見出し画像

外出自粛に見る日本的習性(4)-父権型と母権型-

一、はじめに
上京して1ヶ月が経ちましたが、長いような短いような、色々なことがありました。
あの頃はここまで全国的な流行になっていませんでしたね。

当初このメモは、安否報告のついでに、北海道から見える様子が如何なるものかお伝えすることが目的でしたが、何となくキリが悪いので、上京後も聞き知る北海道の様子をもとに、コロナ問題について考えてみようという趣旨に変わってきたのでした。

さて、そろそろ最終回にしたいと思います。一番の理由は、これから事象として細かい変動はあっても、人間がとるべき決断の選択肢は出尽くしたと判断したからです。

二、父権型と母権型
なにごとにつけ、問題が発生した時の人間の対応は、二つに分かれます。
①五月雨式に発生する問題を全部横並びにして、どれも解決しようとするやり方。
②問題の主眼を明確に定め、他の問題に優先順位をつけるやり方。

①のやり方を好む人の議論は、原因と結果、現象と対処の関係づけがあいまいで、人情を含んだ議論になります。よく言えば穏健に結論が立ち上がってくるのを待つ、悪く言えばああでもないこうでもないで、分かり易く言えば、冠婚葬祭の際に繰り広げられる、親戚のおばちゃん達の大騒ぎに近い議論です。
②のやり方を好む人の議論は、原因と結果、現象と対処の関係づけが明晰で、人情を排する議論になります。よく言えば明晰、簡潔、実践的で、悪く言えば独裁的で冷酷、分かり易く言えば、論理によって人や問題をなで斬りにし、相手を泣かせても顔色一つ変えない、旧参謀本部や事業本部のような議論です。

このいずれかの対応をする人間が行う限り、政治決断もまた
①問題が深刻化して衆議一決する機運になるまで、延々と全ての問題をみんなで議論し、先延ばしにできない段階で、「みんなの意見」によって命令・処理していく方法。
②トップがその責任において問題の主眼を即時に決定し、その問題と原因、現象と対処を明晰にした上で、行動方針を定めて「論理」によって命令・処理していく方法。
に分かれます。

これに敢えて名前をつけるなら、①が「母権型(自由)」、②が「父権型(統制)」と言えます。これが段階的にグラデーションを作っており、
「(母権型)自由-放任ー(父権型)専制-統制」となっていると考えられます。個人も家庭も国家も、人間がいる限り全て同じです。
三、日本の場合
前回のお話では、日本という国は「母権型」であり、したがって安倍首相は正しく天命を受けていると言いました。これに対し、小池知事や吉村知事の対応を賞賛する声がありますが、こうした人は「父権型」を望んでいるのでしょう。しかし実際には小池知事や吉村知事もまた、「父権型」を望む輿論を敏感に捉えて動き出したという点で、「母権型」というのが適切だと思われます。別にケチをつけている訳ではありません-という断り書きが必要な程、人情と論理が混同されやすいということが問題です-。

世界の国々は「父権型」と「母権型」のグラデーションで、さまざまな対応をとっているようです。「自由の国」フランスですら、第五共和制の大統領に集中した統治権によって、強力な統制を敷いています。フランスはそうした意味で「父権型」にシフトチェンジしています。フランスという国もまた、歴史的に「父権型」と「母権型」をうろうろしている国であり、本当はこの振り幅を測定することが、国柄の比較になるのです。
ロシアや台湾のように振り切っている国は稀です。いずれも専制政治を志向する民族性に分類されているという点で、エマニュエル・トッドの指摘は示唆的ですが、ここでは措いておきましょう。

日本の場合、朝廷政治の伝統からすれば「母権型」、武家政治の伝統からすれば「父権型」となり、かつて朝廷対幕府、宮中対軍部という対立軸があったことが思い出されます。明治維新から戦後日本はこうした「父権型」を否定する歴史ですので、安倍首相の「戦後レジーム」からの脱却が行われ、栄光の明治に帰ったとしても「母権型」内の変動ですから、本件のような場合には全く意味がないのです。

