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鼻歌とラジオとSEO

脳内で、突然。
「ラララ きっと僕は」
と合唱パートが流れ始める。

ああ、これ、なんて曲だっけな。頭の中では引き続き曲は流れ続けている。最初の明瞭さから打って変わって歌詞はあやふやで、メロディも飛び飛び。だけどこの声はサカナクションだ。脳内で流れる曲のメロディを口ずさみながら、ブラウザアプリを立ち上げる。

「サカナクション らららきっと」
とそこまで打ったところで、

「サカナクション ラララきっとぼくは」
と、googleが候補を出してくれた。

候補にあらわれたその文字をみて、少しほっこりする。
この曲を調べるときにどうやらどこかの誰かもこのパートを思い浮かべているらしい。

参加しているオンラインコミュニティで、いつだったか「人の気持ちは結構SEOでわかるらしい」と聞いていたけれど。なるほど。
ちょっと、いや、だいぶ意味は違う気はするけれど、検索窓が人を微笑ませるということもあるということだなあ。

無事曲名が判明して、Apple Musicのライブラリから曲をかける。
ちゃんと聞くと件のパートは、「ラララ きっと僕 “ が ” 」だったことに気がついて、それにもまた笑いが誘われる。どうやら検索する人々はみんなぼんやりとしか歌詞は覚えていない様子。それでも正解がわかるのだからすごいものだ。


こういったことはままあって、洋楽や歌詞がぼんやりとしかわからない時は鼻歌を頼りに[Sound Hound]などの音を元に検索できるアプリを使ったりしている。これは私の鼻歌の精度にかかってるので成功率は五分五分といった感じだ。

そんな時にふと思い出すのは、とあるラジオ番組で数年前まであった一つのコーナー。リスナーが思い出せない曲の鼻歌をうたって、それを聞いた別のリスナーが曲名を教えてあげるというものだった。(ほぼ解決するのだからそれはそれですごい)

そんな世界で生きていたものだから、音源検索アプリを初めて知った時は、「あのコーナーが、いつでも誰でも気軽にできるだなんて!」と感動したのを覚えている。これで困っていた人たちはとっても便利になっただろうなと。

ただ、それでも。あのコーナーには、どこかの誰か同士のささやかな助け合いや、だれかの鼻歌が電波に乗って届く可笑し味、あの声の人はこんな曲を聴いてるんだなあ。というどこかの誰かへ想いを馳せる時間があって、それはそれは味わい深かったのも確かなのだ。


きっとこれからもそういう哀愁と利便の間で人は変化していくのかもしれないな。なんて便利になっていく手元の箱を手放せない現代人一人として迎える、金曜日の夜。


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