ブラタモリは、笑っていいとも!と東京の地形が生んだ。たぶん。

億万長者で、あらゆる冨を手に入れたタモリさんが、なぜ月曜日から金曜日まで休むことなく、ずっと「笑っていいとも」の司会を淡々と続けられたのか。

「笑っていいとも!!」のせいで長期の海外旅行ができない。なぜ?

『さらば雑司ヶ谷』での「タモリによる小沢健二論」のシーンから生まれた『タモリ論』という本がある。どちらも作家、樋口穀宏さんの著だ。

タモリさんは、なぜ狂わずにいられるのか? 

タモリ論は、この問いから始まる。

とても、面白い考察がびっしりあるのだけど、ただ、私が連想したのは、実は本書に触れていないことだった。

それは、タモリさんの「地形マニア」ぶりである。

アルタでの番組が終わったあと、タモリさんは髪を下ろし、帽子をかぶり、小さなカメラを片手に、新宿を出る。

1人で。

誰も気づかない。ほんとに誰も。

そして延々歩き続ける。

自宅のある目黒の住宅街まで歩いて帰ることもある。

上野に足を伸ばすこともある。

私が想像で書いたのではない。

タモリさんがこの話を、自著で、イベントで開陳している。

午後2時の東京。

タモリさんはただ散歩しているのではない。

そのとき、地形を足で感じ、景色を幻視する。

明治を、江戸を、徳川初期を、平安を、古墳時代を、弥生を、縄文を、氷河期を、

旅をする。

なぜ、それが可能なのか。

それは、東京の土地が奇跡的に、小さな面積に複雑な地形がジグゾーパズルのようにはめ込まれた、「小流域」が連続する場所だから。

つまり、旅するところが無限にあるから。

タモリさんは、おそらくその事実に自身で気づいた。

そのうえで、文献で得た知識を、人からの伝聞を手がかりに、タモリさんは、『笑っていいとも』が終わると、毎日毎日、東京のどこかに、東京のいつかに、旅に出出た。

旅は、地理軸だけでするものではない。時間軸でする旅、というのものがある。

タモリさんがそんな旅を心底愉しむようになったのは、皮肉にも、長期旅行にいけない「笑っていいとも!」の放送条件があったから、ではないか。

遠くに行かなくても、海外なんかいかなくても、いつでも「遠く」に旅に行ける。

タモリさんは、それに気づいた。

そして。もうおわかりだろう。

タモリさんの「旅の愉しみ」は、

そのまま『タモリ倶楽部』の深化と、『ブラタモリ』の誕生に行き着く。

タモリさんが「狂わない」のは、テレビの中の幻想の世界にのみ、そこに連なる六本木的西麻布的銀座的夜の世界にのみ、生きていないから。

自分の足と身体と脳と心で大地と戯れ、探し、見つける愉悦を、誰よりも知っているから。


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