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元囚人が語る 体育会系部活の真実

私はかつて、とある収容施設で苛酷な環境に置かれ、理不尽な強制労働に従事させられた経験がある。

その収容施設の名は、

「弓道部(体育会系)」

という。


幸いなことに社会人になってからこの方、「社畜」と呼ばれる存在になったことがない。

しかし大学4年を費やしたこの部活動は、「部畜」とでも言おうか、まるで屠殺の順番をおびえて待つ養豚さながらの恐怖政治だった。

私が入部していたのは弓道部。

入部理由は単純で、入学当初、絶望的に友だち作りが下手だった私に唯一話しかけてくれた子が、見学に行くと言ったからだ。


私はただの付き添いだったはずだ…


だがこの時すでに歴史は動いていた。


先輩たちはにこやかに弓道の楽しさ、厳しい中にもある達成感、武道を学べば礼儀も身につき社会人になっても通用する、などあの手この手で勧誘してくる。

ときに18歳。

大人ではないが子どもでもない。しかし社会経験も乏しく、口のうまい大人が存在することを知らなかったピュアな時代…


つまるところ、いいカモだった。


私は新しいことを始める期待を胸に抱き、弓道部の門戸を叩いてしまった。

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そう、叩いてしまったのだ。

それから20年近く経った今も、時おり悪夢にうなされるとは知らずに…!


さっそく説明しよう。

この施設(あえてそう呼ばせていただく)の絶対的なヒエラルキーを。


1年生【クラス:囚人】

もっとも階級が低く、基本的人権は皆無。個人の罪もすべて連帯で責任を負う。

部室と道場まで400mほどの距離を必ず全力ダッシュで移動する義務が課される。一人が少しでも歩くと囚人全員に「招集(※)」がかかる。

先輩の前を通る際は、必ず頭を下げ「失礼します」と言わなければいけない。部活外で、たとえば校舎ですれ違う時も「失礼します」が必要であり、廊下の端と端にいようが、目が合ったら聞こえるように「失礼します」が必要。聞こえないと、「目が合ったのに無視された」と因縁つけられて招集。

挨拶は昼だろうが夜だろうが「おはようございます」。道場に上がるときにも大音量での「おはようございます!」。

「声だし」。自己紹介や挨拶、謝罪などに腹の底からの大絶叫を強制される。弓道は危険なので遠くにいる人との声のやり取りが必要だからとのこと。(理屈はわかるが、演劇部でもないのに咽喉がつぶれたりポリープできたりするほど必要か?拡声器使え)

持ち回り制の審判役でミスすると、判定ミスしてしまった相手に土下座をして謝罪。他大学のことは知らないが、たかだか18やそこらでこんなに土下座キャリアを築き上げるって。ちなみにミスが多いとやはり招集。

掃除、片付け、着替え、移動のすべてを全力で、一切の妥協も許さないスピードで行わなければならず、「弓道って柔道とかより体力使わなそ~」などという志望動機は見通しが甘かったと言わざるを得ない。

※招集とは:道場そばの校舎裏に呼び出され、1年生(囚人)と2年生が一列に向かい合った状態で、めちゃくちゃ説教されること。

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囚人には発言権がいっさい与えられず、2年生から何か言われるたび、バカの一つ覚えで全員一斉に、

「はい、失礼しました!!!」

と大絶叫させられる。たとえ夜の21時過ぎであろうと。(ちなみに近隣住民からの苦情も来る)


2年生【クラス:看守】

囚人をサバイブするとランクが一つ上がり、囚人を直接指導に当たる看守に暮らすチェンジできる。

看守が囚人に説教するのは「恒例」であり「義務」であり「習慣」であり「伝統」であり、必ずしもそこに「必然性」はない。サディスティックな人ほど楽しいだろう。

とはいえ4段階のヒエラルキーの最下層を抜け出せたに過ぎず、その首根っこはさらに上層部から押さえつけられている。囚人のミスは看守の監督不行き届きでもあるからだ。

看守の上には所長(3年生)がおり、こちらも看守に対して不定期に「招集」をかけることがある。

まるで、「看守になったからってつけあがるなよ。お前たちも我々の手駒に過ぎんのだからな」とクギを刺すかのように。

看守も、やはり施設内で飼われているのだ…

それでも囚人のように全力ダッシュですべての行動をする必要がなく、合宿でもゆっくりした食事が許されるので、その快適さは雲泥の差である。


3年生【クラス:所長】

看守の務めを無事に果たすと、いよいよ所長の椅子が待っている。

所長は実質的なトップであり、ここまで昇りつめれば説教を食らうことはまずない。囚人にとってみれば気軽に話しかけられる存在ではなく、実のところ目も合わせたくはない。

所長からのお小言は、必ず看守経由で囚人に届く。

囚人と看守の関係は最悪だが、囚人と所長、看守と所長の関係はさほどギスギスしていないのも事実で、いわばこれはアメとムチである。ニコニコと私を勧誘してきた人たちも所長たちだった。

所長たちが直接囚人に説教することは極めてまれだが、私は囚人時代に一度だけ経験がある。「所長たちに呼び出されるなんてえらいことだ」と皆一様に思っていたが、いま思い返してみても内容はさっぱり思い出せない。

おそらくだが、これは看守への当てつけだったのではあるまいか。

「オイお前ら。これは本来お前らの仕事だよな?ウチらが出張る意味、わかってんのか?気ィ引き締めてやれやコルァ!」

そんな喝のダシにされるのも囚人の役目である。


4年生【クラス:神】

4年生は基本的に試合に出ないので、日々の稽古にもほとんど参加しない。圧倒的な支配力を持ち、確かにその気配を感じさせながらも姿は見せない。

それはまるで神さながらである。

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囚人はほとんどの神の顔を知らない。

神は「囚人教育」などという些事にかかわることはまずないので、たとえ囚人が目の前を「失礼します」と言わずに通り過ぎても、看守へ報告が行くことはない。

毎年卒業の時期になると、囚人は顔も知らない神のための寄せ書きに、思ってもみない情熱的な言葉を書きつらねるのだ。



あれから20年近く。

辛い囚人生活から神の領域を経てあの収容施設を後にした私は、「あんな思いは二度としたくない」という一心で、社畜回避の人生を送ってこられた。

だからあながち無意味な時間ではなかったのかもしれない。

今日も囚人は、あの抑圧された最下層で生き延びているのだろうか…

いつか神になることを夢見て。


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