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大好きな母と大好きなバナナジュース

唐突ですが、今、本当につい今この時に思ったことを書きます。

今さっきまでカフェというか喫茶店というか、お出かけをしてきました。

最近このあたりのカフェ系に行くとやたらと目にするドリンクメニューにバナナジュースがあるんです。でも、いつも気になっていたのだけど、「その気分じゃないかな」と頼んでいませんでした。

だけれど、今日の私は初めて入った店でバナナジュースを頼んだ。

理由は、フツーに「飲みたいな」と思ったから。
デザート代わりにもなるし〜なんて思ってルンルン気分だった。

そして、いざバナナジュースが目の前にきて、一口飲む。

すると思い出した。

母が作る大好きなバナナジュース。

うちのミキサーは、見るからに頑丈だろうなという厚手のガラスでがっしり大きくて重いミキサーだった。
母は「このミキサーは重いから洗うのが大変」
そんなことをこぼしていた記憶がある。

このミキサーにバナナと牛乳を入れて母が作ってくれるバナナジュースが私は大好きだった。

私の大好きな「お母さんの味」だ。

でも砂糖が入っていたのかいないのか、どっさり入っていたのか少しだったのか、バナナと牛乳の割合はどのくらいなのか、肝心なポイントは私は何も知らない。
いつだって母がせっせと作ってくれていたから。

おやつに飲んだこともあるし、お風呂上がりに「プハーッ」と飲んだこともある。
傷み始めたバナナの消費に、という時もあったと思う。

母のバナナジュースは、バナナを丁寧に包丁でカットしたりなんてしない。
ミキサーの上で皮をむいて手で適当にバナナをちぎっていく。たぶんきっと牛乳だって計ってなんていない。

そんな母のバナナジュースは果肉がちょっと残っていて、グラスに注ぐ時にはドロッとしていた。
それがまた美味しいのだ。

一方で私が今日飲んだバナナジュースはサラリとしていた。

だけど、グラスに注がれたその見た目と味が、私の視覚と味覚を刺激してパーッと思い出したんだ。

私の大好きな思い出の味。

私の大好きなバナナジュース、
私の大好きな母のことを。

なんだか最近の私は頻繁に「母が」「母が」と言っている。

つい昨日か一昨日には、私が演歌を歌うのは亡き母を思うその気持ちからかもしれない、とも思った。

大好きな母に伝えたかったこと、伝えきれなかった感謝や言葉、そんなあれこれを込めて演歌を歌うということもありなのだなと思った。

そういった流れもあってか、さっき出会ったバナナジュースで感じたことをどうにか残しておきたいと思ってこうやって書いている。

自分は自分、私は私なのだけれど、私の中には母がいて、それは決して自分がないとかそういう悪いことではなくて大切にしていいこと。

だって私はお母さんが大好きだったし、今でも大好きなんだから。

もうバナナジュースの作り方を聞くこともできないし、「また作ってね」とも「美味しかったよ」とも言えないけれどそれでいい。

あの店に行ったらバナナジュースが飲める。
他にもきっといろんなバナナジュースがある。

大好きな母のバナナジュースは大切に大切に胸にしまいながら、新しいこともしていくよ。

そしていつか、「こんなのもあったよ」なんて言えたらいいな。


彩(sai)

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