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ギャンブルの小話①.一万円の勝負をする。

自分が体感したギャンブルの話を少しずつここに昇華していくことで、外れた馬券・車券も少しは浮かばれるかなと思い、書き連ねることにした。

テーマ1.一万円の勝負をする。


今、あなたの目の前に一万円があるとする。仕事も休みで、暇を持て余している土曜日の午後でいい。
明るいうちから、ふらっとビールを飲みにいってもいいだろうし、そこでナッツじゃなくて店のオススメを適当につまんでもいい。あるいは近くのコーヒーショップで雑誌を流し読みしながら、タバコをふかしてもいいだろう。
ただ、そんな気が起きず、家から出る気力もないあなたは、携帯(iphoneとは限らないだろう)を片手に競馬や競輪を嗜むのかもしれない。
かくいう、自分もここ数年はそんな余暇の過ごし方が多かった。振り返れば反省しなければならない生活である。
そんな前振りはほどほどにして、テーマの「一万円の勝負をする」について、一つ思ったこと、考えたことがあった。

「あなたにとっての一万円の重さは、ギャンブルは考慮してくれないこと」である。

この一万円が二万円になったら嬉しい人。十万円になったら嬉しい人。ゼロになったら、明日の生活が困る人など、さまざまが同じ賭場に興じているのだ。
今例に挙げた三者の心理状況を想像してみてほしい。

(1)一万円が二万円になったら嬉しい人


(2)一万円が十万円になったら嬉しい人


(3)一万円がゼロになったら生活に困る人

この挙げた三つの画像で伝えたいことは、同じ一万円の賭け事をしていても心理的な背景が全く違うということだ。

(1)の人は、一万円がなくなっても冒険心を楽しめたと笑える人であろう。残りのお小遣いでいつも通りの生活を送り、一万円儲かったとしても美味しいものを食べたり、気になってた欲しいものが買えるだろう。

(2)の人は、ギャンブルに使えるお金が100万円以上はたまたそれ以上ある人なのかもしれない。おそらく目の前の一万円があってもなくてもギャンブルを楽しめるだろうし、十万円になったら、その十万円をまた次のレースに使えるくらいの心的余裕があるのかもしれない。

(3)の人はどう足掻いても、ギャンブルに勝てないのは想像に難しくないだろう。

驚くことに、同じレースを買うということは、渡っている橋は、同じ距離であり同じ太さ、厚さであるはずなのだが、外れた時に落ちていく高さが違うだけで、ここまで心理的に違うということをギャンブルをするうえで留意するべきだろう。

期待値が高いと言われているが的中率が低い綱渡りの切符を買う時に、あなたは一万円のうちいくらつかうことができるだろうか。そこにギャンブルで勝つための様々なファクターがあるかもしれないが、結局は買う瞬間の心理的な要因が長期的な勝ち負けに起因しているように思えて仕方ない。

皆様の午後の競馬ライフを充実させるため、日々研究を重ねております。馬券的中で返す以外、自分にできることはないですが、予想精度を高めるためにサポート資金は使わせていただきたく存じます。