ダンス・ガール ー『舞姫』(森鷗外)の現代語訳

  石炭はもう積み終えた。中等室の机の周りはとても静かで、電灯の光が華やかなのも空しい。毎晩ここに集まるカード仲間も今夜はホテルに泊まって、船に残っているのはぼく一人だから。

 五年前になるけど、日ごろの願いがかなって海外留学の辞令を受け、このベトナム・サイゴンの港まで来たときには、見るものも聞くものも何もかもが新しかった。思いつくままに書いた紀行文が時間とともに相当な量になって、その頃の新聞に載り、評判にもなった。でも、今になって思うと幼稚な考えや身の程をわきまえない放言、それ以外にもありふれた事物や風習なんかを得意げに書いてしまって、なんと思われていることか。今回は、日記をつけようと買ったノートも白紙のままだけど、これはドイツで学んでいる間に一種の「クールさ」を身に付けたからだろうか? いや、理由は別にある。

 というのも、日本に帰る今のぼくは、ヨーロッパに行くときとはまるで違ってしまっているのだ。学問についてはまだ学び足らないだろうが、世間の辛酸というのをなめたわけで、人の心が頼りないものだとはよく言ったもの。自分の気持ちや自分自身だって、すぐに変わってしまうことを悟ったのさ。昨日のぼくが今日のぼくではないのに、この瞬間の気分を文章にしたところで誰に見せるのだ。というのが日記が白紙の訳。なのか? いや、理由はもっと他にある。

 イタリアのブリンディジ港を出てからはや二十日。普通ならば知らない同乗客とだって知り合いになって、暇つぶしのおしゃべりでもするのが航海というものだけど、風邪気味だといって自室に引きこもって、同行の人達とさえあまり話さないのは、人には言えない恨みで頭が一杯になって悩んでいたからだ。この恨みは初めは一抹の雲のようにぼくの心をかすめて、そのせいでスイスの山景色も見る気がせず、イタリアの名所旧跡も心に残らず、ぼくはだんだんとこの世が嫌になって、生きるのも嫌になり、胃腸がぐるんぐるんになる程の虐痛に悶絶した。やがてその恨みは心の奥底に小さく固まって一点の染みになったけれど、本を読んだり物を見たりするたびに、鏡像やこだまのように、忘れかけていた気持ちが限りなくよみがえって、何度も何度も心を苦しめる。もういったい、どうしたらこの恨みが和らぐのだ。普段なら詩や歌にしてしまえば、気分も晴れるのだけど、この恨みに関しては、心に深く刻まれてしまってそうも行かない。でもまあ、今夜は誰もいないことだし、ボーイが消灯に来るには時間もあるので、そのいきさつでも書いて見るとしますか。

 小さな頃から厳しくしつけられたおかげで、父を早くに亡くしたものの、勉学を怠<<おこた>>ることなく、地元の藩校でも東京に来て東大予備門や法学部に入ってからも、太田豊太郎の名前はいつも首席だった。一人っ子のぼくを頼りに生きる母の心も、慰められたはずだ。十九歳の時には、創立以来の快挙などと言われて、大学を卒業した。そのまま、ある省に勤務して、故郷の母を東京に呼んで、三年間くらいは楽しく暮らした。官長にも可愛がってもらい、留学して担当の職務を調査せよと辞令を受けた。今こそ、名をなして、家を興すぞ、とワクワクして勇気凛々だったので、五十を過ぎた母と別れるのもそれほど悲しくはなかった。そして、はるばるベルリンへと来た。

 ぼくはぼんやりとした功名心と、強制になれた勉強力とで、気が付けばヨーロッパの大都会の中心に立っていた。なんという輝きだろう、ぼくの瞳をみたすのは。なんという華やかさだろう、ぼくの胸を騒がせるのは。一直線に伸びる大通り、ウンター・デン・リンデン(菩提樹下と訳すと抹香くさい感じですね)の歩道の石畳を行きかう人々を御覧あれ!まだヴィルヘルム一世が健在だった頃で、胸をはって堂々としたカラフルな礼装の士官や、パリ・スタイルの美少女たち、どれもこれも驚かずには居られない。アスファルトの車道には様々な馬車がが颯爽と走り、雲にそびえて立ち並ぶ摩天楼のあいだに見えるのは、晴れた青空に飛沫<<しぶき>>を散らしている噴水。さらに向こうのブランデンブルク門の彼方には、木々の合い間から空に浮かび上がる凱旋塔の女神像。こんなにたくさんの見るべきものが集まっているので、初めてここに来る人が、見物に忙しいのもうなずける。しかしぼくは、どんな場所に行っても、誘惑には負けないぞと決心していて、外界には心を閉ざしていた。

 チャイムを鳴らして受付に行き、政府発行の紹介状を出して日本から来たと伝えると、プロイセンの役人はみんな親切で、「公使館の手続きが無事終わったら、何でも聞いてください、教えますから。」と言ってくれた。それにしても、日本でドイツ語とフランス語を学んでおいたのは正解だった。嬉しいことに、初めてぼくと話したとき、役人たちは口をそろえて「上手ですね。いつどこで勉強したのですか?」と聞いてきたのだ。

 さて、かねてから許可は得ていたので、公務の合い間に大学で政治学を学ぼうと、聴講の登録をした。

 一、二ヶ月も経つと、公務の打ち合わせも済んで、調査もだんだんはかどって来た。そこで、急ぎの用件は報告書を作って郵送し、そうでもないのはノートに書き留めておいたのだが、やがてそれが何冊にもなった。何しろ未熟だったので、大学では政治家になるための講義を取ろうと思ったのだが、もちろんそんなものは無い。結局あれこれ迷ってから、法学の授業を二、三とることにして授業料を納めた。

