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ショック・ドクトリン(1) 〜100分de名著より〜

NHK「100分de名著」2023年6月に放送された内容に基づいております。
司会:伊集院光、安部みちこ
朗読:板谷由夏
語り:藤井千夏
指南役:堤未果(ジャーナリスト)
(番組URL)https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p7jByMJRr7/


「ショック・ドクトリン」とは?

ショック・ドクトリンとは、現在も活躍しているカナダ出身のジャーナリスト、ナオミ・クラインによる「ショック」と「ドクトリン」を組み合わせた造語。

ショックとは、
例えば、テロ・戦争・クーデター、大きな地震や災害で、私たちが衝撃を受け、頭が一瞬真っ白になってしまう状態。
ドクトリンとは「政策」。
ショック・ドクトリンにおいての政策は、過激な経済政策

クラインが定義する「ショック・ドクトリン」とは?
人々がショックを受けて、パニックで頭が真っ白になった状態を利用して、普通なら反対が多く通すことが難しかったであろう過激な政策を一気に行ってしまう政策。
日本語で言うと、「火事場泥棒的経済政策」

▼ショック・ドクトリンを生み出すきっかけとなった出来事

2005年8月、
アメリカ南部はハリケーン・カトリーナに襲われ多大な被害を被る。
中でもルイジアナ州ニューオリンズは、市内の80%が水没し、多くの人々が家を失い、避難生活を強いられていた。
その際、クラインはジャーナリストとして被災地を取材。

そんな中で、

「これでニューオリンズの低所得者用公営住宅が綺麗さっぱり一掃できた。我々の力では到底無理だった。これぞ神の御技だ」

という共和党議員の言葉に、クラインは違和感を覚える。
また、ニューオリンズ屈指の不動産開発業者も、次のようなよく似た意見を述べていた。

「私が思うに、今なら一から着手できる白紙の状態にある。
このまっさらな状態は、またとないチャンスをもたらしてくれている」

数キロメートル先には、生活を奪われ、いまだ路頭に迷う被災者が取り残されているにも関わらず、議員や不動産業者は、公営住宅の再建計画を潰してマンションを建設しようとしていた。
そしてクラインは、ニューオリンズの公共事業に民間企業が一斉に参入していく様子を目の当たりにする。

クラインは、この状況を「惨事便乗型資本主義」と定義し、その考えのルーツとなる人物を明らかにした。
それが、経済学者ミルトン・フリードマン(1912〜2006)である。
フリードマンは、

「政府が介入せず、全く規制のない状態にあれば、市場は自らバランスをとる」

という新自由主義政策を説いた経済学者で、今日のグローバル経済を導いた人物とも言われている。

クラインは、フリードマンの次のような理論を論文から引用している。

「現実の、あるいはそう受け止められた危機のみが、真の変革をもたらす。
危機が発生したときに取られる対策は、手近にどんなアイディアがあるかによって決まる。
われわれの基本的な役割はここにある。
すなわち現存の政策に代わる政策を提案して、政治的に不可能だったことが政治的に不可欠になるまで、それを維持し、生かしておくことである」

フリードマンはこの手法を「経済的ショック療法」と名付け、世界各地で実験してきたと、クラインは言う。

またクラインは、経済的ショック療法について、
心理学者ユーイン・キャメロン(1901〜1967)が、1950年代に行った「心理学的ショック療法」との類似点を見出していく。

『心理学的ショック療法』とは、
精神疾患の患者の「古い病的な行動様式を破壊」するため、電気ショックやLSDを与え、「白紙状態」にする治療法。
その上で、「あなたは良い母親です」といった録音テープを繰り返し聞かせ、正常な状態に戻すという方法だった。
(洗脳だし、人権侵害にもあたるのではないか?)

クラインは、フリードマンの経済理論は、
まさに「心理学的ショック療法の社会実験版」であると考えるようになる。

そしてクラインは、危機によって国民が白紙状態にされる中で、フリードマンの経済理論の3大ルール

  • 規制緩和

  • 民営化

  • 社会保障の削減

この3つが強制的に行われていたことを暴き出していく。

*********

【考察】

ハリケーン・カトリーナで公共の物が破壊される
 ↓
本来なら立て直して復興するはずが…
 ↓
ショックに便乗して、わざわざ作り直さないで、無くしてしまおう
今まで住民の反対で取り壊せなかった物が一掃された
この機会に復興するのではなく、新しいビジネスを始めよう
…という展開。

