メディアの話その10。コンテンツは長生き。インフラは短命。

メディアは、インフラとコンテンツでできている。、

そのメディア自体を支えるプラットフォームと情報を受発信するハードウェア、という「インフラ」。そのインフラ上でやりとりされる「コンテンツ」。

以上である。

マーシャル・マクルーハンは、「メディアは、メッセージである」と言ったが、この場合のメディアとは、コンテンツ以上にインフラのことである。

テレビならば、テレビ番組がコンテンツだけど、それ以上に、テレビ局があって、テレビ受像機がご家庭にあって、という「インフラ」そのものが「メッセージ」であり、人々の思考と行動を変える、と。

え、思考と行動を変えるのは、肝心の番組、コンテンツのほうじゃないか?

もちろん、そっちが最終的に人々に影響を与えるんだけど、行動や思考の様式そのものを変えるのは、コンテンツ以前に新しく生まれたメディアのインフラのかたちである、というのがマクルーハンの話であった。すごい意訳ですが。

これ、インターネットとスマホが新しいメディアインフラである、と考えれば、みなさん、すぐに納得いくはずである。

インターネットであらゆるデータベースに接続でき、映像も画像も音声も、かつての映画もテレビもラジオも書籍も雑誌も新聞も漫画も演劇もライブもHなあれやこれも、手のひらで瞬時に手に入れることができる。それだけじゃなくって、自ら情報発信だって簡単にできちゃう。フェイスブックからこのnoteまで、発信するためのサービスはいくつもある。

あ、ついでに、電話もできる。

こういう行動は、インターネットとスマホの登場以前にはあり得なかった。まさに、このメディアインフラ自体がメッセージとなって、みんなの行動を変え、思考も思想も変えちゃったわけですね。

ちなみに、インターネットは人間の思想や思考、敵味方のつけ方を大きく変えた。劇的に変えた。あえていうならば先祖返りさせた。

その話はまたあとで。

で、またマクルーハンの受け売りをすると、メディアのコンテンツとは何か、について実に面白い指摘をしている。「最新のメディアのコンテンツは、前のメディアそのもの」なんですね。

すでにこの話はしましたね。テレビというメディアのコンテンツは、ひとつ前のメディアである映画であり演劇であり音楽ライブである。

そして、インターネットに乗っかるコンテンツは、テレビやラジオや漫画や新聞やあれやこれやの前のメディアそのものであり、あ、電話や手紙、というコミュニケーションサービスである。

ここでポイントは何か、というと、歴史の風雪に耐えられるコンテンツは、インフラとしてのメディアの淘汰を超えて、むしろずーっと生き続ける、ということである。

つまり、コンテンツのほうがメディアそのものより長生き。

聖書がそうですね。シェイクスピアもそう。源氏物語もそうだし、ラスコー洞窟の絵も。

音楽はずっとずっとライブしかなかった。エジソンが蓄音機を発明して、「録音」が可能になり、ラジオの普及で「放送」が可能になった。「録音」された音楽は、レコードとして流通するようになった。テープが普及して、個人が音楽のコピーをすることができるようになった。音楽をデジタル化する技術が発達し、レコードはCDになった。テープはMDになった。インターネットの普及に伴い、音楽はネット上でやりとりされるようになった。ナップスターが出てきてただで無限の音楽をやりとりできるようになった。ナップスターはすぐに淘汰されたけど、スティーブ・ジョブズがiTunesをつくり、正規に音楽をネットから得られるようになった。iPodが出てきて、自宅の数千枚のCDがポケットに収まるようになり、そして好きなときに音楽を手中にダウンロードできるようになった。いまでは、スポティファイなどを使って、好きなときにさまざまな音楽をリアルタイムで聴くことができる。誰もが、膨大な音楽の図書館を自分のものにできるようになった。

でも、そこで流れている音楽は、ずっとずっと変わらぬものだったりする。

モーツアルトやベートーベンであり、ビートルズやビーチボーイズであり。

むしろ、レコードしかなかった時代は滅多に聴くことのなかった古い歌を、まったく時代の違うひとたちが「お、おおいいじゃん」と聴く機会が増えた。

まさに、楽曲というコンテンツは、音楽を流すメディアインフラの栄枯盛衰を超えて生きのこり続けているわけである。それは、今後も間違いなく変わらない。

たとえば、日本の漫画はそのいい例となるはずだ。

漫画は、雑誌とコミックという「紙の出版物」というメディアインフラから生まれて、いまインターネットに移植されつつある。音楽に比べるとはるかに若いメディアコンテンツ。だからこそ、紙の出版の衰退イコール漫画というメディアコンテンツの衰退、ととらえられちゃいがちだけど、数百年の音楽のメディアの変遷とコンテンツの生き残りを見ると、漫画コンテンツは生き残る。ときにはアニメになったりすることもふくめて。いまNetflixでやっているデビルマン。その話はまた別の機会に(こればっか)。

アートとしてのコンテンツ。テクノロジーとしてのメディアインフラ。

市場を動かし、人々の行動を規定するのは後者であるが、時代を超えて文化として継承されるのは前者。

続きます。



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