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ショック・ドクトリン(4) 〜100分de名著より〜

NHK「100分de名著」2023年6月に放送された内容に基づいております。
司会:伊集院光、安部みちこ
朗読:板谷由夏
語り:藤井千夏
指南役:堤未果(ジャーナリスト)
(番組URL)https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/p8kQkA4Pow/bp/p7jByMJRr7/

日本、そして民衆の「ショック・ドクトリン」

地震、津波、巨大台風、火山噴火…。
災害によって人々がショック状態に陥った隙に急激に行われる経済改革がショック・ドクトリン。
ジャーナリスト、ナオミ・クラインは「復興」という名のもとで企業が利益を求めるあまり、被災者への救済をなおざりにする姿を暴き出した。
しかし、一方で市民たちが立ち上がり、ショック・ドクトリンを跳ね返した事例も明かにする。

ショック・ドクトリンを回避するための手段とは?
災害大国日本に暮らす私たちへのヒントとは?


ニューオーリンズでのショック・ドクトリン

2005年8月 最大級の大型ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州に上陸。
ニューオーリンズの8割が水没し、被災者は23,000人にものぼった。
家を失った被災者たちは、スタジアムに取り残され、水や食料も圧倒的に不足する中、ショック状態に陥った。

壊滅状態のニューオーリンズに政府がショック・ドクトリンを行ったことをクラインは明らかにする。
被災地の復興事業を、政府は民間企業に委託
最初に受注したのは、多国籍企業民間軍事会社だった。
企業の経営陣として元政府高官が在籍。
彼らは回転ドアを通って、総額16億ドルの復興予算の8割を独占した。
その他、復興事業契約を結んだ上位20社も、議員たちに献金をしていた企業ばかり。
巨額の献金と引き換えに、議員たちは「規制緩和」を実施。
利益が企業と政府関係者の一部に集まり、下請業者の作業員には低い賃金しか渡されていない。
そんな理不尽な状況が生まれたと、クラインは分析した。

民間主導の復興作業は、なかなか進まなかった。
公立病院、公共住宅、電気、水道が復旧されないまま、多くの住民が元の家に暮らすことができなくなっていた。

学校、住宅、病院、交通システム、そして街のあちこちで復旧しないままの水道…。
ニューオーリンズのこうした公共空間は再建されなかったというより、ハリケーンを口実に「消去」されようとしていた。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」

「チャータースクール」

フリードマン理論に飛びついた政府や財界人たちは、公立学校のシステムを再建・改良する代わりに、公的資金で建てた学校を民間企業が運営するという「チャータースクール」を作っていった。

公立学校の教職員組合に所属していた教師4,700人は全員解雇、チャータースクールに採用されても契約社員になるしかなかった。
また、チャータースクールは、生徒の成績によって順位づけられ、政府の予算が決められるので、学校同士の競争が激化
生徒全体の成績を維持するため、カンニングを許容するなど、不正も見られるようになった。
結果的に123校あった公立学校は、4校を残してすべて潰された。

こうして多くの復興事業が民営化されたことにより、富裕層と貧困層の格差が拡大していった。

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【考察】

元々、それまでの民営化による切り捨てによって、公共の物、例えば公立の学校や公営住宅などが、かなり劣化していた。
そこを一気に作り替えるきっかけにした。

ーーー公立の学校がチャータースクールに変わったという話がありましたが…

チャータースクールというと、60年代のすごくいいイメージがある方もいると思うが、元々は、公立の学校では教えられない、自由な形の、親とか保護者とか地域で作る学校という物だった。
だが、チャータースクールがビジネスに変わっていく。

ーーー民営化自体が全部悪いとは思わないが、競争の原理を入れることで、より良い教育が受けられるようになりますよとか…。そして、強烈な競争原理の先にあったのが、カンニングしたけど見過ごしましょうみたいな…

先生が堂々とカンニングさせていた。
天井に答えを映写機で写したり、手に書かせたりもしている。
学校が成績を上げないと、予算が入らないという競争があったから。
それは、ただ数値だけの競争なので、落ちこぼれの子はできるだけ退学してもらった方が平均点が上がる。
そうすると、「公教育の意味というのは何?」という話になってくる。

例えば、テストの点ではなく、学校で得たもの…。
先生から学んだことや友達と一緒に何かを成し遂げることで得た自信とか、そういうものはテストの点には出ない。
けれど、教育が競争で民間のビジネスになってしまうと、そういうものが価値がないものになってしまう。

ーーーこのニューオーリンズの状況と東日本大震災に共通する部分があると…

▼復興特区と東日本大震災

ニューオーリンズでが最初に「復興特区」というのを作った。
すべて復興しなければいけないけれど、例えば法律とか、今までのように企業と1つ1つ交渉していたら間に合わない。
なので、ショック・ドクトリンで言うところの「民主主義のフリーゾーン」というのを作った。

東日本大地震の後も、海が壊滅的被害を受けて、漁業をやってる生産者たちが、家もなくして、仕事もなくなって大変になった。
その時に、漁業組合というものがあって…。
漁業組合というのは、地元の組合員たちの生活を何十年先まで維持していく事と、海の環境のバランスを取るという事をすごく考えて、漁のルールを作っている。