 そんなわけで、三年ばかりがあっという間に過ぎたのだが、誰だって本性というのがあって、いずれそれが露わになる。父の遺言を守って母の言う通りに、神童だのとおだてられつつ、サボらず勉強をした時から、官長に使える新人などど褒められるのが嬉しくて、まじめに勤務していた時まで、ぼくは自分が人に言われるままの受動的なロボットに過ぎないことに気づいていなかった。しかし今二十五歳になって、もうかなりの時間この大学の自由な学風に当たったせいで、心中はなんとなく穏やかでなくなり、奥のほうに仕舞ってあった本当のぼくが現れてきて、それまでのぼくを責めるようになった。ぼくがなりたいのは、社会に出て活躍する政治家でも、法律に詳しくて人々に裁きを下す法律家でもないのだと気づいた、とその時は思った。

 「母はぼくを生き字引にしようとし、官長はぼくを歩く法律書にしたがってる。字引ならまだしも、法律書は耐え難い。」とこっそり考えていた。それまでは些細な問題にも、実に丁寧に回答していたのだが、そのころから、官長への返信では、「条文の詳細に拘るべきではない。」と論じて、「法の精神さえ理解すれば、細々したことは明解なはずだ。」などと大口をたたくようになった。大学では法学の講義は止めて、歴史や文学に心を寄せて、その面白さが分かり始めていた。

 そもそも官長は、自分の言うとおりになるロボットが欲しかったのだろう。独立した意思があって、自尊心もある部下を喜ぶはずがない。ぼくの立場はなんとも危うくなってしまった。だがこれだけでは、ぼくが職を失うほどではない。しかし、日頃からベルリンの留学生の中のある連中といざこざがあって、連中がぼくのことを疑って、ありもしないことを告げ口した。とはいっても、理由はそれなりにあるのだけれど。

 連中はぼくが一緒にビールも飲まず、ビリヤードもしないのを、頑固で自制心があるからと、嘲<<あざけ>>ったり妬<<ねた>>んだりしたようだ。まあ、ぼくを知らないからだけど。しかし、ぼくも知らなかったことなのに、ぼくを知らない人が知るはずもないか。つまりぼくの心は、何かが近づくと縮こまって逃げてしまうのだ。ねむの木の葉のように。あるいは処女のように。小さいときから大人の言うとおりに勉強して、官僚になったのも、勇気があってがんばったのではない。ド根性勉強力と見えるのも、自分自身を騙して、他の人も騙して、他の人の言うとおりの道をわき目も振らず歩いただけのこと。気が散らないのは、外界を遮断する勇気があるからではない。たんに外界が怖くて、自分の手足を縛っていたからだ。故郷を出るときは自分が有能であると疑なかったし、自分が精神的にタフあると深く信じていたけれど、それも束の間。横浜港を出発するまでは、天晴れ豪傑と思っていた自分が、なぜか涙でハンカチを濡らして、変だなぼくとしたことが、などど思っていたけど、なんのこれこそぼくの正体なのだ。心の弱さは生まれつきかも知れないし、あるいは、父を早くに亡くして、母に育てられたせいかも知れないけれど。

 だから彼らがぼくを嘲るのはもっともだけど、妬むとは愚かですな。こんなに弱くて哀れな心なのに。

 ケバケバしい厚化粧女がカフェで客引きをしていても彼女たちを買う勇気もなく、オネエ言葉のゲイボーイを見ても遊ぶ勇気などない。そんなわけで、遊び好きな日本からの連中ともつるむことなどなかった。人付き合いが悪いために、彼らはぼくを嘲ったり、妬んだりするばかりでなく、ついにはぼくの事を疑い始めた。これがきっかけで、ぼくは、濡れ衣を着せられて、そのうちに、とんでもなく難儀なことになってしまった。

 ある日の夕暮れ、ぼくは動物園を散歩してウンター・デン・リンデンを過ぎ、モンビシュウ街のアパートに帰ろうとして、クロステル町の教会の前に来た。街灯が明るく立ち並んだ通りを過ぎて、クロステル町の薄暗い路地に入ると、上階の手すりににシーツが架かって、シャツも干したままの民家や、頬髯を伸ばしたユダヤの老人が店前にたたずんでいる居酒屋、一つの階段が上階に伸び、もう一つの階段が鍛冶屋の住む地下室へとつながっているアパートなどがあった。それらの建物に向かって、凹字形に建てられたこの築三百年の古い教会を見ると、いつもうっとりとして、しばらくの間、眺めていたことは数え切れない。

 さてこの場所を通り過ぎようとすると、閉じている教会の門の前で、声を押し殺して泣いている少女がいた。年齢は十六、七だろうか。スカーフが美しい金髪をつつみ、衣服が垢じみて不潔という訳でもない。ぼくの足音に驚いて顔を上げると、言葉にはできない美しさ。愁いを含んだ青い瞳が長い睫毛に涙を溜めるのを一目見るだけで、ぼくは心を撃ち抜かれた。

 どんな悲しいことがあって、人目もはばからずにここで泣いているのだろう。あまりに可哀相で、ぼくは普段は引っ込み思案なのに、思わずそばに寄って、「どうして泣いているんですか? ぼくは外人だけど、何か力になれることがあるじゃないかと思って。」と声をかけたのだけど、我ながら良くやるよね。

