車輪の下

行動だけが自分と世界を変えるので、「詩人になりたい」ということを、三割の冗談を込めて、この数日、僕はまわりの人たちに訴えるようにしていました。

備忘のため、また、標本として、その反応(の意訳・要約)を記すことにします。
・詩人は「なる」ものではないんです。(あしからず)
・馬鹿なことを言っていないで仕事してください。
・人は誰でも詩人ですよ。(ところで、仕事は終わったんですか?)
・哲学者あたりで我慢してください。
・他にやることありますよね?(にっこり)
おっと、残念ながら、誰もが自分の仕事と人生に精一杯で、詩に対して無関心のようですね。これもまた人生。

このようなことしたのは、この頃、コミュニケーションにとって意味の占める割合が、実は思ったよりも大きくないのではないかと思うようになったからで、意味を超越する存在、つまりリズムや詩的レイヤーへのシフトこそが情報外情報として大きい、という僕の仮説が最初のはずみをつけ、その勢いを増していたからです。

僕の三人のヒーローのひとり、古賀さん(書くことと編集のプロフェッショナル・情熱と志の人・人のいいところを見つけてくれる人)が書いた文章が、その仮説に勇気を与えてくれたりもしました。こういうのはタイミングですね。うれしい。

(余談ですが、個人的な体感値として、意味の占める割合は16パーセント程度です。残りの要素は、リズム、詩的レイヤーへのシフト量、権威/好意、ユーモア、演出/構成、距離、タイミング、などが上位を構成しているように思えます)

さて、僕がよくやる思考実験のなかに「アントニムゲーム」というものがあります。まあ、なんのことはない反意語や対語を考えるひとりあそびです。
それはたとえば「ほうれんそうのおひたし」の対義語について考えるという、ゆかいな遊びで、目的は「ほうれんそうのおひたし」のエッセンスを抽出することにあります。対義語を考えるために、そのものを知るというプロセスが必要なのです。辞書をめくってアトランダムに行うのもよいですし、道を歩いていて目についたものからスタートするのもいいです。

ところで、そのゲームの中では「詩」の対義語はどんな言葉なんでしょうね。
最近は少し時間ができたときに、そんなことばかりを考えています。


※古賀さんの文章 https://note.mu/fumiken/n/nb08a64b71bc3

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