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小津 原 山中

小津とは言うまでもなく小津安二郎監督である
原も言うまでもなく原節子である。
山中は知らない人がいるかも知れないが 小津の後輩の山中貞雄監督である。
山中は日中戦争に従軍し 赤痢で死んだ。
小津は今世界的名声を得ている監督である。
しかし 小津の映画手法は山中貞雄が使用したものである 丹下左膳百万両の壺を観れば全く小津と同じような 静的ショットが観れる。
この映画で餅が焼けるさまをじっと映像で撮っている この映像を観てこの監督は天才だと思った。
原節子は山中貞雄が河内山宗俊で15歳の原をデビューさせた
この三人に共通するのは 皆独身で生涯を終えたということである。
はっきり言えば山中貞雄は原節子が好きだったし
原節子は小津安二郎監督が好きだった。
小津監督は原節子を好いていたが 山中貞雄のことがあり原節子を迎えることが出来なかった。
だから 原節子は小津安二郎監督が亡くなると
世間から身を隠した。
小津安二郎監督は山中貞雄を高く評価していた
また 山中が原節子を好いているのも知っていた。だから 原節子の愛を受けることは出来なかった。
小津安二郎監督は十分に友へ応え 傑作を残したと思う。
今 あの世で笑顔で楽しく語らっているだろう。

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