四、0から考えよう
さて、これをふまえてもう一度、今回のコロナ騒動について0から整理してみます。
起こっている現象は、ワクチンのない新型ウイルスが世界的に流行し、感染者・死者が激増しているということです。したがって、これに対処して国民の生命を守ることだけが問題の主眼です。

これに対して出来る対応は二つ。
①水際で食い止めること。
②接触を遮断し、ウイルスを囲い込むこと。

論理的に言って、この場合経済活動の停滞は避けられないことであり、その程度をどれくらい緩和するかということは検討できても、それ自体は「副次的な問題」と言わざるを得ません。

この整理が行われず、①②が達成できなかった場合、つまりウイルスが制御不能なレベルで浸透した場合は
③期限付きで社会機能を一時的に停止し、感染速度を遅らせること。
④人命救助を諦め、集団免疫を目指して全規制を解除すること。
を決断する必要があります。

もっとも、③の場合でも社会インフラや、生活必需品の流通は維持されなくてはなりませんし、④の場合でも重篤者に対する優先的な治療は行われるでしょうが、それもあくまで「副次的な問題」であり、その場その場で対処するだけです。

経済について「理財論」から卑見をあげるとすれば、③を選択した上で固定資産税、所得税、消費税の減免と引き換えに地権者に家賃免除を行わせ、さらに全国民にこの騒動が終熄するまで毎月\300,000を滞りなく配り続け、「焼け太り」の感覚を持たせればいいと思っています。「返納」などとケチなことは言わず、いらないならどこかに寄付すればいいのです。これは許先生の方がお詳しいですが、日本はそれだけの体力がありますし、また、この騒動は早く終熄させ、社会経済活動を再開した国から順に経済大国になるチャンスでもあります。ただ、経済問題が本件を著しく混乱させていることからも、これ以上は述べません。

五、北海道の場合
ここまで整理した上で、北海道を見てみましょう。
北海道では鈴木知事が緊急記者会見を立て続けに行い、「秋元市長と協議の上」第二波襲来に備えるよう警告を出し、さらに再びの緊急事態宣言が出されました。

第二波襲来については、既に3月中旬には札幌医科大学の横田伸一教授によって警告が出されておりましたが、横田教授は一貫して「手洗い・うがいによる生活上の防衛」しか打つ手はないこと、ワクチンができない限り緊急事態が終わることはないこと、を主張していました。また、第二波襲来の次、第三波、第四波・・・と来るだろうが、それらを如何にして「生活防衛」によって押さえ込むかが北海道の課題だとしています。

一旦は、こうした鈴木知事、秋元市長の共闘によって感染経路の全掌握、新しい感染者0の日を達成しましたが、第二波襲来によってそれが崩れ、再び感染者が急増していることは周知の通りです。

しかし、これは想定内のことであり、鈴木知事は記者会見にて、第二波襲来に備えて羽田空港におけるサーモグラフィー検査、熱を持つ者の搭乗拒否、場合によっては羽田~新千歳間の封鎖を、内閣府・国土交通省に何度も依頼したが、全て拒否された旨、暴露しておりました。

これに伴い、「秋元市長と協議の上」で打った手が、来道者を発見したら、北海道式の防衛方法を隣近所で「教えてあげる」という運動を行うことでした。有り体に言えば、来道者の監視・管理です。
続けて、北海道主要都市間の移動制限、JR北海道の減便、繁華街の警官巡邏など立て続けに手を打ちました。

これは、押さえ込みからの水際防衛に見切りをつけ、浸透した敵を徹底的に内部で撃滅する方針に切り替えたことを意味します。

さらに鈴木知事と秋元市長の共同記者会見上、秋元市長は「コロナ終熄が全ての問題であり、札幌市としては経済問題の解決は、国が対処すべきものであると考えている」と発言しました。これは、経済問題は切り捨てるという宣言であり、この発表を聞いた事業者が泣いている姿がテレビに映し出されています。

