フォルマ・ディフェクト―序章―

「時の流れは、常に一定であるとは限らないよ」
 冷たい金属に囲われた、ただただ広いだけの空間に、彼女の声が反響する。
 僕は彼女のウェーブがかった色素の薄い髪の毛を見つめていた。
「どういうこと?」
「時間は主観でしかないってこと」
 僕の問いへの彼女の答えは、ひどく曖昧だ。
 意味など分からない。分かりたくもない。
 しばらく茫然と、僕は彼女を見つめていた。
「そうだなぁ。分かり易く言うとね。空間って言う歯車があって、ひとつの大きな機械を動かしているの。その機械の流れを、人は『時間』って呼んでる。これなら分かるかな?」
「それは、つまり……」
 僕が今、彼女と話しているこの瞬間さえ、歯車の一部であり、今僕が彼女の言葉を吟味する瞬間の連続は歯車から歯車を移動しているに過ぎない。
 そして、その歯車を移動するプロセスが『時間』、と言う概念を成している……と言うことなのだろうか。
「うん。大体……合ってる……と思う」
 彼女は苦笑した。
 どう答えて良いか、彼女自身、わかっていないらしかった。
「あのね……私もちゃんとはわからないんだ。ううん。きっと誰にもわからないよね。目で見えるものではないから」
 彼女が自分に言い聞かせるように言った。
「あ、あのさ……質問、いい?」
 ただ、それでも僕はひとつ疑問がある。
 彼女が答えられずとも、僕は彼女に聞きたいことがある。
「じゃあ、ここにいる僕は……何?」
 歯車を移動するプロセスが時間であるとするならば、では、それを移動する僕はなんなのだ。
 この……僕と言う意識は一体何者なのだろう。
「それはね……あらゆる状況、立場のキミがいて、それをあなたの『基幹』が観察しているからだよ」
「『基幹』……?」
 聞き慣れない言葉だ。
「そう。キミの基幹が、キミに『現在』を知覚させているに過ぎないんだよ」
「じゃあ……」
 そこで、最初の話に繋がると言うことに、ようやく僕は気がついた。
「……時間の流れは、常に一定であるとは限らない」
「うん。合ってる」
 彼女はそこで、少し笑った。
 可愛らしい笑みだった。
「例えば今、この瞬間のキミを基幹が観察していて、次の瞬間には、数年前のキミを見るかもしれない」
「あるいは……数年……数十年先……」
 そこで僕は、はっとなって彼女を見た。
 彼女はゆっくりと頷く。まるで、今僕の考えていることが正解であると言うように。
「そして、人はそれに気づかない。……ある例外を除いてね」
「時間連続視欠落症候群(フォルマ・ディフェクト)……」
 それは、とある奇病の名前だった。
 西暦2015年を皮切りに、全世界へ拡大した、ある奇病……。
 発症した人間は、まるで狂ったように見え、やがて何かを予言して、死ぬ。
 そして、その予言は全て正しく、正確である。

 この土地ではその行動様式を指し、件(くだん)などと言い、不吉がられていて、その多くは迫害を受け、時に殺害の対象にもなっている。

 かくいう僕も……そのひとりだ。
 
「でも、それだけじゃ、足りない」
 彼女はそう言って、自身のこめかみを指さした。
「人の脳が、追いつかないの。基幹が知覚する膨大な情報量は、やがて人間の脳細胞を焼き殺すんだよ」
 彼女の言葉が聞こえると同時に、僕の後頭部が、ちりちりと痛んだ。
 やがて僕も……死を迎えるのだろうか。
 もっとも、実感はないのだけれど。
「だから……そのために、あの機体が要る」
 彼女が人差し指をこめかみから離す。
 そして、僕の後方を指さした。
「フォルマ・ストラ……。あれが、キミの……本当の身体」
「フォルマ……ストラ……」
 僕はゆっくりと、後方にあるだろう、それに向かって顔を向けていく。

 それは僕を死から救う司教か、
 果てまた絶望へ誘う邪教の教祖か。

 ただ今は……そのどちらであっても構わないと……思っていた。
 今という概念すら……ひどく曖昧なこの世界で。


              ――序章「時の流れより速く、」終わり

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