の発言、『日曜サンデー』での田中も同様の発言、通説では「風邪をこじらせて死にました」とされる。)
・たけし軍団を措いて爆笑問題が抜擢され、軍団がピリピリしていたところに、太田が番組開口一番「浅草キッド、ざまあみろ!」と挑発をした。(『JUNK座談会』における伊集院光の発言、『日曜サンデー』での太田も同様の発言)
・太田が「来やがれ、キッド! 聴いてるか!」と挑発をしたら(『JUNK座談会』で太田、『日曜サンデー』では「悔しかったら来い!」と言った、と太田)、「調子にノってんじゃねーぞ!」と本当に殴りこみに来た。(『JUNK座談会』で伊集院)
・水道橋博士が「たけしさんを呼び捨てにしただろ!」と番組に怒鳴りこんだ。(『JUNK座談会』における田中の発言)
・水道橋博士が「玉袋が入院してるから良かったものの、命ないぞ」と言った。(『日曜サンデー』で田中)

結果、「伝説の殴り込み事件」(『日曜サンデー』で田中)として、ファンなどには知られたが、すなわちなんと、その音源がアップされていたのです。すごいでしょう。そして、実際に聴きました。それで感想はと言うと、結論から言えば、これまで語られてきた内容ほど、事件性は高くないと感じました。まあ、この話をおもしろおかしく話すうちに、記憶もなんとなく脚色されていったのかな、という感じです。以下から放送内容です。

まず番組開始直後、太田が「実はたけしさんがとうとう死んでしまいまして…」と言い、田中が「縁起でもないこと言うな!」とツッコむ。その後、ダンカンやガダルカナル・タカなどたけし軍団からの中継が5分ほど入り、その後「ビター・スィート・サンバ」が流れ、オープニングへ。オープニングでは、田中が、たけしさんの枠だから緊張するといった内容の話をすると、太田が「要するにビートたけしの時代は終わった」と返し、田中が「違う!」とツッコむ。また太田は、たけしさんの代打はたいてい失敗すると言い、その例に大竹まことを挙げるのだが、田中がそれについてはツッコまず、「大竹まこと大失敗したよね」と呼び捨てで乗っかるのが可笑しい。しかも太田は大竹について、「そのあとニッポン放送を出入り禁止になったらしいよ」と言い、その後の自分たちを予言しているのも、いま聴くと面白い。

さて、気になるのは、爆笑問題が浅草キッドを挑発した、というくだりだが、これはけっこうニュアンスが違う。というのも番組序盤、代打放送としての緊急コーナーとして、いまこの放送を聴いている芸人で、「不満がある、文句を言いたい」「文句はないけど出たい」という芸人はスタジオに来てくれ、という呼び込みをしている。これは挑発という感じではなく、番組のコーナーとして、である。そこで田中が(太田ではない!)、「浅草キッドとか、水道橋博士とかあのへんも聴いてるかもしれない」と浅草キッドの名前を出す。もっとも、番組中盤で、再度芸人への呼び込みをおこなったときに、太田が、浅草キッドは来て欲しくないとも言うのだが、田中は「浅草キッドも他のラジオで俺らの悪口ばっか言ってるらしいけどね」と、なんとなく不満を抱えているのは田中のほうではないかと思えるほどだ。ということで、芸人の飛び入り歓迎で番組が進行し、聴いている限りは、あまり浅草キッドを挑発している感じではない。むしろ、太田が激烈に挑発している相手は、当時(1990年)人気絶頂だったろうウッチャンナンチャンである。例えば次のとおり。

(自分たちがウッチャンナンチャンのコントに出演していることに触れて)「僕らはああいうことは一切今後やりたくないということは、一応断っておきましょうか。僕らがやりたいことでとは違うということは、くれぐれも認識して観ていただきたい。」
「ウッチャンナンチャンももうそろそろ潮時かな、という気がします。」
「なんで面白くもないのに売れるんですかねえ。」

そういえば以前、TBSラジオ『伊集院光 日曜日の秘密基地』に爆笑問題がゲストに出たとき、デビュー当時の太田が「人気はウッチャンナンチャンのほうが上だが、実力はとっくの昔に超えている」と発言していたことが紹介されていたが、そうとう目の敵にしていたようだ。その後太田は、ウッチャンナンチャンをはじめ、いろんな人の悪口を続ける。

(他の代打候補が池田貴族だったことに触れて)「なんですかあれ。池田貴族は頭に来るね。とにかくイカ天とか大嫌いですから。それから、ウッチャンナンチャンも嫌い。B21も嫌い。それだけ言ってても2時間持ちますよ、私は。2時間嫌いなヤツ挙げられます。それから大事な太田プロも嫌いです(爆笑問題は当時、太田プロから独立したばかり―注・矢野)。一言言っておきましょうか。とどめを刺しましょうか。」