その後、北海道から事業者へ一律\300,000の支給が発表され、続けて札幌市は事業者の売り上げ30%を市で引き受ける(30%値引きして販売した分を札幌市が補填する)、さらに札幌市役所の求人募集を大幅に増やして緊急公募すると発表。事業者からいささかの安堵が出たということです。

このやり方は、以前お話しした集団登校を一度拒否した上で、外出自粛解除と切り離してから承認したという手法と全く同じです。

六、格物
政治決断とはこういうことを言います。すなわち、問題の主眼を明確にするということは、優先順位をつけるということであり、その責任として、目的を完全に達成するということです。父権とはそういうことであり、母権は人情にひきずられてこれができません。

「家人嗃嗃(かくかく)たり。厲(はげ)しきを悔いれば吉。婦子嘻嘻(きき)たり。終に吝。」(『易経』家人・爻辞)
「家族が緊張感をもつように厳しく臨め。あまり厳しすぎることを反省すれば吉。女子どもがぎゃあぎゃあ騒いでいるようでは、あとで後悔することになる」

このままいけば指数関数的に感染者が何十万人になると脅す人がいますが、その人は北海道の初期事例でも、北海道はもはや1,000人以上の感染者がいて手がつけられないと言っていました。そうした脅しははじめこそ効果がありますが、いたずらに恐怖をあおるやり方では、いずれこれに疲弊した人の諦めと暴走を引き起こします。8割接触禁止というからには、その具体策もセットにしなければただの放言です。

また、目先のことばかり対処して問題の主眼、本件終熄までの時期を明晰にしなければ、いずれお祭り騒ぎに飽きた人々が、言うことを聞かなくなります。これでは三日坊主の筋トレやダイエットとなんら変わりがありません。

大切なことは、問題と対処、期間を明確に理解した上で、「生活防衛」のような、持続可能で無理のない対応を淡々と行っていく、その緊張感だけです。その意識を持たせる政策と説明とを行うことが、本当の「父権型」政治家だと思います。

ロシアや台湾のような専制的な政治風土のある国ならともかく、我が国の母権的な政治風土でできる最大限の父権型統制政治を敷いているという点で、秋元市長は当代随一の政治家であると言えるでしょう。もちろん、これが統制に親和性のある父権型社会である北海道民の気質によって支えられていることは、以前述べた通りです。

そして、これから1年半は同様の問題が起こるという、札幌医科大学の横田伸一教授の予測が当たっていれば、1年半後の感染者数において、北海道は全国10位まで下がっているのではないでしょうか。

本来であれば、第1波の押さえ込みに成功した時点で、内地との人の連絡を途絶し、その豊富な資源と生産力を生かして内地に物資を供給。「北海道モデル」を提示して、内地でも押さえ込みを進めると共に、北海道経済を立て直すことも可能でしたでしょうが、これはもはや難しいでしょう。

問題と対処、期間は明確になりました。これから以後起こるであろう問題と対処は、全てこれまでの派生型に過ぎません。ですので、ここまでを整理すれば、知性は既にその仕事を終えたというべきでしょう。コロナは物(現象)に過ぎません。それにどのように対処し、どういう社会を作っていくか格(ただ)すのは人間の問題です。王陽明はこのように学問していたのです。

以上、きれいにまとまったところで、このシリーズを終わりにしたいと思います。

大場一央

昭和54年生まれ。札幌市出身。儒教研究者。
札幌光星高校を経て、早稲田大学教育学部にてR.Wエマソンの直観主義教育を研究。早稲田大学大学院文学研究科東洋哲学専攻にて、王陽明の直観的思想を研究する。
鎌倉幕府の長老大庭景義、「鎌倉武士」の語源となった鎌倉景正の子孫であることに誇りを持ち、和漢の学問を今にリノベーションして、時代を先取りしようと目論む。
アメリカンショートヘアを何より愛する(猫なら何でもいい訳ではない)
Wikipedia大場一央

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?