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【知っ得!中国の名言】人の意見に雷同せず自分の意見を持つために(『朱子語類』朱子十三)

「矮子」は背の低い人のこと。「看戯」は「観劇」のこと。

周りの人の意見のみで物事のよしあしを判断するのではなく、自分で実際に体験したり、読書したりして、独自の意見(オリジナリティ)を持つことが大切だ、というたとえ。

ある日、背の低い男が街なかで行われていた出し物を見ようと舞台に近寄っていきましたが、舞台の手前にはすでに人だかりができており、そこでどんな出し物が行われているのか目にすることができませんでした。

そこで男は周りの人に「中でどんな出し物が行われているのですか」と尋ねると「演劇をやっている」ということでした。男は「それはすばらしい」と飛び跳ねて喜びました。中からは太鼓の音や歓声が聞こえてきたので、男はそれに合わせて自分も歓声を上げ、拍手をしました。

しばらくして、その付近を通りがかった人が男に「演劇は面白かったのですか」と聞くと、男は「とても面白かった」と答えました。通りがかりの人がさらに「あなたは前で演劇を見ることができたのですか?」と尋ねると、その男は「他の観客たちがみんな面白いと言って、拍手喝采を送っているんですから、もちろん面白かったんですよ!」と答えました。

上のエピソードの出典は、南宋の儒学者・朱熹(朱子)とその門人たちとの問答集『朱子語類』(1272年成立)です。

朱子は周りの人の意見にたんに雷同して「受け売り」の意見を述べるのではなく、他人から具体的に「どこがいいのか(あるいはわるいのか)」と尋ねられたとき、自分の意見を根拠を持って答えることができるのが大切だと説いています。

現代でも「矮子看戯」と似たような状況は起きているのかもしれません。たとえば、わたしたちは毎日インターネット(のニュース)で入手する情報によって世界中(世間)で起きている出来事(事件)をあれこれ論評・議論することがあります。

しかし、世界中で起きる出来事とわたしたちとの間には、「矮子」と「演劇」との間が多くの「観客(人だかり)」で隔てられていたように、直接見聞きするのが難しい距離(壁)があります。

そのため、わたしたちはインターネットを介して情報を判断せざるを得ないのですが、これはわたしたちが出来事に近づこうとする努力をしなければ、観客の判断に自分の判断をすべて委ねてしまった「矮子」と似たような状況に陥りかねないとも言えます。

「自分の意見」を形成するための根拠を築く努力をしていきたいものです。

【出典】『朱子語類』朱子十三

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