禅と遊戯王
椎名林檎の虚言症という曲の歌いだしは「しかし何故に」というのをご存知でしょうか?
これって結構革新的みたいですよ。どっかの何かで見たことあります。
歌いだしに「しかし」という接続詞を採用するのは、やはり唯一無二のセンスだと思います。
凡人には理解できませんな。それくらいすごい事です。
話を禅にしますね。禅と言うのは「私は何者だ?」と問い続けて悟りを開く奴だと思ってます。
要するに、自分の中の価値観を自分で決めていく行為なのかなぁと思っています。デッキ紹介記事で、わかりやすいRT数、いいね数、PV数等で自分のブログはよくないものだと決めつけず、「私は私が納得しているのだからそれでいい」という価値観、精神だと思います。
これは単純な強がりではなく、地獄の様な修行や自分自身に何度も何度も問いかけ続けた結果の精神ですね。
その精神に至るまでにどれ程の修行をするのでしょうね。
話を遊戯王にしますね。
皆さんデッキ構築って楽しいですか?
僕はデッキ構築本当に嫌いです。地獄の様に苦しいです。
大変壮語ですが、禅の様に何度も問いかけています。
「本当にそれでいいのか?」
話は変わりますが、面白いデッキってなんだろなって考えた事があります。
真新しいギミックだの、美しい構築とかいろいろあると思いますが、僕が真っ先に思うのは「理解できない構築」だと思っています。
「理解できない構築」というのは、ある種禅の悟りと似ていると思います。何度も何度も自問自答して、何度も何度も頭をこねくり回して、それで出た答えの構築ですね。
世界で一番美しい構築です。
さて、あなたの構築はどうですか?
「本当にそれでいいのか?」
って何回問いかけました?
「面白いデッキですね!」って何回褒められました?
理解されているだけなら、そのもっと奥で誰かは待っていると思います。
その向こう側へ行きましょう。
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