「民営化し、無駄をなくして効率化する」
短期的には利益が出るかもしれないが、長期的にはどうなのだろうか?
民間ビジネスは、綻びが出たら撤退してしまう。
一方、公共サービスは、綻びが出ても撤退できない。
これが、学校や病院で行われたらどうなるのか?
非常に恐ろしいことになるのでは…。

フリードマン理論の落とし穴

フリードマンの経済理論の3大ルール
・規制緩和
・民営化

・社会保障の削減

国ができるだけ介入しないで市場の競争原理に任せる
 ↓
企業は儲かり、一時的に社会が豊かになって活気が出る

しかしーーー
社会保障を切られ、こぼれ落ちた人はどうするか?
…という視点が抜け落ちてしまっている。
*********

南米チリでのショック・ドクトリン

ショック・ドクトリンの実験が世界で初めて行われた国が南米、チリ。

1970年、チリでは大統領選挙が行われ、社会主義を唱えるサルバドール・アジェンデが圧倒的支持を受け、第29代大統領になる。
史上初の自由選挙による社会主義政権の誕生。

アジェンデ大統領は、国内の天然資源やインフラの国有化を進めていく。
しかしこれに対し、アメリカの企業が強い危機感を抱く
チリの銅山や電話通信事業のおよそ7割の株式を、アメリカ企業が所有していたため。

国有化されると、自分達の利益が失われるかもしれないと考え、アメリカの財界人たちは、大統領リチャード・ニクソンに訴える。
ニクソンはその訴えを聞き、チリから銅を購入することをストップ。
あからさまに経済的な妨害政策を行う。
さらに、チリの軍内部に送り込んだCIA工作員を動かし、アジェンデ反対派に軍を掌握させていく。

そして、1973年9月、戦車が大通りで発砲する。
陸海軍率いるアウグスト・ピノチェト将軍がクーデターを起こす。
それによってアジェンデ大統領は死亡(自ら命を絶つ)。
ピノチェトが独裁政権を打ち立てる。
※このクーデターに、CIAが関与していたのでは?とも言われている。
反対派とされる、およそ13500人の市民が逮捕・拘束され、そのうち数千人がサッカースタジアムで拷問、虐殺された。

実は、この独裁政権誕生の裏側で、あるグループが経済改革を進めていた。
それが「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれるフリードマンの愛弟子たちだった。

「シカゴ・ボーイズ」
1950年代、アメリカ政府はチリのエリート学生をシカゴ大学に入学させるプロジェクトを開始する。
そしてその学生たちをシカゴ大学教授だったフリードマンが教育した。
チリに帰国したシカゴ・ボーイズは、軍事政権化で経済大臣・財務大臣・中央銀行総裁など、重要ポストで活躍し、アメリカに協力。
以下の経済改革案をピノチェトに提示した。

  • 公営サービスの民営化

  • 価格統制の撤廃

これらの政策が行われ、国内市場が海外企業に開放されていった。
その結果として、
チリ国内の上位10%の富裕層の収益が、一気に83%も増大する。
短期間で莫大な収益を上げることとなった。

こうした状況を、アメリカをはじめとした西側のメディアが
「チリの改革は大成功であり、チリの奇跡である」と報道した。
しかしーーー
一方で次のような結果を招くこととなってしまう。

1974年、チリのインフレ率は375%にも達したが、
これは世界最高の数字で、アジェンデ政権下の最高時の2倍にあたる。
パンのような基本食品の価格は天井知らずに高騰し、他方、失業者は増える一方だった。
「自由貿易」実験によって、国内には安い輸入品が溢れていたからだ。
国内企業は競争に負けて閉鎖を余儀なくされ、失業者は記録的に上昇、飢えが蔓延した。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」

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【考察】

チリでのショック・ドクトリンの実験がどのように進められたか?

  1. クーデターによるショック
    「恐怖」

  2. 新自由主義経済(民営化)

  3. 外国資本の参入

…この順番で進められた。
クーデターによるショック。そして「恐怖」。
この1と2の間に「恐怖」を入れるのが非常に重要。
ショックは冷めてしまうので、冷めないよう「恐怖」を断続的に入れておく。

クーデターによるショック
 ↓
拷問、見せしめ、逮捕などを行う【恐怖】
 ↓
民営化
 ↓
そのうち経済が弱り、再びショック状態に
 ↓
今度は生活苦になり、どうしたらいいんだろう?と【不安や恐怖】に陥る
 ↓
外国資本が入ってきて、その国の経済を「略奪」していく

▼シカゴ・ボーイズとは?

