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メディアの話、その22。メディアとしての街。1階とあなたの公共。

私がパーソナリティを務めているラジオNIKKEIの番組「BIZ&TECH ターミナル」。今日の収録にはゲストをお招きした。

田中元子さん。

『マイパブリックとグランドレベル』という本を、晶文社から上梓された。

https://www.amazon.co.jp/dp/4794969821/

この本のコンセプトをひとことでいえば、

「街は1階がすべて! その1階を、みんなが1人ずつちょびっとだけでいいから、公共に開かれるサービスを施したら、街はもっともっと楽しくなる」。

グランドレベル、とは1階のこと。マイパブリック、とは、「私」が自らの意思で「公共」にサービスを広げちゃおう、ということ。

田中さんは、もともと建築系のライターをやり、プロデュース稼業をするうちに、株式会社グランドレベルをたちあげ、街の1階部分、道端や、ビルの片隅や、川の横や、さまざまなところに「私のおせっかい」を広げていく面白い試みを始めた。折りたたみ式の「お店」を転がして、ゲリラ的にカフェを展開したり。

ついには、東京右半分に、喫茶ランドリーなるお店を、古いビルの1階をリノベーションしてオープン。喫茶店とランドリーが併設された不思議な空間は、あっというまに地域の人々の憩いの場となった。。。。。

くわしくは、本書を読んでほしい。

で、ついでにラジオを聴いてほしい。2月12日月曜日22時20分から、ラジコで聴けます!翌週の月曜もやる!

 https://radioinfo.radiko.jp/?action=content-detail&type=advertise&id=16133

ここで、終わらせちゃうとただの告知である。

もうちょっと書く。一応「メディア」の話である。

いうまでもなく「街」は「メディア」でもある。マクルーハンをひもとくまでもなく、「街=メディア」というお話は、昔からさんざん語られてきた。

「街=メディア」と記すと、すぐに巨大なビルボードやディスプレイに延々広告やコマーシャルがプッシュされる「広告都市」的なお話をイメージする人がいるかもしれない。

あるいは、百貨店からはじまり、テナントビル、丸井、パルコのような都市型商業施設、地方都市中心部を空洞化とセットで発達したイオンに代表される郊外型モール(これ、実は因果関係がたいがい逆で、イオンのせいで中心部が空洞化したわけでは必ずしもなかったりするのだが)、人口減少とコンパクトシティ化に伴い、再び駅前駅上主義の開発が進んだ、現在のJRビルの隆盛ぶり、といった、メディア=広告と商業と消費がワンセットになった、商業都市論、なんてのを思い浮かべるひともいるかもしれない。

ただ、私自身は個人的に、看板も商業テナント施設も、都市を構成するメディアとしては、2番目3番目4番目のものではないか、と思っていた。

メディアとしての都市にとって、絶対欠かせないもの。

それは、1階が楽しいかどうかである。

誰にとって楽しいか。地主でも、ゼネコンでも、ビル屋でもない。広告代理店でもない。もっというとお店のひとでもない。

その1階部分を通り過ぎる「ひとびと」にとって、楽しい場所であるかどうか。これが、その場が「街」であるかどうかを決定する。

どんなにゴージャスなテナントを盛り込もうと、どんなに有名な建築家にデザインさせようと、1階部分が楽しくないビルは、「街」を構成する要素にはなっていない。そのビルの上階に用事があるひと以外にとって、1階部分がすべてである。

ひとにとって街とは、自らの歩いている地べたとつながったグランドレベル=1階がすべてであって、この1階が街のかたちをしていないビル群は、ひとびとにとって街ではない。ただのコンクリートの板切れにすぎない。

この感覚は、おそらく原始時代から現在に至るまでかわらない。

というのは、1階以外の場所は、見えないからである。見えても登るのが面倒だからである。まず1階が魅力的かどうか。ストリートが楽しいかどうか。街はそこからスタートする。

いいかえれば、ひとびとにとって街がメディア的に機能するには、まず1階が魅力的なコンテンツとしてプレゼンテーションされていなければならない。ゴージャスなテナントビルも、巨大なビルボードも、1階が魅力的でない街にかかげてあっても、ほとんど「無駄」である。逆にいえば、1階が魅力的であれば、大掛かりなテナントビルも、ディスプレイも、あってもなくてもいい。

ところが、日本においては、なぜか「まちづくりのプロ」が、このごくごく当たり前の、原始人的に誰でもわかるかわらぬ事実を無視する。楽しい1階より、高いビルのほうが「街」なんだ、と信じている。

おそらくは、その悪しき先例は、新宿を見ると明確にわかる。

新宿駅の西口を出ると、陰気な通路を抜ければ、そこは日本最初の高層ビル群だ。

今度は新宿東口を出る。雑居ビルが林立し、奥には歌舞伎町に、ゴールデン街に、三丁目の飲み屋街に、二丁目の色っぽいお兄様方のお店に、『君の名は。」の景色が拝める新宿御苑。

かたや、日本を代表するゼネコンとオーナーが数百億を注ぎ込んだ巨大ビルの林。かたや、戦前戦後のどさくさにまぎれてできた、場所によっては吹けば飛ぶよな猥雑な店の集まり。

どちらに、「わざわざ」ひとは集まっているか。答えはいうまでもないですね。東口にあって西口にないもの、それは1階部分の楽しさ、であります。

あの、新宿西口ビル群という大失敗事例を、しかし日本の「まちづくりのプロ」たちは、ちっとも自覚せず、港区のかつての下町エリア、湾岸エリア、さまざまなところに、1階を無視したコンクリートの墓標を作り続けている。「まちづくりのプロ」たちは、メディアとしての街にとって、どこがトップページなのかを理解していない。高さ1000メートルのビルをつくろうと、1階部分になにもなかったら、そのビルは、ただビル風を巻き起こし、日当たりを悪くするだけの「邪魔もの」にすぎない。

言っておくが、高層ビルを立てるのが悪いのではない。1階部分をたのしくしない設計が悪い。「まちづくりのプロ」たちは、ガラス張りのエントランスがダサいビルの1階を、道行くひとびと、地域に住まうひとびとが、思わず立ち寄ったり、駄弁ったり、しゃがんだり、おべんとたべたりできる、魅力的な「場」に変えることこそが、むしろ「不動産価値」をあげることにつながる、という事実に気づくべきだろう。

田中さんの本を読んで、日本の街はすべて1階をたのしい「メディア」にすべきなのである。

ほんと、ビルだけあって街がないエリアの、さみしいことよ。

続きます。





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