 彼女は驚いて、東洋人のぼくの顔をポカンと見てたけど、ぼくの真心は伝わったようだ。「アイツよりはいい人だよね、きっと。お母さんよりも。」というと、また泣き始めて、可愛いらしい頬<<ほほ>>に涙が流れた。「お願い、助けて。援交なんてヤダ。あの男の言うことを聞けってお母さんに叩かれるし、お父さんは死んじゃって。明日はお葬式しなきゃだけど、お金は一銭もないし。」

 後はもう、すすり泣くだけ。ぼくは泣きながら震える少女のうなじをじっと見ていた。

「家まで送っていくから、泣くのはよそう。こんな所じゃ、みんな見てるから。」少女は話しながらいつの間にか、ぼくの肩にすがっていたけれど、顔を上げて恥ずかしそうに後ずさった。

 人に見られるのが嫌で速足で歩く少女の後について、教会のはす向かいの大きな扉を入ると、古くて欠けた石階段があった。これを上ると、四階に、腰を曲げてくぐって入るような小さなドアがあった。捻じ曲がった針金で出来た錆びた取っ手を少女が強く引っ張ると、中からしわ枯れた老女の声がして、「だれ?」と問いかけてきた。「ただいま。エリスです。」と答える間もなく、ドアを引いて老女が出てきた。半ば白髪で、不細工というのではないが貧苦が刻まれた顔、古びた毛織の服を着て、汚れたスリッパを履いていた。エリスがぼくに会釈して入ると、その女は待っていたかのようにドアをバタンと閉めた。

 ぼくはしばらくボーッとして立っていたが、ランプの光でドアを見ると、漆でエルンスト・ワイゲルトとあり、その下に仕立物師と書いてあった。これが亡くなったとか言う少女の父親だろう。中からは言い争うような声が聞こえてきたけれど、やがて静かになって、またドアが開いた。さっきの老女が丁寧に無礼をわびて、ぼくを中へと迎えた。入ってすぐにあるのは台所で、右手の低い窓に真白に洗った麻布がかけてあった。左にはレンガを積み上げた粗末なかまどがあった。正面の部屋のドアが半開きになっていたが、中には白い布をかけたベッドがある。横たわっているのは亡くなった父親だろう。老女はかまどのそばのドアを開けて、私を中に入れた。その部屋は、屋根裏の通りに面した部分なので、天井もない。屋根の裏側に沿った斜めの梁<<はり>>に壁紙が貼ってあって、その下の立てば頭をぶつけそうなところにベッドがあった。部屋の中央の机には美しい毛織のテーブルクロスがかかっていて、その上には本が二、三冊とアルバムが並び、花瓶にはこの部屋には不釣合いな高い花束がいけられていた。その横に少女は恥ずかしそうに立っていた。

 彼女はとても美しかった。透明な白い肌がランプに照らされて少し赤らみ、すらっとした手足は貧乏人らしくない。老女が部屋を出たあとに、その少女は言った。「ごめんなさい、こんな所まで連れて来て。あなたは、きっと良い人ですよね。私のこと嫌なやつだと思わないでください。明日お父さんのお葬式があるんだけれど、当てにしてたのが、知らないだろうけどビクトリア座の座長のシャームベルヒという人なんです。あたしはそこで二年も働いているから、きっと助けてくれるだろうと思っていたのに、あのエロジジイ、人の弱みにつけ込んで、あんな事言うなんて。お願いだから、助けてください。お金は、ご飯抜いてでもお給料の中から返します。もしダメならお母さんの言うとおりにするしかないんです。」彼女は肩を震わせて泣いていた。その涙目で上目づかいに見つめられたら、誰だって萌えてしまう。果たして、この仕草は意識的なのか無意識なのか。

 ポケットにはニ、三マルクの銀貨があったけれど、それで足りるはずもないので、時計を外して机に置いた。「これで急場をしのいでください。質屋の店員がモンビシュウ街三番地の太田まで来てくれれば、支払いをするので。」

 少女は驚いて感動した表情を浮かべ、ぼくが別れ際に手を伸ばすと、その手にキスをしたけれど、はらはらとこぼれる熱い涙で手の甲は濡れてしまった。

 いやはや、それが不幸の始まりだった。お礼を言いたいといって、ぼくのアパートに来た少女は、ショーペンハウエルだとかシラーだとか、本ばかり読んで一日中引きこもってるぼくの部屋に咲いた、美しい一輪の花だった。このとき以来、ぼくたちはだんだん頻繁に会うようになって、それが在留の日本人にも知られるようになってしまった。彼らは早合点して、ぼくが女を求めてダンサーを漁っている、と決め付けた。ぼくたちは無邪気に楽しく過ごしていただけなんですが。

 ここに名前を書くつもりはないけど、同国人の中に事を荒立てるのが好きな奴が居て、ぼくが劇場に通いつめダンサーとケシカランことになってると、官長に告げ口した。官長は、もともとぼくが別な学問に熱心なのが気に入らなかったので、公使館に連絡を入れ、ぼくをクビにした。その辞令を伝える公使によると、すぐに帰国するなら旅費は支給するけれど、ここに残るのなら、自分で生活しろとのこと。ぼくは一週間のモラトリアムをもらってあれこれと考えたが、その最中に、人生でもっとも悲痛な手紙が二通きた。この二通はほとんど同時に出されたものだったけど、一通は母からで、もう一通は親戚から。母の、誰よりも大好きな母の死を知らせる手紙だった。ぼくは母の手紙をここに写すことが出来ない。涙があふれて、ペンが動かないから。