ここでの流暢な悪口は、この放送のハイライトと言えるかもしれない。太田が言いながらテンション上がっている感じがよく伝わる。その後も、林家しん平に「落語が下手」、田村英里子に「ブスでしょ」、生島ヒロシに「腹は立つけど、わざわざ名前出して怒ったら損かな、っていう感じ?」、山田邦子に「ちょっと性格が悪いと思ってます」、ウッチャンナンチャンととんねるずに「あんなつまんないネタ」、テンションとホンジャマカに「想像力の無い典型」など、悪口は要所要所に挿し込まれる。また、悪口の相手は芸人のみにとどまらず、「これは言うと怒られるけど、フジテレビは嫌いです。怒られるのを承知で言います。ニッポン放送もはっきり言えば嫌いです」と、超毒舌である。さらに、ビートたけしを発掘したことで有名らしい、当時の爆笑問題マネージャー・瀬名が、おそらく創価学会員であり、太田は、創価学会をネタにしてもいる。瀬名の創価学会については、昨年末の『日曜サンデー』でも、ゲストに来た玉袋筋太郎が、創価学会という名前は出さないものの「拝んじゃった」などとネタにしている。放送業界の慣習のことはよく知らないが、全編聴き終えても、「たけしは死にました」発言よりも、この会社批判・創価学会批判のほうが致命的だったのではないか、という印象がある。ちなみに仲の良い芸人としては、松村邦洋、Z-BEAM(ズビーム)、キリングセンスの名前を挙げ、スタジオに来て欲しい人としては、冗談交じりで、立川談志、チャップリン、淀川長治(「話したい」)、大江健三郎(「討論してみたい」)を挙げている。また、「タモリは俺らたぶん嫌われてるよ。態度でわかる。あと山田邦子ね」とも。放送も中盤になると、当時、一緒に仕事をしていたケラから電話がかかってくる。ケラもけっこう無責任に(たけしの病欠に触れて)「願ったり叶ったりじゃない」と言ったり、やはり創価学会をネタにしていたりと、危なっかしくて可笑しい。とは言え、尊敬しているお笑いについて太田は、「たけしさんって言いたくないけど、たけしさんだね」と言っている。いま僕が、昔の『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴くと、つくづく爆笑問題の話し方はビートたけしの影響を受けているんだなと思うが(同じことは、町山智浩にも菊地成孔にも思う)、この発言の言い方自体がビートたけしの話し方にそっくりだと感じた。

さて、現在なかば伝説化している水道橋博士の殴り込みについてだが、博士が登場するのはラスト5分である。田中が提供読みをしているときに来たらしく、田中は動揺したのか不自然に噛んでいる。博士の第一声は「どうも、太田プロの松永光代です」である。松永光代とは、もちろん現・太田光代のことであり、博士は太田の恋人を生放送で暴露して、「太田光と同棲している松永光代です」と続ける。これには太田も含めスタジオ中が爆笑している。もっとも、面白いのはその先で、太田はそれに対して、「博士、はっきり言いますと入籍してんの」と答え、博士は「したの!?」と驚いている。それで、博士はたしかに、「ダメだよ、たけしって呼び捨てにしちゃあ」と言っているが、これものちのち語り継がれているほど険悪なニュアンスは無い。そして、その博士に答えて、太田が「たけしを抜きましたよ、とうとう我々が」と言っている。これも挑発的と言うよりか、やはり冗談っぽい印象である。最後に太田は「本当に来るとは思わなかったな」とぼそり。最後に一言、と田中に振られた博士は、「呼び捨てにするのは10年早いよ」と言い、現在、玉袋が入院であることを伝えた。このときの博士の「(玉袋は)いちばん嫌いなんだ、太田光のことが。玉袋を連れて来なかった良かった。本当に殴ってると思うよ、番組中は殴らないと思うけど」という発言は、けっこう熱がこもっていて、このへんは怒気を感じる。

ということで、2年目の芸人ということを考えれば、太田が規格外に全方面的に失礼だったのはおそらくたしかなのだと思う。しかし、太田と浅草キッドの関係自体について言えば、僕らが「伝説」としてイメージしているほど、少なくともこの放送に関しては悪くなっているとは思わないし、「たけしは死にました」発言のみが、ニッポン放送出入り禁止の直接的な原因となっているとも考えにくい印象であった。当時のビートたけしの業界的な存在感については、当時7歳の僕が知る由もないのでわからないが、それほどビートたけしが神格化されていたのだろうか。それともやはり、太田の会社批判・事務所批判・先輩批判・創価学会批判などが複合的な要因となって、その後の暗黒時代が始まったのだろうか。僕は、後者なのだろうと思っている。また爆笑問題と浅草キッドの関係も、プロレス的アングルの要素もあっただろうけど、まあ、きっと僕らも知らないいろいろな背景があるのだとも思う。というか、「田中の味わい方」を知っている現在の爆笑問題ファンからすれば、むしろ注目すべきはやはり田中のほうである。太田の毒舌が、わざと、とは言わないまでも、ある種の毒舌芸として許容できる部分があるのに対して、それに便乗する田中の、さらっとした呼び捨ては本当に無礼な感じがして本当に可笑しい。じつは途中から田中も「たけし、たけし」と呼び捨てにしているのだ。しかも、最初に浅草キッドの名前を出すのも田中だし、放送終了直前に至っては、怒気のこもった博士に対して、半笑いでコミカルに、「博士、さっさと帰ってくださいね」なんて言っている。この頃から、田中も田中でやはり「なにかがおかしい」(伊集院光)のだ。まあともかく、貴重な音源が聴けて本当に良かった。ネット時代、とりあえず万歳である。

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