vol.51 J-SOXで考える紅麹問題
はじめに
小林製薬株式会社 (以下「小林製薬」) は2024年3月22日に紅麹関連製品の使用中止のお願いと自主回収のお知らせを発表しました (以下「紅麹問題」)。
亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表すと共に被害に遭われた方々とそのご家族に対し、心よりお見舞い申し上げます。
さて、紅麹関連製品の自主回収が発表されて以降、紅麹問題は単なる製品の欠陥にとどまらず、企業の危機管理能力や社会的責任が問われる重大な事案となっています。
そこで今回は会計士目線で2024年3月22日以降に開示された決算書 (有価証券報告書、四半期報告書、及び半期報告書等) や事業検証委員会による調査報告書 (以下「調査報告書」) を読み、「内部統制で見る小林製薬の紅麹問題」ということで、同社で一体何が起こっているのかをJ-SOXの考えを用いながら整理してみたいと思います。
1. 時系列のまとめ
2024年3月22日の紅麹問題の発表以降、財務数値や内部統制に関連するニュースリリースを会計士目線で以下にまとめます。
(1) 2024年3月28日: 有価証券報告書 (2023年12月期)
重要な後発事象に以下の開示がなされています。
(2) 2024年5月15日: 四半期報告書 (2024年12月期 第1四半期)
紅麹問題に関連して、四半期連結貸借対照表と四半期連結損益計算書に以下の内容が計上されています。
製品回収関連損失引当金: 3,197百万円
製品回収関連損失: 3,648百万円
あわせて偶発債務の開示がなされています。
さらに、独立監査人の四半期レビュー報告書には上記偶発債務への強調事項が付されています。
(3) 2024年7月23日: 調査結果を踏まえた取締役会の総括について
複数の弁護士により結成された事業検証委員会より調査報告書が取締役会へ提出され、取締役会の総括がなされています。こちらは調査報告書の内容を中心に「調査報告書による指摘」のセクションでまとめています。
(4) 2024年8月8日 : 決算説明会 (2024年12月期第2四半期)
調査報告書を受け、以下5つの課題に取り組んでいることとされています。
さらに「4 経営体制の抜本的改革」に関し、「品質と安全を第一に考える」という意識と感度を更に高めるべく、以下の施策を実施していくとあります。
(5) 2024年8月8日: 半期報告書 (2024年12月期 半期)
紅麹問題に関連して、中間連結貸借対照表と中間連結損益計算書上、以下の勘定科目の計上金額が第1四半期から増加しています。
製品回収関連損失引当金: 3,603百万円
製品回収関連損失: 7,726百万円
偶発債務の開示や独立監査人の中間連結財務諸表に対する期中レビュー報告書における強調事項が付されている点は第1四半期と同様です。
では、これほどの損失 (偶発債務の注記の通り、今後も追加的に費用が発生する可能性あり)を起こしてしまった原因は何だったのか、次のセクションで調査報告書の指摘を整理してみます。
2. 調査報告書による指摘
調査結果を踏まえた取締役会の総括についてのP10から、事業検証委員会による調査報告書が格納されています。
(1) 調査報告書の全体像
まずは調査報告書の全体像です。
調査報告書「3 本件ニュースリリースに至る事実経緯」では、小林製薬が紅麹問題に関する最初の連絡を受けた2024年1月15日から、その後紅麹関連製品の使用中止と自主回収のニュースリリースを行った2024年3月22日に至るまで、2ヶ月強の期間内に起こった内容が詳細に記述されています。
これを受け、続く「4 内部統制システムと品質管理体制」では、紅麹問題の公表について、何故2ヶ月強をも要したのかについて分析しており、以降その指摘事項を見ていくこととします。
(2) 内部統制システムと品質管理体制