 ぼくとエリスの交際は、この時までは他人が思うのとは違って、清く純真なものだった。父親が貧しかったのでエリスはまともな教育を受けられず、十五の時にダンサーに応募して、ダンスという下賤な仕事を教えられた。教習が終わるとビクトリア座に出て、今ではダンサーのなかで二番目の人気だった。だけど「現代の奴隷」なんて言われているようにダンサーと言うのは大変なのです。安い給料で拘束され、昼は練習、夜は舞台とこき使われ、舞台では立派な身なりできれいに化粧していても、劇場から出れば自分の衣食でさえ足りないがちで、まして親兄弟を養っている人はどれほど苦しいことか。だから彼女たちの中では、いかがわしい仕事に落ちていかないほうが珍しいそうだ。エリスがそうならなかったのは、おとなしい子だったのと父親がシッカリしていたから。エリスは小さいときから本を読むのが好きだったけど、手に入るのは貸し本屋の三文小説だけだった。ぼくと知り合ってから、ぼくが貸す本を読んで、だんだんとその面白さを理解するようになった。言葉がなまっているのも直してあげたし、そのうち送ってくる手紙も誤字が少なくなった。というわけで、ぼくたち二人の間は、まず師弟としての関係から始まったのだ。ぼくが不意にクビになったと聞いて、彼女は青ざめた。もちろんエリスのせいでクビになったとは言わなかったけれど、彼女はぼくに、「お母さんには内緒にしておいて。」と言った。ぼくが学資を失ったら母親は交際を許さないだろうと恐れたのだ。

 ああ! 詳しくは書かないけれど、ぼくがエリスを愛しくてどうしようもなくなって、もう他人じゃない関係になってしまったのは、この時なんです。自分自身の一大事で、危急存亡の秋<<とき>>だってのに、何やっているんだと呆れて、馬鹿だという人もいるだろうけど、初めて会ったときから、エリスのことが好きで好きで、いまぼくの不運に同情して、そして別れを悲しんで俯いてしまった顔に乱れた髪がかかって、可愛くていじらしくて、悲しみのどん底にいたぼくは、何が何だか分からなくなって、訳も分からずこうなってしまったのです。どうしよう。

 公使に約束した日が近づいて、運命の分かれ道が迫ってきた。このまま日本に帰っても、学問の途上での不名誉で、ぼくの居場所がない。かといってここに留まっても、どうやって生活できるのか。

 このときぼくを救ってくれたのは、いま一緒に帰国の途についている相沢健吉だ。彼はその時は東京にいて、すでに天方伯爵の秘書官だったのだが、ぼくがクビになったと官報に載ったのを見て、ある新聞の編集長を説得してくれた。ぼくは新聞社の特派員になって、ベルリンで政治や文化などを報道することになった。

 安い給料だけど、アパートをかえて昼食に行く店も変えれば、質素に暮らしていけるだろう。とあれこれ思案しているときに、優しい心でぼくを助けてくれたのが、エリスだった。どうやって母親を説得したのか分からないけど、ぼくはエリス親子の家に居候することになった。エリスとぼくはいつのまにか、少ない収入をあわせて、貧乏だけど楽しい毎日を送っていた。

 朝のコーヒーを飲むと、彼女は練習に行くか家にいて、ぼくはケーニヒ街のうなぎの寝床のような喫茶店に行った。置いてある新聞を全部読んで、鉛筆を出してあれこれと材料を集めた。光が天井の窓から差込む部屋で、無職の若者やわずかな利息で遊んで暮らしている老人、取引所の仕事の合間に休憩に来た商人たちと肘を並べた。ひんやりした石のテーブルで、忙しくメモを取り、ウエイトレスが持ってくるコーヒーが冷めるのも気にならなかった。新聞を何種類も配架している壁の近くに席をとり、次々とそれらを取ったり戻りしたりで往復している日本人は、どう思われていたのだろう?  そして、一時近くなると、練習に行った日にはその帰りに立ち寄って、ぼくと一緒に軽やかに、舞うように店を出ていく少女を見て、怪しく思う人もいただろう。

 ぼくの学問は衰えてしまった。屋根裏のかすかなランプで、劇場から帰ってきたエリスが坐って裁縫なんかをしている横で、ぼくは机に向かって新聞の原稿を書いた。無味乾燥な法令を書き写していた以前とは違って、今度は躍動する政治の動き、文学や美術の新潮流の批評などについて、材料を集め精いっぱいの力で、評論家であるよりはハイネのような戦う詩人でありたいと願い、多くの文章を書いた。ちょうど、皇帝ヴィルヘルム一世と次の皇帝フリードリヒ三世が相次いで崩御した頃で、新しい皇帝の即位や鉄血宰相ビスマルク侯の進退などについては、特に詳しい報告を送った。そんなわけで、その頃は思ったよりも忙しく、わずかに持っていた教科書を開くこともなくなり、以前学んだ学問からは離れてしまった。大学の籍はまだ残していたけれど、授業料を納めることが難しいので、唯一取っていた講義も行くのを止めてしまった。

 ぼくの学問は衰えてしまった。だけど、学問とは別の、一種の見識を養うことができた。つまり、ジャーナリズムが盛んなのはヨーロッパの中でもドイツが一番で、何百もある新聞・雑誌に掲載される文章には、きわめて高尚なものも多い。大学にまじめに通った時に、物事を見る目を養うことが出来たので、ぼくは特派員になった時から、その文章を読んで読んで、書き写しまくった。そのうちに、今まで一筋の道でしかなかった知識が自然と網の目のように広がっていき、他の日本人留学生なんかには、想像もできないような境地に至った。彼らの中には、ドイツの新聞の社説すらちゃんと読めないのが多いので。