しかし、復興特区にした時に、「それは民営化しましょう、その権利を民間に解放しましょう」としたことによって、被災した漁業者たちや生産者たちは、「そこの雇われ職員になってください」という話になり、「果たしてサラリーマンでいいのか?」という声が現地ではかなり出た。

だから、この時に漁協のような協同組合みたいなもので、住民の声が平等に反映されるものと、それともう一つ、ビジネスの論理でスピーディーだからということを重視して、民間を入れたらどうか?という…。
このバランスを、よく考えていかないと、ニューオーリンズのようなことになってしまう…。

(災害の多い日本、直近では2024年元日、能登半島地震の被害もまだまだ収束せず、復興の道もかなり遠い状況。今後をしっかりと見ていかないといけないと思います。)
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民営化のチェックポイント

日本における新自由主義経済も「民営化」というキーワードで進められていった。
日本で最初に大々的な民営化を行ったのは、80年代の中曽根政権だった。
世界的な潮流に乗って、新自由主義を推し進めた中曽根首相。
彼は、国鉄、電電公社、専売公社を、一気に民営化した。
その後、「官から民へ」を謳い文句に、小泉純一郎首相が郵政民営化も実現。
新自由主義政策は効率化が進む、無駄をなくすなどの良いとされる部分がある反面、弱者や相対的に力の弱い地方などに手が届かないと指摘する声も上がっている。

民営化を積極的に進めてきた日本で、私たちは危険なショック・ドクトリンが行われるかどうかを見極めることができるのだろうか?

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【考察】

1つの事例を取り上げて、「この民営化は良かった」「この民営化はあんまりうまくいかなかった」…という議論をするよりも、「有事の時に機能するか」というチェックポイントで考える。
例えば、水道を民間運営にした時に、「日本のように自然災害がしょっちゅう起こる国で大丈夫ですか?」とか、「採算が取れないと供給しませんだと、防災的にはNGですよね」とか…。

もう1つは、「数値で価値が測れないところ」、例えば、教育だったり、医療だったり、こういう所はちゃんと守れているのか?という…。

検証するポイントは、利益じゃない。
サービスがいいかどうかでもない。

「広く長く深く検証する」ということが必要。

そして、進めていく際に、民営化するとしても、地域住民がそこに当事者として入っているか?
要するに、作っていくプロセスを「民主化」すること。それができれば民営化もいい形でできる。

▼ショック状態の時に大事なこと

ーーー災害があった際に「復興しよう」「作り直そう」という時に、「ちょっと大胆なことができるんじゃないか?」みたいな事が全部悪いとは思わないけれど、その時に冷静さを失わないということが大切じゃないですか?

そういう時ほど、2つ大事なことがある。
1つは、どんな法律が国会で通っているか?ということ。
ショックが起きたら、「サッと法律変えろ!すぐ出せるように準備しておけ!」と…。こういう事は、どの国の政府も準備している。
なので、ショックが起きたら国会を絶対チェックする。

もう1つは、パニックになっているので焦ってしまうけれど、立ち止まってもう一回ゆっくり考えてみる
こういうことが、すごく大事になってくる。

ショックがこれからドンドンまだまだ来る、
その時に、フリードマン理論が一番よく行うやり方は、「選択肢をなくす」。
「テロとの戦い、参戦しないのなら君もテロリスト側だ」とか…。
例えばパンデミック。
「この薬飲むか、そうしないとみんな死んじゃうよ」とか、選択肢があるかどうかを必ずチェックすることはすごく大事。

ーーー賛否両輪なことってあるじゃないですか? どっちか分からないくらい微妙だなっていうことが急激に動いたりする時に、選択するのは難しいですよね…。
一回疑ってみる 「ちょっと待って、今僕はかなり動揺しているぞ」って事が分かってるとチェックできるんですかね

立ち止まるってことは、すごく大きな力がある。
向こうはスピード勝負を仕掛けてくる、その逆は立ち止まること。

(恐怖を煽り立てて、決断を迫まる。これは詐欺の常套手段。
こんな時は、一旦落ち着いて立ち止まって、できたら誰かに相談して、よく考える。その時間をくれないような場合は、危ないと思っておいた方が良さそう。)
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スマトラ沖地震でのショック・ドクトリンへの抵抗

クラインは2004年12月、スマトラ沖地震による津波被害をきっかけに、ショック・ドクトリンが行われたことを明らかにする。
大津波によって、およそ21万人の命が奪われ、被災者は120万人に上った。

このショック・ドクトリンの状態に便乗し、政府は被害にあった住民たちを住んでいた場所から移動させ、海外のリゾート企業に土地を売却しようとした。

漁師たちは海からの恵みで十分に家族を養っていけたが、それは世界銀行などの国際機関の基準から見た経済成長にはつながらない。
海岸にはもっと収益の出る利用法があるはずだ、というのが政府の見解だった。
この青写真からすっぽり抜け落ちていたのが津波の被害者、すなわち海辺で生計を立てていた何百もの漁師の家族だった。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」