内部統制システムと品質管理体制に関する指摘事項を、次のセクションの「J-SOXへのあてはめ」を行うべく、会計士目線で以下大きく7つに再整理してみました。
① 小林製薬における健康食品の安全性に関する意識
医師から紅麹問題のような重大な健康被害に関する具体的な症例の連絡を受けていたにも関わらず、これを摂取する消費者の安全を最優先に考えることができなかった。その結果、消費者に対しタイムリーに注意喚起を行えなかった。
② 会議における議論の状況
紅麹問題はグループ執行審議会 (略称をGOM (Group Operation Meeting) )で議論されていた。GOMは週に1回程度の頻度であり、他の議論内容も多数ある。資料は直前の配布あるいはGOMの場の画面共有での初見となることもあった。このような状況下において、実際紅麹問題に関し、GOM内で参加者から異論が出されたり、積極的な提言がなされる様子は伺えなかった。
③ 信頼性保証本部による牽制機能
信頼性保証本部には、製品の品質を維持し安全を担保する観点で、一歩引いた立場からブレーキを効かせる役割が期待されている。しかしながらGOMにおける資料を見る限り、業績への影響の意識が伺われ、その期待に反し、十分なブレーキを利かせられなかった。
④ 有事における危機管理モードへの切り替え
小林製薬の危機管理規程には「重大な製品事故や大規模な回収が発生すると予想される場合」に該当すれば、危機管理本部を設置する旨が定められている。しかしながら今回同社は有事であるとの認識のもと、危機管理モードに切り替わることはなく、特別対応として紅麹問題に取り組むという選択肢を具体的に検討するほどの意識を持つには至らなかった。
⑤ 行政報告に関する判断基準
紅麹関連商品のような機能性表示食品の摂取者に健康被害が発生した場合の行政に対する報告の判断基準として「因果関係が明確な場合に限る」という解釈を持っており、行政に対しタイムリーに報告を行えなかった。
これに対し小林製薬の社内には健康被害情報の収集から措置の実施までのフローチャートが存在している。
同フローチャートによれば、「当社製品に起因する有害事象であるか (因果関係不明を含む)」がYesの場合、重篤度の評価を実施の上、消費者への情報提供や行政機関への速やかな報告といった記載が示されている。このフローチャートの内容は「因果関係が明確な場合に限る」という解釈と矛盾しているようにも見え、社内ルールが整理されていない結果、紅麹問題への対応に迅速さと円滑さを欠く状況をもたらしてしまった。
⑥ 社外役員との情報共有
社外取締役へのリスク情報の共有について、社内ルールがない中、社外取締役への紅麹問題の正式な情報共有は2024年3月20日となっている。さらに社外監査役についても2月21日の監査役会から1ヶ月が経過した3月20日まで紅麹問題のアップデートがなされなかった。
⑦ 紅麹製造現場との距離
紅麹関連事業は、2016年6月にグンゼ株式会社から事業譲渡を受けている。製造ラインの人手不足が常態化している中、品質管理は現場の担当者にほぼ一任されていた。小林製薬の本社部門が現場視察その他の方法により、紅麹製造現場の実態を的確に把握していた状況は認められなかった。
では、再整理したこれら7つの指摘事項を、次のセクションでJ-SOXのフレームワークにあてはめてみます。
3. J-SOXへのあてはめ
(1) J-SOXにおける内部統制の定義
J-SOXの内容を規定する「財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準 (令和5年4月7日)」(以下「J-SOX実施基準」) は、内部統制を以下のように定義しています。
図にすると以下のような立方体になります。
では、上記立方体の中で、調査報告書の指摘事項を受け、紅麹問題に関連するものはどれになるでしょうか?