アメリカが奨学金の全てを出してチリから呼ばれたエリート学生たち。
ただし、シカゴ大学一択という条件だった。
そして、フリードマン教授が彼らをシカゴ大学でしっかり教育する。
その学生たちが、自国に帰り高い地位に就く。
アメリカのとっては非常に好都合。
アメリカはこれで味をしめてしまう。
そして、世界中にシカゴ・ボーイズはいる。
もちろん日本にも!

▼恐怖や不安の後にやってくるものに気を付ける

恐怖で柔軟に全体を見れなくなる時が、自分達に都合よく社会を変えたい彼らにとってはチャンス。
その時に決定した政策に対して、私たちはゆっくり立ち止まって考えることができない。
気付かないうちに外国資本が多く入ってきて、後になってから自国の農産物、工業製品、企業が少なくなってきてるなと気付いた時には、もう遅いのかもしれない…。

ちなみに、チリのクーデターによる社会主義政権崩壊については、
映像の世紀バラフライエフェクト「CIA 世界を変えた秘密工作員」の回でも取り上げられています。
https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/83LX92ZPR1/
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民主国家イギリスでのショック・ドクトリン

1980年代のイギリス。
当時の首相マーガレット・サッチャーは、フリードマンの愛弟子であり、チリでの経済改革を成功例として評価していた。
しかし、民主主義国家イギリスでは、国民の高いレベルの同意が必要であるため、チリのような急激な改革は難しいだろうと考えていた。

そんな中、イギリス領フォークランド諸島にアルゼンチン軍が侵攻。
1982年4月、フォークランド紛争が勃発する。
3ヶ月に及んだ戦いにイギリス軍が勝利、低迷していたサッチャーの支持率が25%から3倍近い59%へ急上昇した。

勢いに乗ったサッチャーは、「国内での闘い」へと突き進む。
1984年、炭鉱労働者がストライキに入ると、サッチャーは炭鉱労組との対立を、対アルゼンチン紛争の延長と位置づけ、容赦なく敵と戦うべきだと訴えた。

フォークランドで我々は外からの敵と戦わなければならなかった。
そして今、内なる敵と戦わなければならない。
こちらの敵の方がはるかに手強く、また自由にとっても同じくらい大きな脅威なのです。

炭鉱労組との戦いは非常に激しかった。
内戦のような様相となった戦いにもサッチャーは勝利する。
そしてイギリス政府は、電話・ガス・航空会社・鉄鋼など、公共事業の民営化を強行していく。
その結果、政府と大企業が密接に結びつき、経済政策が企業側に有利に進むことになった。
(日本でも1980年代に電電公社、専売公社、国鉄など、次々と民営化されましたよね…)

こうした国家を「コーポラティズム国家」と呼び、クラインは次のように分析する。

コーポラティズムは、膨大な公共資産の民間への移転(往々にして莫大な負債を伴う)、 とてつもない富裕層と見捨てられた貧困層という二局格差の拡大そして安全保障への際限ない出費を正当化する好戦的ナショナリズムを主な特徴とする。
このようにして生み出された巨大な富のバブルの内側にいる者にとっては、 これほど収益性の高い社会構造はほかにない。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」

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【考察】

民主主義国家ではショック・ドクトリンは起こらないと思われていた。
しかし、フォークランド紛争が起こり、「ショック」ができた。

外に敵ができると、政府は国民感情を煽り、支持率を上げる。
サッチャーの支持率もV字回復。
そのショックが冷めない内に今度は次の敵を用意。
それが、炭鉱労組
そしてショックを続かせるために、警察に労働組合の反対運動やデモを鎮圧させ、「恐怖」を作り出す。
恐怖が続いている間に、民営化をどんどん進めていく。

これをパッケージとして成功させたのが、サッチャー。

▼シカゴ・ボーイズとコーポラティズム国家

ショックを起こす、もしくはショックに乗っかる
 ↓
過激な自由主義政策を入れる
 ↓
最後に出てきて利益を上げるのは企業

…これが、ショック・ドクトリンの流れ。

企業としては、政府とできるだけ密着していた方が物事がスムーズに進む。
なので、シカゴ・ボーイズが政府の政策決定権のある部署に入っている。
そして、企業のための政策を通す

政府と企業が、癒着して二人三脚でやっていき、公共のための予算を民営化して企業に流す。
このようなコーポラティズム国家がフリードマン理論、シカゴ・ボーイズによって増えた。
*********


…ショック・ドクトリン(2)に続きます


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