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成長なのか停滞なのか

今日仲の良い友人とご飯を食べてる時のこと、
新しいソフトとか使ってみたいけれど、目的がないとただ、新しいものを使ってみたいという気持ちに近くてあんまり意味がないかもしれないということを話している時、

「PC作業が基本苦じゃないからなんでもやってると楽しくなってしまうんだよねえ」
というと、友人が、
「それは悪いことじゃないと思うけど…」
といってくれたことを帰りの電車の中で反芻していた。

時間が空いて客観的になると、確かにそれもそうだなと思えた。浅く広く一点秀でたものがないことをそもそも改善したいという思考が強すぎて、また手広くしても意味がないと自分の持ち物のことを全否定する勢いだったけれど、冷静に考えるとそもそもその感覚自体は悪いことではない。

私は人生の中でなるべく後悔することを減らしたい。ということは昔からなんとなく思っていて。その中で建築や空間に関わる仕事だったらきっとなんとか楽しく仕事ができるんじゃないかという希望をこの仕事に託して学生の時からやってきたから、自分が選んだ楽しめる仕事という軸だけで今までは満足できていたのかもしれない。もちろん完成した空間を見れば喜びも一入で辛かったことも吹っ飛んだし、仕事をしている最中はそんなことは考えてないけれど、その裏には、自分が楽しい仕事をしたいという一点だけを叶えてきただけだったのだとかもしれない。

それなのに、いつから楽しいことだけじゃダメになったんだろう。
楽しいことをやっちゃいけないという気持ちになったんだろう。
それがなくなったら意味なくなっちゃうんじゃないだろうか。

そう思うと今度は、あれ、私案外わがままになってきたんじゃないか?と思えてくる。楽しいだけじゃダメかもしれないと思っているってことは私は今、もっと他に意義や、社会的な目的を見つけようとしているのかもしれないということかもしれない。何か他人に語れるような晴れ晴れとした仕事をしたいと思っているということなのだろうか。これはわがままなのか、成長なのかどっちだろうな。それとも人間としては当たり前の心理なのだろうか。

まあ、すぐには答えは見つかりそうにないけど、それにしたって楽しいことやらなきゃ日々楽しいわけがないのだから、これからはもう少し気楽に構えていこう。と思えた月曜日だった。

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