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メディアの話144 メタバースよりご近所バース。

メタバースより、ご近所バース。

メディア論で扱うのでメタバースについて今色々調べているんだけど、根本のところで疑問がある。

それは、インターネットがそうであるように、「誰もが擬似的なアバターを持って、世界共通の仮想三次元空間に参入でき、そこでの記憶や情報を溜め込むことができ、バーチャルなアイデンティティを持ち、リアルな現実世界と同様に、ずれなく他者とコミュニケーションしたり、ゲームしたり、仕事したり、闘ったりしたりする」メタバースの理想を数十億人単位で実現したい、とするならば、ハードルとなるのは、ICT技術の方ではない。

電力需給じゃないのか?

こんな記事を東京電力が載せている。

「メタバースの普及によって電力消費が増えるというよりも、電力消費の抑制ができなければ広がらないという方が適切ではないでしょうか。メタバースに限らず、電力消費が大き過ぎれば、どんなサービスも広がっていきません。エネルギーとは、それだけ大きな制限なのです。電力は絶対に増やせないという前提で、どこまで技術を進められるかが勝負になると思います。ただ、一方でメタバースはそこまで電力消費が増えないのではないかとも思います。メタバースの定義がはっきり定まっていないので断定はできませんが、ユーザー側から見てゲームと同じようなものだとすると、送信するのは操作に必要なコマンドのみで済んでしまうからです。データ通信量で見れば、画像を送信する方が大きな電力消費につながるので、メタバースが広がったから電力のやりくりに困るという事態にはならないのではないでしょうか」

(国立研究開発法人 科学技術振興機構 研究開発戦略センター(CRDS) システム・情報科学技術ユニットのユニットリーダー・青木孝氏)

ーーーここで語られている、メタバースのイメージがものすごく「小さい」。

ボールの「ザ・メタバース」を読むとメタバースの理想は「世界中の誰もが擬似的な三次元空間に時空を超えて参入して、自由な仮想身体を持ち、仮想空間上のさまざまな情報記憶を持ち、アイデンティティを維持し、ずれなく同期しながら活動するサービス」。そんなのを体現するとなると、「ゲームと同じようなもの」程度では済まない電力が必要になるのでは。

仮想通貨のマイニングに凄まじい電力量がかかったことを考えると、むしろこの話の冒頭にある「電力消費の抑制がないと広がらない」という方がポイントではないか?

「メタバース」は、仮想なんかじゃない。土台の部分で大量な電力を消費する。一方で、生身の人間がそこで時間を費やす。

メタバース内でお金は稼げるし、脳内欲望も満たせるが、食べ物も排泄も睡眠も、身体側=現実社会で行われ続ける。

1日24時間を増やすことは物理的に不可能。ならば、結局のところ「どこで自分の時間を使う」という「時間資本主義」の枠から逃れることはできない。

電気自動車の普及とメタバース市場の拡大を考えると、桁違いの電力需要が生じる。となると、核融合でも現実化しない限り、現在のゼロエミッションを目標とした電力需給で果たしてこの拡大をフォローできるのか?

「電力供給」から見た未来、ってのを考える必要がある。メタバース的な話、移動手段のEV化の話。時代はますます電力大量消費の時代になる。

その一方で、気候変動問題に呼応したゼロエミッションが叫ばれる。

うまくいくのか? 

「電力」革命に王道がないことは、むしろゼロエミッションの進展ぶりを見ると明白だ。

メタバースという仮想空間世界の体現は、同時に温暖化と海面上昇を不可避なものとする、ということだって想定され得る。

以上はあくまで現時点での感想。もうちょっと調べてみよう。

個人的には、コロナ禍という「遠くに出られない状況」が産んだのは2つあると思っている。

1つは、フェイスブックが社名をメタに変えた!というメタバースな世界の進展。みんなが会議やイベントをzoomでやるようになり、それが当たり前となった。つまり、ICTの革命的な進歩に伴いメタバース的世界が現実のものとなりつつある。

で、メディアはもっぱらこちらを取り上げる。メタバース・ブームになっていたりする。

が、個人的には、不細工で退屈なオキュラスをかぶるよりも(一応持ってる)はるかに楽しいことを発見してしまった。

それは「ご近所バース」の再発見である。

自分の体を動かして、身の回り半径1.5キロの世界、徒歩15分の世界を楽しむ。

散歩から始まり、観察、探索、撮影。

カワセミやオオタカやクワガタやキンランやシュンランが、都心のど真ん中に、普通に暮らしている。その脇で新しいブックカフェが生まれ、謎の鉄道模型屋があり、週替わりのお菓子屋さんが、ひっそりと佇んでいたりする。

コロナ禍の縛りは、「大脳を仮想空間に接続するメタバース」と「身体を物理的にご近所に接続するご近所バース」との両方を可視化した。

で、思うわけである。

メタバースは、いずれにせよ電力と時間という縛りがある。その縛りを前提として、何らかの形になり、わたしたちは当たり前のように消費するようになるだろう。インターネットがそうだったように。

ただ、どこに身を置くか、ということについては、仮想化はできない。時空も超えられない。別荘を100持っていても、実際にいられる場所は一つだ。

となれば、時空を越える「メタバース」が進展するほど、時空を超えない「ご近所バース」がむしろ重要になる。

どの「ご近所バース」に身を置くか。あるいは、どんな「ご近所バース」を自らの手で見出し、あるいは進歩させるか。

プリミティブな「場所」「ランドスケープ」「街」「自然」「コミュニティ」に対する「愛着」。

ご近所バースが、これから来る

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