なぜ、私は受験勉強で精神崩壊してしまったのか。

今から約13年前の2006年12月、中学1年の僕は精神崩壊して病気になった。

あれから、私の人生は変わってしまった。
なぜ、精神崩壊してしまったのか。

精神崩壊のプロセスとその後

1. 私の気持ちと親の気持ちが乖離している&親の意向が強い

まず、小学生の私は中学受験をしていた。
そもそも、当時は良い成績を出しているとは言い難かった。
当然、偏差値は低い。出てくるのは親曰く「底辺学校」。
ただ正直にいうと、別に底辺学校と言うほど、底辺でなかった。
私の親は難関大学附属中学を美徳化しており、そこの中学に入れさせたいと思っていた。当時の私は、別にそこの中学に魅力を感じておらず、別にいきたいとも思わなかった。
私と親の気持ちは乖離していた。親はそこに気付けなかった。

2. 受験を辞めるタイミングを逃した。

これが、私の犯した最も大きなミスだと思う。明らかに当時の自分は弱すぎた。どこかで意思表示すれば、精神崩壊は起きずに済んだかもしれない。

「受験辞めるか!?」

どうして、ここで「辞める!」と言えなかったのだろう。
もっと、強ければ、こんなことにはならなかった。

3. そして、全落ち。

そして、全落ちしてしまった。
その後、公立中学に進学したが、親は高校受験に目を向けていた。

4. 子供の意向を無視した志望校リスト

そして、ここから徐々に崩壊していく。
まず、私の同意なく親が勝手に志望校を書いてしまった。
しかも、全て難関大附属高校だらけ。

私は初めて、親に反論した。
「どうして、勝手に志望校書くんだ!!!僕は、まだ決めてない!」

そんな状態からの塾通いスタート。
当然、上手くいく訳がない。

5. 身体の危険信号を無視

ここから、少しずつ私の体調に異変が出てきた。チック症状みたいな物が出てきて、母親は病院に行かせようとしたが、父親が反対した。
そして、ここから父親は暴走し始める。

6. 父親の暴走

そして、父親は私の受験勉強に介入してきた。
「俺は英語が得意だから」という理由で強制的に英語を教えていた。
素面で教えるのは別に良いのだが、問題はまるで酔拳の如く、酒を飲みながら教えていた事だ。
失敗すると、恫喝、暴力を繰り返してきた。

7. 精神崩壊

そして、ついに2006年12月。私は精神崩壊を引き起こした
突然、発狂に近い大声が出るようになった。
受験勉強は中断した。
そして、それ以来、学校も不登校になり、受験勉強ところか通常の勉強も半年以上できなくなった。再開した時は、今までの内容がぶっ飛んでた。

8. 高校受験

結果、高校受験は放棄した。AO入試で通信制高校に入学した。
念のため、書いておくと、中学3年の時は勉強が出来るようになり、偏差値50以上取れるようになっていた。

当時、PCでWEBサイトを作っていた僕は、某高専の入学を希望した。
そして、難関大附属に進学しない意向を伝えた。


しかし、その高専は私の病気を理由に私の志願を拒否したのだ。

今までの努力が壊れた瞬間だった。

そして、私は"レール"から外れる決断をした。

9. 高校1年。16歳の決断。

私は、親に大学進学を辞める意向を伝えた。
親は黙って聞いていた。
私が大学進学を辞めた理由は、大学に興味がなかったからもあるが、
もう受験というレースを終わりにしたかったのだ

「お金稼げば、それでいいじゃないか。」

高校卒業したら、働く。そう決断をした。

10. その後

高校卒業後、整体師になったが、限界を迎え、3年で廃業した。
(整体師は、個人事業主 = フリーランスとしての契約であり、廃業が適切である。)
その後、本格的にITの勉強をしようと、新宿のITの専門学校に進学し、就職も決まり、現在に至る。

今、思うこと。

一つ、言えることは、箔をつける為の大学進学は何も意味を成さないということだ。

今でも、大学進学を捨てたことは後悔していない。
あのタイミングで大学行っても、ただの無意味な人間になっていたかもしれない。
あの時、行かない選択をしたからこそ、今の私がいる。

やはり、目標のための進学が一番である。

大学に入って何がしたのか?本当に大学進学が適切なのか?自分のやりたいことは何なのか?

これから先、新卒一括採用も無くなるかもしれない時代。
これからの子供たち、そして、その親御さんに言いたいのは、

良い大学に行かせるのではなく、まず人生の目標を持たせることを念頭においた方が良い。

ということです。

今後は、人生の目標を持つ事が、大事になってくると思っています。

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