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ハマガニ と こあじろ と 湾岸タワーマンションと。

ハマガニというでっかくてキレイな陸のカニがいます。
紫色の大きなハサミ。オレンジ色の長い足。
どこにいるかというと、こあじろにいる。
こあじろのどこにいるかというと、海っぺりの干潟のまわりにいる。

こあじろには、カニがとにかくたくさんいる。
どのくらいいるかというと、ぼくらが見つけただけで60数種類。
たぶんもっといる。

中でも陸地に住むカニの種類がとっても多い。
いちばん多いのはこあじろのいたるところに暮らしてて、家の中まで入ってくるアカテガニ。
このハマガニは、こあじろに住む陸地のカニの中で、ダントツに大きくて、ダントツにキレイ。

甲羅の幅が大きいオスだと6センチ近く。ハサミも足も大きくて長いから、
でっかいオスはさしわたし20センチくらいになる。

こんなでっかいハサミを持っているからさぞや凶暴だろうと思いきや、実は基本的に「草食男子(女子)」でして、葉っぱのきれっぱしとか草の茎なんかを加えたりしている。動作もとろくさくて、道を歩いていると、ひょいっと簡単につかまえられちゃう。

おそらく多くのひとが、このハマガニ、実物を見たことはないのではないか。

ぼくも30年前にこのこあじろに来るまで、ハマガニは「図鑑でしか見たことがない」いきものだった。そう、なかなか見つからないカニだった。

なぜ、見つからないかというと、ハマガニは、川の河口の干潟の近くに住んでいて、しかもその住まいは、海からちょっと離れて潮の影響のない陸地に穴を掘っていて、でも、その掘った穴の中は水気があるようなところがお好みで、という具合に、住まいの条件がうるさいカニなのである。

「東京カレンダーウェブ版」に出てくる「住まいが港区のタワーマンションじゃないと死ぬ男子と女子」みたいである。

 ハマガニ好みの住環境は、残念ながら現代の港区タワーマンションより珍しくなっている。まず、干潟がない。東京湾だとその手の干潟はたいがい埋め立てられて、その上にはタワーマンションが建って、さっきの男子と女子が住んでいる(たぶん)。ハマガニにとってはえらい迷惑である。あとから来たくせに江戸っ子ぶるんじゃねえ。こちとら2300万年前(適当)から江戸前育ちでいっ、とハマガニはブツブツ言うであろう。

が、ブツブツいうこともできない。現在、東京湾の大半の地域では、ハマガニ好みの干潟と周辺の自然がなくなっちゃった。当然、ハマガニもいなくなっちゃった、らしいのだ。

 昔は、川の河口近くにある田んぼの土手なんかに、このハマガニがでっかい穴を掘って暮らしていたという。ハマガニの穴のせいで水が抜けちゃって、農家のひとが「土手崩し」と呼んで怒ってた。・・・というのも、子供の頃読んだ図鑑の知識なのだけど。

 だから、30年前、大学生の頃にこあじろの谷を泥だらけになりながら下りてきて、ようやく河口にたどり着いて、干潟のまわりのアシハラの影から出てきたハマガニを見つけたときは、時間が止まった。生き物が好きなひとが、珍しい生き物、追いかけていた生き物を見つけた瞬間、たぶん誰もが同じ感覚を味わっていると思う。

 会えるはずのない珍しい生き物と出会った瞬間、時間が止まるのだ。

 なぜ、アシハラにハマガニがいたのかというと、それは春の大潮のシーズンだった。ハマガニは秋の終わりになると、海から少しだけ離れた自分たちの住まいを海っぺりに変える。夕方、住み慣れた穴倉から出て、海に面した干潟のアシハラまでとことこやってきて、大きな穴を掘る。冬の間にその穴でオスとメスとがこもってあれやこれやをして、春の大潮の時期になると、メスはおなかにたくさん卵を抱えている。で、大潮の夜、おそらくふ化した幼生を海に放つ。まだ見たことはない。
 
 ぼくが30年前にハマガニと出会ったあと、こあじろはハマガニが暮らしにくい場所になった。人間のせいともいえるし、人間のせいじゃないともいえる。

 干潟が荒らされたわけでもないし、水が汚れたわけでもないし、ハマガニファンが突然集まって全部かっさらっていったわけでもない。ほっといたら、ハマガニの好きな住環境が減っちゃったのだ。

 30年のあいだに海岸近くのアシハラの湿地が、乾燥してササハラになってしまった。
 乾燥した土地は、ハマガニ好みじゃない。穴を掘ったら下の方は水が溜まってないといやなのだ。
 じゃあ、そのアシハラの湿地はもともとなんだったかというと田んぼだった。50年まえまで田んぼだった。田んぼだったところが、ほったらかしになってアシハラになった。だから湿地のままだった。
 でも、ひとが手入れをしないと、土地はいずれ乾燥する。乾燥するとアシの代わりにササが生える。
すると、そこでハマガニは暮らせない。
 こあじろが守られることになって、谷の手入れができるようになって、ぼくらは茂りに茂ったササを数ヘクタール刈った。ぜんぶ刈った。刈ったあとに水路をつくって水を満たして、昔の湿地に戻した。

 すると面白いことに、たった数年で目に見えて、ハマガニの数が増えてきた。あちらこちらでハマガニの散歩がみられるようになった。
 どうやらハマガニは、ちょっと人間の手入れがちょっとあったほうが、「俺好みの暮らし」ができると踏んでいるらしい。

 手間のかかるカニだぜ。

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