メディアの話その106 「無理心中」と警察とマスメディア。

「無理心中」というヘンテコな言葉を、マスメディアがずーっと使い続けていることに、ちょっと興味がある。ものすごく言葉にうるさそうな職業の方々が、なぜか「無理心中」に関しては、まったく疑問を抱かずに使い続けているからだ。
(実際に疑問を持っているかどうかは問題ではない、いまこの瞬間も数多くのマスメディアが使っている。あとでその事例をお見せする)
「心中」というのは、複数の人間が互いの自己意思によって同時に自殺することである。
一方「無理」に他人(大概の場合は親族)を殺して、そのあと自殺している(そしてしばしば失敗する)のが「無理心中」だ。
ここで疑問が浮かぶ。
「無理」に他人を殺している時点でもはや「心中」ではない。殺人である。無理心中は、必ず加害者がまず誰かを殺害することで成立する。でなければ「無理」に「心中」できないからだ。でも、それは「心中」か? 「殺人」のあとに「自殺」を図っただけ、ではないか? 
そう、無理と心中は、そもそも白と黒、プラスとマイナス、ナスとミシン同様、対極の概念であり、存在であり、一緒になることはありえない。
てなことを、ずいぶん昔から、たぶん高校生の頃だったろうか、「無理心中」って変な言葉だよなあ、と思っていた。思っていたら、メディアに入っちゃったのだが、そのメディアは、ずーっとこの「無理心中」という言葉を使い続けるのであった。この言葉に関しては、マスメディアのイデオロギー的立場、左とか右とか上とか下とかをすっとばして、ほんとうにみんな使っているのである。
たとえば。
直近でいうと、このニュース。
男が自分の子供を三人殺して生き残った事件である。
NHKは「無理心中」と報じている。
テレビ朝日も。https://news.tv-asahi.co.jp/news.../articles/000208358.html
「男性が無理心中を図ろうとしていた可能性もあるとして、回復を待って話を聞く方針です」
フジテレビも。https://news.yahoo.co.jp/.../ea0495284e3d85790cac1581b4f9...
「ホテルに遺書 自殺ほのめかす内容 子ども3人遺体発見 無理心中図ったか」
日本テレビも。https://news.yahoo.co.jp/.../7714203f6d1406055508d0ba6e22...
「捜査関係者によりますと、父親とみられる男が使ったレンタカーからは未使用の練炭が見つかっていて、警察は男が無理心中を図ろうとしたとみています」
TBSテレビも。https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4209809.html
「ホテルからは遺書も見つかっていて、警察は父親が無理心中しようとした可能性もあるとみて調べています」
日本経済新聞も。・・・というかこちらは共同通信の記事。
「両県警は父親が無理心中を図ろうとした疑いがあるとみている」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG270DZ0X20C21A2000000/
ちなみに、この事件に関して使っていないのは朝日新聞。
https://www.asahi.com/articles/ASP2V7X2QP2VTIPE01N.html
で、読み比べてみると、「無理心中」という言葉をそもそも使っているのは、マスメディアではなく「警察」のようなのだ。
それをそのまま(上の場合は朝日新聞のみは使っていない)「何も疑問に思わず」「無理心中」と記しているようだ。
私は法律のことを知らないのだが、「殺人」と「無理心中」は、異なるものなのか? それは刑法に書かれているものなのか?
というのも、2月26日に朝日新聞が報じているこのニュース。
https://www.asahi.com/articles/ASP2T724VP2TUOOB00Z.html
パキスタン人の男性が貧困の末、妻と子供二人を殺して、自分も自殺を試みたものの助かった事例。三人殺害は、通常ならば死刑だろうが、この場合は懲役28年。
タイトルには「長野県箕輪町のアパートで2019年11月に起きた無理心中事件」とある。
身内を「無理やり」殺して、自分も死ぬ。だから「無理心中」である。
身内が一緒に死にたいのならば、「無理」じゃない。
ただの「心中」である。
(といいつつ、世間における心中の多くは、片方の「死にたい願望」に無理やり引きずられて、一緒に死んでしまったひとが相当いるはずだ。つまり「心中」のうちわけに相当数「無理心中」が含まれている、と類推する)
しかし、無理心中というのは、「生きたかった」かもしれない自分の家族を無理やり殺して、そのあと自分も死に逃げる。自殺するのは、その人の勝手だが、この他人の命に対する勝手な行為を「酌量する」のは、どの国でもあることなのか? 
これは本当に素朴な疑問なのだが、「家族を殺害して、自殺する」ことは、「かわいそう」なことなのか? ほかの他人を殺害する行為と比較しても、「卑劣極まりない」ことではないのか? 
おそらく「無理心中」した加害者を「かわいそう」と思う風習が日本にはある。他の国にあるのかどうかは知らない。世界中どこでもそうならば、無理心中を「殺人」と区別するのは、人間に備わった「本能」、あるいは共通の価値観ということになり得る。
TBSの名作ドラマ「アンナチュラル」の石原さとみ演じる主人公は、親による「無理心中」で助かった。そして弁護士である薬師丸ひろ子の育てられ、法医になる。
その石原さとみが法医として直面する事件が「一家四人の煉炭による無理心中」だった。
そこで石原さとみがこういう。
というよりは、いま最も優れた脚本家の一人である野木亜紀子さんが書いたのがこのセリフだ。
「無理心中」なんていうの、
日本だけです。
正しくはマーダー・スーサイド
殺人とそれに伴う犯人の自殺。
要するに
単なる身勝手な人殺しです。

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