 明治二十一年の冬が来た。表通りの歩道では、滑り止めの砂をまいたり、雪をかいたりしているけれど、クロステル街のあたりでは、凸凹の道に雪が積もって一面に凍ってしまっている。朝起きて戸を開けると、飢えて凍えたかわいそうな雀が落ちて死んでいた。部屋を暖めるために、かまどに火をつけても、石の壁から伝わって木綿の衣服を貫いてくる冷気は、耐え難いほどだ。エリスはニ、三日前の夜に、舞台で卒倒してしまい、人に支えてもらって帰ってきたが、それから具合が悪くて、劇場を休んでいた。何か食べるとすぐに吐いてしまうのを見て、それが悪阻<<つわり>>だと気づいたのはエリスの母だった。ああ、自分の将来でさえ心細いのに、もし本当に妊娠してるとしたら、どうしよう。

 今朝は日曜なので家にいるけれど、心は楽しくない。エリスは寝ているほどではないけれど、小さなストーブの傍の椅子に坐ったままで、言葉が少ない。玄関で人の声がした。しばらくして、台所にいたエリスの母が私に、配達された手紙をもって来た。見覚えのある相沢の筆跡だったが、日本にいるはずなのに、プロイセンの切手が貼ってあり消印はベルリンだった。何だろうと思って開けて読むと、「急な話になってしまいましたが、昨夜、天方大臣に随行して私もベルリンに来ました。大臣があなたに会いたいと言っています。すぐに来て下さい。名誉挽回のチャンスです。取り急ぎ用件のみで失礼します。」とあった。読み終わって呆然としているぼくを見て、エリスは、「日本からの手紙?  悪い知らせ?」と言う。エリスは例の新聞社の報酬についての手紙だと思ったのだろう。「いや、心配ないよ。エリスも知ってる相沢が、大臣といっしょにベルリンに来たので、ぼくを呼んでいるのさ。急ぎらしいので、今から行く。」

 まるで可愛い小さな子の面倒をみる母親のようだった。大臣に会うかもと思えばだろうけど、エリスは、病身を起こして、一番白いシャツを選んでくれ、丁寧にしまって置いた二列ボタンのフロックコートを取り出して、ぼくに着せてくれた。ネクタイも頸<<くび>>に手をまわして結んでくれた。

「これで完璧だね。見て、鏡に向かって。 何でそんな顔をするの? 私が一緒に行きたいくらいなのに。」と言ってから、真面目な顔をして、「こんな立派な恰好をしていると、私の知っている豊太郎さんじゃないみたい。……たとえ出世しても、私を見捨てないでね。妊娠しているかは分からないけれど。」

「え、出世?」ぼくは微笑んだ。「政治の世界に打って出るなんて考えは、もう何年も前に捨てたよ。大臣に会いたいんじゃなくて、懐かしい友達に会いたいだけですよ。」エリスの母親の呼んだ一等の辻馬車が、軋<<きし>>る雪道を走って窓の下まで来た。ぼくは手袋をして、少し汚れているコートは袖を通さずに背中で羽織って、帽子を手に取ってから、エリスにキスして階段を降りた。エリスは凍り付いた窓を開けて、北風に乱れ髪をなびかせて、ぼくの馬車を見送ってくれた。

 首相官邸横にそびえるホテル・カイザーホーフ入口で馬車を降り、門番に相沢秘書官の部屋番号を聞いて、長いこと歩いていなかった大理石の階段をのぼると、天鵞絨<<びろうど>>のソファが置かれた鏡張りのロビーに入った。コートをここで脱いで、廊下を進んで相沢の部屋の前まで行ったが、そこで少々ためらった。同じ大学にいた時には、ぼくの品行方正ぶりを褒めてくれた相沢が、今日はどんな顔で出迎えてくれるだろう。そう思いながら部屋に入ってみると、太って恰幅が良くなってはいたが、以前と変わらない快男子で、ぼくの失態も大して気にしていないようだった。会っていない間のあれこれを話す暇もなく、大臣のところに連れて行かれ、ドイツ語の文書を至急翻訳せよとの依頼を受けた。ぼくが文書を受け取って大臣の部屋を出ると、相沢が追いかけてきて、昼食を食べようと言った。

 昼食の席で相沢はたくさん質問し、ぼくはたくさん答えた。順調なのは彼の人生で、山あり谷ありなのがぼくの人生だったから。

 ぼくが腹を割って自分の不幸な人生を語ると、相沢は何度も驚いてはいたけれど、ぼくのことを非難はせずに、むしろ他の凡庸な連中のことを非難した。しかし、話の終わりには、真面目な顔をしていさめるように言った。「今までのことは、生まれつきの弱い心から生じたことで、今さらどうしようもないさ。とはいっても、学識もあって才能のある人物がいつまでも一人の少女の情にほだされて、無意味な生活をつづけるべきじゃないよ。今は天方大臣もただ太田君のドイツ語を利用しようというだけだ。ぼくも、大臣が太田君の免官当時の理由を知っているので、あえて説得するつもりはない。大臣にただの身内びいきだと思われては、太田君に何の利益もなく、ぼくが損をするだけだからだ。人を推薦するには、まずその能力を見せるのが一番だから、大臣に太田君の実力を示してくれ。それから例の少女との関係は、たとえ真心があったとしても、たとえ愛情が深かったとしても、太田君に釣り合った恋じゃないよ。惰性のままにつき合っているだけだ。思い切って別れるべきだよ。」というのが、彼の話の大筋だった。