(2) 紅麹問題と「内部統制の目的」
まず、有価証券報告書や四半期報告書、そして半期報告書とそれらに付された監査報告書やレビュー報告書を見る限り、「報告の信頼性」に含まれる「財務報告の信頼性」という目的は一定程度果たされると思います。
今回問題となっているのは主に「法令等の遵守」という目的を果たしきれなかった為という整理が可能と考えます。
調査報告書で示されている「健康被害情報の収集から措置の実施までのフローチャート」は上記③自社内外の行動規範に該当するものと考えられる中、結果としてこの目的を達成することができず、会計上重要な損失を計上するに至っています。
次に内部統制の目的を達成できなかった原因と見られる基本的要素はどこかを見ていきましょう。
(3) 紅麹問題と「内部統制の基本的要素」
再整理した7つの指摘事項を、以下内部統制の基本的要素にあてはめてみます。
1 統制環境
統制環境は範囲が広く、多くの内容を包含できてしまいますが、指摘事項のうち以下の内容が直接関連しているものと思われます。
2 リスクの評価と対応
紅麹問題に関する情報を社外役員を含め議論し、その内容及び重要性を多面的に評価すれば、その対応 (危機管理本部の設置) も変わっていた可能性があります。
3 統制活動
小林製薬は行政に対する報告の判断基準として「因果関係が明確な場合に限る」という解釈を持つ一方で、「健康被害情報の収集から措置の実施までのフローチャート」でには「因果関係が不明な場合を含む」という文言が入っており、社内の方針及び手続に矛盾が見られました。
4 情報と伝達
紅麹問題に関し、社外取締役や社外監査役にその情報が適時に伝達されたとは言い難い状況であったと考えられます。また本社と紅麹製造現場の間における情報共有のレベルは十分でなかったと整理されると思います。
4 まとめ
小林製薬の紅麹問題に関し、J-SOXの考えを用いながら「J-SOXで見る紅麹問題」として整理してみましたがいかがでしたでしょうか?
J-SOX自体、多くの会社で形式的になっている感があり、今回のような形で財務報告のみならず、様々な課題を考える際に用いることのできる汎用性の高いツールであることが少しでも伝えることができれば幸いです。
さて、本記事ですが、長文となっている中、ここまでお読み頂きありがとうございます。最後に統制環境の重要性の改善の難しさに触れ、この記事のまとめとさせてください。
私は先日調査報告書の原因と再発防止策を自動でまとめる記事を投稿しましたが、その際の事例を見ても各社員の道徳や組織の雰囲気が問題となっていることが分かります。
これを指摘するのは簡単なのですが、改善することがどれだけ難しいかを理解することが重要かと考えます。言い換えれば今回の小林製薬の紅麹問題はどの会社でも起こりうることであり、批判ではなくここから我々が何を学ぶかが重要であると思います。
特にJ-SOX実施基準でも記載されているような「組織内における行動の善悪についての判断指針」を、有事の際にどうアップデートすべきか、私はもっと研究や議論がなされてもよいのではと感じました。そのような中、ちょうど私はアービング・ジャニスの集団浅慮を読みました。
集団浅慮 (groupthink) とは、集団が決定を下す際に、意見の多様性が欠如し、結果としてリスクや問題点を見落とすことがある現象です。アービング・ジャニスによれば、集団浅慮を回避する手法として以下を挙げてます。
小林製薬は2024年8月8日の決算説明会 (2024年12月期第2四半期)の資料を見る限り、既に意見の多様性を確保し、集団浅慮に陥ることなく適切なリスク管理ができる組織に向け、その一歩を踏み出しているものと理解しました。
一般論として、統制環境の改善することは中々容易ではないと思われますが、小林製薬がこの危機を克服すると共に、日本社会全体において、心理的安全性の下、自由に意見を述べ合い、価値観が適時適切にアップデートされる機会となることを期待し、この記事を締めたいと思います。
おわりに
この記事が少しでもみなさまのお役に立てれば幸いです。ご意見や感想は、noteのコメント欄やX(@tadashiyano3)までお寄せください。
この記事に記載されている内容は、私の個人的な経験と見解に基づくものであり、過去に所属していた組織とは関係ございません。
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