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ぼ、ぼ、ぼくらは少年清掃団。

毎月金曜日、夜
我がNPO YANAGIHARAホールディングスで行う、街頭の清掃とパトロール。
そして歩きタバコを止めて貰うため、威風堂々とお願いし、弊団体が持ち歩く灰皿に、吸いかけのタバコを入れて貰う。


この様な活動を8ヶ月続けた結果、当メンバーの人数分だけのドリンクを差し入れ、名前を言わず立ち去った女性がいた、と言う報告を受けた。

私には、この人の気持ちが分かる気がする。おそらく照れ屋ではなだろうか、と思う。
普段はどうか知らないが、良いことをした事がバレル、と言うのは何故だか恥ずかしいと言う気持ちが、私にもあるので、この方もそうだと思うがどうだろうか。

私が19歳の時。先輩に博多の銀天街に呼ばれ、初めて夜の川端商店街を歩いた。正月にも関わらず、この頃は人が今より多かった。

私が歩いていると、ごった返す路上で、前方から自転車を押しながら二十代後半と思しき女性が歩いてきた。
何故か文学女性をイメージしたが、眼鏡をかけてたからだと思う。

まあそんな事は置いとくとして、その女性の後ろから黒い上下を着た人が、ランニングしながら此方に向かってきた。少し危ないヤクザみたいな人、黒い帽子を被っていた。

私と、文学女性、黒い帽子のランニングマンは、当然の摂理として歩きながら道で交差する。真横に来たその刹那。事件は起こる。

黒い帽子が文学女性の自転車のカゴに入れていた鞄を持ち上げ引ったくり、その途端、一目散に今来た道と逆方向に走り出した。

流石大都会!ひったくりとかあるの、と思った束の間。
鞄を盗まれた文学女性が、真横で交差した私の手を掴んだ。

「愛してます」と言う事を期待した。

しかし文学女性の発した台詞は、案の定「あの人泥棒です、捕まえて下さい!」だった。

はい!と言ったかどうかは覚えてないが、直ぐに追いかけた。私は短距離走は速い。逃げ足の速いこの男を数十秒で捕まえると同時に2人で転んだ。

忘れもしない1月2日。
一緒にで転んだ所に門松があった。そこにお鮨屋がありお鮨屋が出していた門松で、騒ぎに気付いた寿司職人も数人出てきた。

「おい、お前来い!」と私がランニングマンを掴むと帽子が取れ、見直すとパンチパーマ丸出しであったこのマラソン野郎から、いきなり数発殴られた。

「泥棒があ!」と言うなり10倍程反撃し、此方が息を上げたその刹那。

何とこの野郎。鮨屋の門松を持ち、私に殴りかかってきた。卑劣なり。この野郎、ただじゃあおかねえ。

当時の私は体重90キロ、178センチ。簡単に片手で門松を取り上げ、両手で門松を持ち直し、ランニングマンの背中や腰を殴った。

捕まえようとした瞬間、「ワアアー」と叫び、脱兎の如く逃げた。追いかけようとしたら、警察みたいなのが大勢来て、私を掴み囲まれた。

「お前ら警察か?デクノボウか?盗人はあいつや。はよ追いかけろ」と言うと、咄嗟に1人、素早そうな男が追いかけた。
聞くと川端町の正月に出る、自警団だと言う。

何かやり過ぎて、こっち分が悪くなるのが嫌で立ち去ろうとしたら、一緒にいて、よく考えると殴られた私を見捨てた先輩がこう言った。

「カバン、カバン。カバン渡さんと!」。

ランニングマンは、鞄を置いて逃げていた。

私は引ったくられたカバンを取り返し、恩を売るのが嫌だったが、当時の私はそれよりも「ありがとうございます。お名前は」と言われるのが恥ずかしかった。

もし聞かれても「いや。通りすがりの吟遊詩人です」と答え、走り去ろうと思った。

私は殴られた傷を押さえ「ああどうぞ。鞄取り返しましたので。」と言い、文学女性に渡した。

この時の文学女性の顔は忘れない。

「カッコいい!お名前は?」と言われる事なく「お前も同類か」。

そんな目で私を見たままフリーズしていた。近づくとボクシングでいうバックステップという技で、私と距離を取った。

川端町の自警団とやらに「あの人のや。渡しとって」と言いカバンを渡し、振り向きもせず帰った。

あれから30数年。

マラソンマンと文学少女はどうしてるんだろう。

YANAGIHARAホールディングスの警邏隊のみんなは、こんなことしちゃ駄目だよ。

さて、長いギャグにお付き合いいただいて恐縮だが、毎回うちの子達にゴミ掃除や人の嫌がる事をすれば、見ている人は見ていてくれる。この若者達がそこに気づいてくれる事を祈願している。

そして、お前ら。
俺の真似はやめろ・・・。

それではGOOD Night!

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