 相沢の話というのは、大海原で途方に暮れている船乗りが、はるか彼方に山を見つけたような物だった。だけどこの山は、深い霧の向こうに見え隠れして、いつたどり着けるのかも、いや果たしてそんな所に行けたとして、それでぼくは満足なのかも良く分からなかった。貧しい中でも楽しいのは今の生活、捨てられないのはエリスの愛。ぼくの弱い心では決心できるはずもなかったけど、とりあえずは相沢に逆らわずに、「エリスとは別れる。」と約束した。ぼくは何かを失うのが怖くて、自分の敵に対しては言いなりにはならないけれど、友達に対してはノーと言えない人なんです。

 相沢と別れて外に出ると、頬に強い風が当たった。二重のガラス窓を閉めた、大きな暖炉のあるホテルのレストランから出たので、薄いコートだけでは午後四時の寒さが身に染みて鳥肌が立ち、心の中を寒い風が吹き抜けていくような気がした。
 
 翻訳は一晩で完成した。あの日以来、ホテル・カイザーホーフにしばしば通うことになって、はじめは大臣も用事のことしか話さなかったけれど、だんだんと最近の日本の状況などについてぼくの意見を求めるようになり、時には旅行中の人々の失敗談など話題にして笑うような関係になった。

 一か月ほど経ったある日、大臣は突然、「私は明朝ロシアに出発するのですが、一緒にきませんか?」とぼくに言った。ぼくはこの数日間、公務で忙しい相沢とは会っていなくて、そんな話は全く知らなかったので、驚いてしまった。「もちろんです。」恥を忍んで言うと、こう答えたのは、その場で決断したからではない。ぼくは自分が信頼している人に突然何か言われた時は、良く考えもせずに「はい。」と答えてしまうことがある。後になってそれが難しいと分かっても、その時いい加減に答えたのを隠して、無理してやってしまう事がよくあった。

 この日は、翻訳の代金に加えて、旅費もいただいて帰り、翻訳の代金はエリスに渡した。これでロシアから帰ってくるまでの生活費なるはずだ。医者に行ったところ、エリスは身重<<みおも>>だという。貧血になりやすい性質なので、何か月も気づかなかったのだろう。座長からは、休みがあまり長いので解雇すると言ってきた。まだ一か月しか休んでいないのにこんなに厳しいのは、他に理由があるはずだ。エリスは、ぼくの旅立ちについては、大して悩んでいないようだ。ぼくの心に偽りはないと固く信じているのだ。

 ロシアへは鉄道でさほど遠くない旅なので、とくに用意することもなかった。体型に合わせて借りた黒い礼服、新しく買い求めたゴータ版のロシア貴族の系統譜、二三の辞書などを小さい鞄に入れただけだ。さすがに心細いことばかり続いていたので、私の出て行った後に、家にぼつんと残るのも寂しいだろうし、駅に送りに来て泣いてしまっても心残りになるだけだと思い、エリスと母親を、翌朝早く知人のもとへ見送った。その後、ぼくは旅支度をして戸締りをし、鍵は建物の入口に住む靴屋の主人に預けて出発した。

 ロシア出張については、何を書いたらいいだろうか。気が付けばぼくは通訳として、宮廷の中で任務を果たしていた。大臣一行に従ってロシアの首都ペテルブルクに滞在しているときに見たのは、氷雪の中に突然パリが現れたかのような豪華絢爛なお城、とりわけ蜜蝋の蝋燭を数え切れないほど灯した部屋で、集まった人々の勲章がきらきらと輝いて、肩章にも蝋燭の光が反射するその輝きや、精緻な彫刻のある暖炉の炎の周りで、宮廷女官が寒さを忘れてつかう扇子のきらめきだった。ここではフランス語を最も円滑に使うのはぼくだったので、主人と来客との間で立ち回わるのも、ぼくが一番忙しかった。
 
 その間、エリスのことを忘れた訳ではない。エリスは毎日手紙を送ってきたから、忘れることなんて出来なかった。ぼくが出発した日には、「いつもと違って一人でいるのが寂しくて、知人のところで夜になるまで話をしていて、やっと疲れてきたので家に帰ってすぐに眠ってしまった。翌朝目が覚めると、一人で後に残されたのは夢ではないかと思った。起き出した時の心細さ、こんな気持ちには、生活費に苦しんで、食べるものがなかった時にもならなかった。」それが、エリスからの最初の手紙のあらましだった。
 
 またしばらくしての手紙は、かなり思いつめて書いたようだった。手紙は、「NO」という言葉で始まっていた。「NO! 豊太郎さんのことがどれだけ好きか、今まで知りませんでした。豊太郎さんは日本に頼りになる親族はいないといってたから、ベルリンにちゃんとした仕事があれば、ここに居てくれますよね。私だって、豊太郎さんのことずっと離しません。でも、それが叶わないで日本に帰るというのなら、お母さんと行くのは問題ないのだけど、多額の旅費をどうやって工面したら良いのか。どんなことをしてでも、このベルリンにとどまって、豊太郎さんが出世なさる日を待とうと、いつも思っていたのに、しばらくの出張といって出て行ってからこの二十日あまり、離れ離れの辛さは毎日深まるばかりです。辛いのは『行ってらっしゃい』と言うその時だけだと思っていたけれど、私は間違っていました。お腹もだんだん大きくなっています。その事だってあるのに、たとえ何があったとしても、絶対、私の事捨てないでね。お母さんとはずいぶん喧嘩しました。だけど私がもう昔の私じゃなくて、決心を変える気がないのを見て諦めたようです。私が日本に行く時には、ステッチン近郊に遠戚の農家があるので、そこに身を寄せると言っています。お手紙にあったように、天方大臣に重用されているのなら、私の旅費はなんとかなりますよね。今はただ、豊太郎さんがベルリンに帰ってくる日だけを待っています。」

