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聖書日課(2024/4/15に与えられた聖句)

reading assignment:ヨハネ10:1-10 Ⅰペトロ4:1-11 losungアモス7:2-3 lehrtext:ルカ22:31-32 remind point:ヨハネ10:1-6 Ⅰペトロ4:7-11

”「よくよく言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
門から入る者が羊飼いである。
門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いて行く。
しかし、ほかの者には決して付いて行かず、逃げ去る。その人の声を知らないからである。」
イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。” (ヨハネ10:1-6) 原文(NA28)[1] Ἀμὴν ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ὁ μὴ εἰσερχόμενος διὰ τῆς θύρας εἰς τὴν αὐλὴν τῶν προβάτων ἀλλ’ ἀναβαίνων ἀλλαχόθεν ἐκεῖνος κλέπτης ἐστὶν καὶ λῃστής· [2] ὁ δὲ εἰσερχόμενος διὰ τῆς θύρας ποιμήν ἐστιν τῶν προβάτων. [3] τούτῳ ὁ θυρωρὸς ἀνοίγει καὶ τὰ πρόβατα τῆς φωνῆς αὐτοῦ ἀκούει καὶ τὰ ἴδια πρόβατα φωνεῖ κατ’ ὄνομα καὶ ἐξάγει αὐτά. [4] ὅταν τὰ ἴδια πάντα ἐκβάλῃ, ἔμπροσθεν αὐτῶν πορεύεται καὶ τὰ πρόβατα αὐτῷ ἀκολουθεῖ, ὅτι οἴδασιν τὴν φωνὴν αὐτοῦ· [5] ἀλλοτρίῳ δὲ οὐ μὴ ἀκολουθήσουσιν, ἀλλὰ φεύξονται ἀπ’ αὐτοῦ, ὅτι οὐκ οἴδασιν τῶν ἀλλοτρίων τὴν φωνήν. [6] Ταύτην τὴν παροιμίαν εἶπεν αὐτοῖς ὁ Ἰησοῦς, ἐκεῖνοι δὲ οὐκ ἔγνωσαν τίνα ἦν ἃ ἐλάλει αὐτοῖς.


καὶ οἴσει αὐτὸ πρὸς τὸν ἱερέα. καὶ δραξάμενος ὁ ἱερεὺς ἀπ᾽ αὐτῆς πλήρη τὴν δράκα, τὸ μνημόσυνον αὐτῆς ἐπιθήσει ἐπὶ τὸ θυσιαστήριον τῶν ὁλοκαυτωμάτων κυρίῳ· ἁμαρτία ἐστίν.(Lev.5:12)
品詞
1 καὶ οἴσει αὐτὸ πρὸς τὸν ἱερέα. (カイオイセイアウトプロストンヒエレア)彼はそれを祭司のところへ携える。

2 καὶ δραξάμενος ὁ ἱερεὺς ἀπ᾽ αὐτῆς πλήρη τὴν δράκα, τὸ μνημόσυνον αὐτῆς ἐπιθήσει ἐπὶ τὸ θυσιαστήριον τῶν ὁλοκαυτωμάτων κυρίῳ·(カイドラクサメノスホヒエレウスアパウテースプレーレーテーンドラカトムネーモシュオンアウテースエピテーセイエピトトュシアステーリオントーンホロカウトーマトーンキュリオーィ)祭司はその中からひとつかみを取ってその想起の分を、主に捧げる焼き尽くす捧げものの祭壇の上に置く。

3 ἁμαρτία ἐστίν.(ハマルティアエスティン)罪がある(からである)。

レビ記5章12節。2024年1月27日朝の長浜公園散歩にて。病院の中の梅の木にメジロが来ていた。ἁμαρτία ἐστίνのところ、秦剛平訳では、それは罪であると訳しているが、ἐστίνとアクセントがある場合は存在を表わすから、上記の訳とした。γάρが欲しいところ、無いと舌足らず。ἐστίν γάρ ἁμαρτίαがギリシャ語的にはぴったりするところだろう。通常の~ですの意味だとアクセントはなく、文頭に来ることができない(encliticだから)。ヘブライ語原文は、
a sin offering , it .となっている。ヘブライ語の1語目のkhat-taw-aw'は罪自体の意味と罪の贖罪の捧げものの両方の意味を持っている。しかるにἁμαρτίαには捧げものの意味は無い。

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