しかし、被害を受けたタイ沿岸には、抵抗することでショックドクトリンから身を守った人たちがいた。
中でもモーケン族と呼ばれる先住民の行動は圧巻だった。
津波に流された村を、数ヶ月のうちに自らの手で再建していった。

タイのケースが他と違うのは、被災者たちが政府の口約束を信用せず、避難所でおとなしく公的な復興計画を待つのを拒んだことだった。
津波から数週間のうちに何千万という漁民が結集し、「再侵入」と称する行動に出た。
彼らは開発業者に雇われた武装ガードマンもものともせず、各自が手にした道具でかつて自分たちの住まいのあった区画を囲った。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」

先住民たちは野営しながら、土地の所有権を主張し、政府と交渉した。
長く粘り強い交渉の末、沿岸部の土地の一部放棄と引き換えに、彼らは先祖伝来の土地の所有権を勝ち取った

このことが報道されると、この村を訪れる人々がいた。
アメリカ、ニューオーリンズでハリケーンの被害にあった被災者のグループだった。
ニューオーリンズの代表は、タイの村を視察し、復興のスピードの速さに驚いた。
そして、こう告げた。

「国に戻ったら、あなた方をお手本にして頑張りたい」

帰国した被災者たちは、復興に必要な事を住民同士で話し合うシステムを作り出した。
政府に頼らず自分たちの手で、地区ごとに委員会を作り、民主的に話し合うことを始めた。
そして、地域にとって一番いい方法を自分たちで決めて、いくつかの問題を解決していった。

クラインは、こう記している。

自力で復興を目指す人々は、
常にその場にあるものをーーー残った人手であれば誰でも、
壊れていなければどんな錆びついた機具でもーーー有効に使う。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」


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【考察】

▼逆ショック・ドクトリン

ナオミ・クラインのショック・ドクトリンは、財界とか勝者の側が今まで差し出してきた歴史とは違う。
弱者の、略奪された側からの視点のもう1つの歴史

スマトラ沖地震を見た時に、
民間が行こなった復興と、あるいは元々の人たちが行こなった復興、どちらがいいかという事よりも、復興のプロセスにこの人たちが参加したというのが、すごく大事だった。

そして、これは「逆ショック・ドクトリン」にもなっている。
ショックがあったからこそ、ニューオーリンズの人は、自分たちは貧しい地域で、政府がある程度助けるのは当たり前だと思っていたが、実は「そうじゃない」という確信が持てた。
これは日本にもヒントになると思う。
私たちは政府を信頼していたり、主要メディアを信頼しているけれど、おまかせじゃなくて、自分たちが作っていく主体なんだという意識、そういう意識が出てきた地域が巻き返しをしている。
それは、ショックがあったからこそ

知識ではなく知性

こうした住民による自力復興は、惨事便乗型資本主義複合体の精神(エトス)の対極にあるものだ。
後者はモデル国家を構築するために、常にまっさらな白紙状態を求める。
だが自力で復興を目指す人々は、
常にその場にあるものをーーー残った人手であれば誰でも、
壊れていなければどんな錆びついた機具でもーーー有効に使う。

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」

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【考察】

「今まであった過去からの良いものはちゃんと残して、もっと良いものに作り替えて、さらにアップデートしていこう」というのは、人間の知恵。
知識ではなく知性を使う。

ただ、ナオミ・クラインも言っているが、気をつけなきゃいけないことは、私たちはすぐ結果を求めたくなる時代にいるという事。
ショック・ドクトリンで使われやすいマーケットとして、「こっちが正義、こっちが悪」という二元論に持っていく報道やマーケティングをしがち。

「誰が一番悪者なんですか?誰が裏にいるんですか?」ということを聞いてくる人がよくいるが、そういう考え方をすると、取り込まれやすくなる。
正義と悪というのは、どの側から、どの時代から見るか…で変わる。
「ショック・ドクトリンの親玉は誰ですか?」という問いの答えは、フリードマンではない!
それは、欲望によって変わる。

犯人探しをしてしまうと、私たちは「分断」されてしまって、それこそ、広く深く見ることができなくなってしまう。
早く敵を特定したいと思ってしまうと、911後のアメリカのようになってしまう。

ーーーこの先、もっと深刻だなと思うのは、ネットニュースが自分の好みに応じて入ってくるっていう世の中になってしまっている。そういう世の中では、例えば自分が革新派だったら保守系のニュースは1つも入ってこない。
だから今後、よほど気をつけてないと、コントロールされやすくなっているし、分断もされやすくなっている。
自分が嫌だと思う意見を目にする機会も減ってくるから、心の底から「こういうショック・ドクトリンというやり方がありますよ」って思っていないといけない。
そして、「今自分は冷静ですか?何が正しいと思いますか?」という感覚を持っていないと、大きな波にさらわれてしまう…

真逆の考え方のニュースや本などを見ることも大事。
あいだを取って、話し合って、良い方法を考えていく。
…というのが、実は面倒臭いけれど、民主主義だと思う。
究極にいくと、民主主義も面倒臭くなる
トップダウンが楽になってくるので、そういう意味の脳トレをしていった方が良い。

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ショック・ドクトリン(終わり)


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