 なんというか、ぼくはこの手紙を読んではじめて自分の立場というものを理解したのだ。恥ずべきは自分の鈍感ぶりだった。ぼくは自分の進退についても、あるいは自分とはかかわりのない他人のことについても、決断力があると誇りに思っていたけれど、それは物事が順調な時だけであって、逆境になるとまるでダメだった。自分と相手との関係を考えようとしても、心が雲って何も見えなくなってしまっていた。

 ぼくは既に大臣の信頼を勝ち得ていた。だけどぼくは目先の仕事をただ一生懸命やっているだけだった。将来のこと、つまり大臣と共に帰国する可能性については、本当に絶対に、それまで全く考えていなかった。だけどエリスからの手紙を読んで、自分の立場を理解して、ぼくは激しく動揺した。以前相沢がぼくを推薦してくれた時は、大臣の信頼なんて手の届かない高嶺の花だったが、いまはそれなりに信頼されていると感じていた。相沢が最近、「日本に帰国してからもこうやって一緒に……。」などと言っていたのは、大臣がそう言っていたからかも知れない。友人ではあっても、人事上のことなので、明言はしなかったのだろうか。そう思ってみると、ぼくがエリスと別れると軽率に言ったのを、さっそく大臣に報告してしまったのだろう。

 なんというか、ドイツに来た当初、「本当の自分」が見つかったと思って、ロボットになんかならないぞと誓ったのは、両足を縛られたまま放たれた鳥が、羽を動かして自由になったと勘違いしていたようなものだ。足の糸は解くことが出来ない。以前この糸を操っていたのは、ぼくの勤務していた某省の官長で、今は哀れなことに、この糸は天方大臣の手の中にある。

 ぼくが大臣の一行とともにベルリンに帰ったのは、ちょうど新年元日の朝だった。駅で一行と別れ、馬車に乗って我が家へと向かった。ベルリンでは今でも大みそかの夜には眠らず、元日の朝になって眠る習慣なので、どの家もしんと静まりかえっていた。厳しい寒さで、路上の雪が尖った氷片になって、晴れた空の朝日にきらきらと輝いていた。馬車はクロステル街へ曲がって、ぼくたちの家の前に着いた。馬車からは見えなかったけれど、家の窓を開く音がした。御者に鞄を持たせて階段を登ろうとしたところで、エリスが駆け降りて来た。ぼくの名前を叫んで、首筋に抱きつくのをみて、御者はあきれて髭の中でブツブツと何か言っていた。

 「お帰りなさい!このまま帰って来なかったら、死んじゃおうと思ってた!」

 ぼくの決心はこの時になっても定まらず、祖国を思う気持ちと、出世したいという願望は、時として愛情を押しやることもあった。だけど、この瞬間だけは、迷いはすべて消え去って、ただエリスを抱きしめた。エリスは顔をぼくの肩にうずめて泣きじゃくり、エリスの嬉し涙がぼくの肩に落ちた。

 御者は「何階までですかね?」と大声で聞いて、先に階段を上がっていった。ドアの前に迎えに出てきたエリスの母に、「御者をねぎらってください。」と銀貨を渡し、エリスに手を引かれて、急いで部屋に入った。驚いた。机の上には、白い木綿の布、白いレースの布がうずたかく積み重なっていたからだ。

 エリスが微笑みながら「この準備、どう思う?」と言って、木綿の布を持ち上げると、それはオムツだった。「どんなに嬉しいか分かる? 産まれてくる赤ちゃんは、きっとぜったい豊太郎さんと同じ、黒い瞳じゃない? こっちを見て。ほら、毎晩夢に見たあなたの黒い瞳を見せて。赤ちゃんが産まれたら、立派なお父さんになってくれるよね?」そういって、エリスはうつむいてしまった。「可笑しいでしょ、でも洗礼の日が待ち遠しくて仕方ないの。」といって顔を上げると、瞳には涙がいっぱいだった。

 ニ三日の間は、大臣も旅でお疲れだろうと思ってあえて訪問せず、家に引きこもっていたが、ある日の夕方、ぼくを呼ぶ使者が来た。行ってみると、大臣は大変機嫌良く、ロシア行きの労をねぎらってくれ、その後、「私と一緒に、日本に帰る気持ちはないかね。太田君の学問については私は判断できないが、語学力だけで十分世間でやっていけるはずだ。滞在もずいぶん長いから、色々としがらみがあるんじゃないかと思って、相沢君に聞いたところ、そんなことはないという話で、安心したよ。」などとおっしゃる。とても断れる雰囲気ではなかった。「しまった。」とは思ったが、さすがに「相沢の言ったのは嘘です。」とも言えず、このチャンスを逃せば、祖国を失って、名誉を挽回するのも不可能になり、ぼくはこの大都会ベルリンの群衆の中で朽ちていくのだと思う気持ちで頭が一杯になった。ああ!何ていう卑怯な人間なんだろう、ぼくは!「承知しました。」と答えてしまったのだ。

