物質と記憶の保存計画
全体的に物質の保存量の限界を迎えている自室に、そろそろ、そろそろ向き合わなくては・・・と思い立ち、おとといあたりから本腰入れて、少しずつ取捨選択をしている。
特に多いのは圧倒的に本。ついで服、差をあけてCDだろうか。
厳密には服の物量の方が多いかもしれないけれど、本があふれかえっているのでまあ、本だろう。
実はもともとはものが少ない方だった。というのも10年前までは2、3年に一度引っ越しをしていたからだ。なので小・中・高校のものはほとんどない。高校は専門課程だったので必要なものは取ってあるけれど、制服なんかは卒業した年にはなくなっていた。これには私も驚いた。母親が「もういらないと思って」と捨てていたためだったけれど、まああまり執着もなかったので「そっかー」くらいの感想だったのは覚えている。
なので、大掃除=引っ越しという感じで、本もそのタイミングでもうあまり読まないものは古本屋さんへと出していたので、実は処理にこまったことがなかった。しかし、問題はそこからの変化なのだ。
専門学生くらいになるとバイトを本格的に始める。そして趣味にさけるお金が増える。なのでその頃から、私の好きなものである、「建築インテリアの本」「古着」「CD」の収集が始まる。CDは高校のうちから集めていたものも多いけれど、加速したのはこの頃から。
その他にも模型材料やら、学生の課題に関する記録、ノートなどは増えていくのだけど、卒業したあたりに処分したものも多い。
ただ、さっきあげた3種に関しては増殖の一途を辿るのみだった。早い話が、思い入れが近年かったものより段違いに強いのだ。
本や、CDは学生の時の限られた資金源の中から、悩みに悩んで買った物も多い。CDは一枚、安くて1500円、高ければ3000円以上。雑誌も専門誌は高いから、普段は図書館で読んで、気に入った物や資料として必要なものだけを少しずつ買っていた。
古着はお店の人との会話や、初めて入るお店の緊張感など今でも覚えていたりする。モノによっては欲しいと思っていたものに出会えること自体が珍しいこともあるから、出会えたその時、買うか買わないか。学校帰りに通い詰めたお店に今日はまだあるかなと見に行っては一喜一憂しては購入を悩んだものもある。
金額は今でもほとんど変わっていないだろう。ただ、当時自由にできる少ない収入の中から、課題用のものから、遊びに趣味に配分を自分なりにやりくりして購入したという、得難い経験としての価値が今でも、どうしても輝いている。その価値を私は「古いものだ」と一蹴できない性格をしている。懐古主義と言われても。
ただ、そうはいっても時代は変わって行く。CDの音楽はほとんどサブスクリプションで聴けるようになった。昔からある著名な本もサブスクリプション内に存在しているものもある。手元に置いておきたかったものはよりスムーズにデータ化へ移行できるようになっている。「物質を持たない豊かさ」が進んでいるのだ。
質量がある以上、私が保管場所を新たに作らない限り、保管に限界はある。なので、観念して、「物質を持たない豊かさ」までは行かずとも「物を快適に保有している豊かさ」くらいは目指してみようじゃないか。
というわけで、自室で無機物とにらめっこをする日々はこれからも続いていきそうだ。
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