 どんなに面の皮が厚いとしても、帰ってエリスになんと言ったら良いのだろう。ホテルを出た時のぼくの心は錯乱して、千々に乱れていた。歩いている道もどっちがどっちだか分からず、悶々としてただ歩いて行くと、行きかう馬車の御者に何度も怒鳴られ、驚いては道の端に飛びのいた。しばらくしてふと辺りを見ると、動物園の横に出た。ぼくは、倒れるようにして道のベンチに腰かけた。発熱して朦朧となり、金槌でガンガン叩かれるような頭痛がするので、頭をベンチの背にもたれさせて、死んだように何時間かそのままでいた。骨まで浸透する厳しい寒さに目が覚めると、もう夜になっていて雪が降りしきっていた。帽子のひさしやコートの肩には数センチの雪が積もっていた。
 
 もう十一時を過ぎたのだろう。モアビット、カルル街を通る鉄道馬車の線路も雪に埋もれて、ブランデンブルク門の周囲のガス灯が寂しく光っていた。立ち上がろうとすると足が凍えて動かないので、両手でさすって、ようやく歩けるようになった。
 
 足が進まないので、クロステル街まで来た時には真夜中を過ぎていただろう。ここまでどうやって来たのか覚えていない。一月上旬の夜なので、ウンター・デン・リンデンの居酒屋やカフェは賑わっていたはずだけど、まったく記憶にない。ただただ、「ぼくは赦<<ゆる>>されないことをしてしまった」という思いで頭が一杯だった。

 四階の屋根裏部屋では、エリスはまだ寝ていないようで、暗い夜空に、そこだけ明るく灯っていたが、降りしきる雪に隠されたり現れたりで、まるで風前の灯のように見えた。建物に入ると疲れが押し寄せ、全身の節々が耐え難い痛さだったので、這うようにして階段を登った。家に入って台所を過ぎて、ぼくたちの部屋のドアを開けて入ると、机に向かってオムツを縫っていたエリスは振り返って、「アッ」と叫んだ。「どうしたの、いったい?」

 エリスが驚くのももっともだった。真っ青で死人のような顔色、帽子をいつの間にか失って、髪はグシャグシャになり、何度も道でつまずいて倒れたので、衣服は泥と雪とにまみれ、所々破れていたので。

 ぼくは答えようとしたけれど声が出なくて、膝がガクガクと震えて立っていられなくて、椅子をつかもうとしたのまでは憶えているけれど、そのまま床に倒れた。

 意識がはっきりしたのは、数週間経ってからだ。高熱にうなされて、うわごとばかり言っていたのを、エリスが甲斐甲斐しく看病してくれたところに、ある日相沢が訪ねて来た。相沢は、ぼくが彼に隠していた事の顛末をつまびらかに知った。相沢は、大臣には病気のことだけを報告し、体裁よく取り繕ってくれた。ぼくは意識が戻って、初めて、ベッドの傍らに居るエリスを見たとき、その変わり果てた姿にびっくりした。エリスはこの数週間のうちにひどく痩せてしまい、くぼんだ目が血走っていて、頬はこけて灰色になっていた。相沢のおかげで毎日の生活費には困らなかったけれど、恩人である相沢は、エリスの精神を殺したのだ。

 後から聞くと、エリスは相沢に会った時、ぼくが相沢とした約束、つまりエリスと別れるという約束をしていた事を聞いて、それからさらに、あの日の夕方に、日本への帰国を承諾すると大臣に申し上げたことを知ると、椅子から飛び上がって、顔面が土色になって、「豊太郎さん、そこまであたしを騙してたの!」と叫んで、その場に倒れた。相沢がエリスの母を呼んで一緒に助け起こして、ベッドに寝かせたが、しばらくして目覚めてからは、目はまっすぐ前を向いたままで、周りの人が誰なのかも分からないようで、ぼくの名を呼んで大声で喚<<わめ>>き、髪をむしって、布団を咬むなどし、あるいは突然冷静になった様子で何かを探し始めた。母親が取って渡した物はことごとく投げてしまったが、机の上にあったオムツを与えたところ、手で探って顔に押し当てて、涙を流して泣いた。

 それから騒ぐことはなくなったけれど、精神はほとんど死んでしまって、まるで赤ちゃんのように幼稚になってしまった。医者に見せると、「過大な心労から突発的に起きたパラノイアという病気であるから、治癒の見込みはない。」と言う。ダルドルフの精神病院に入れようとすると、泣き叫んで言うことをきかない。さらには、例のオムツだけ肌身離さず、なんどもオムツを取り出しては見、見てはすすり泣く。ぼくの病床からは離れようとしないけれど、それも分かってそうしている訳ではなさそうだ。ただ、時おり思い出したように、「薬を、薬を。」と言うだけ。

 ぼくは病気から回復した。生きた屍<<しかばね>>のようになったエリスを抱いて、とめどなく涙を流したのは数え切れない。大臣に従って帰国の途に就いた時には、相沢と相談して、エリスの母にどうにか生計を立てられるほどの資金を与えて、可哀想な狂女の胎内に残してきた子どもが産まれたときのことも頼んでおいた。
 
 ああ、相沢健吉のような良い友人は、世の中でなかなか得られない存在なのだろう。だけど、ぼくの中には、彼を赦せないと思う心が、一点の消えない染みのように、今日まで残っている。

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