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湘南モデルについて(湘南ベルマーレの取り組み)

富士石さんの意見は十分に理解できます。
富士石さんの価値観を否定もしません。

ただ富士石さんの意見は宗教批判に近いと思います。
例えば、キリスト教徒がイスラム教の経典を批判しているようなことです。

何が言いたいかと言うと、それぞれに価値観があり、その価値観においては正解であっても、他の価値観においては不正解であるということがあります。

あまりご理解いただけていない方がいらっしゃいますが、サッカーにおいてもそれが言えますし、サッカーにも様々な価値観が存在します。

浮嶋監督だと正解だが、山口監督だと不正解。
浮嶋監督では不正解だが、山口監督だと正解。

そんな事象が多々あります。
富士石さんの意見は時々詭弁も含まれますが、このような価値観の相違による意見の違いが根底にあると考えています。

ですから、価値観が違うのに意見しているのは不毛だと申し上げているのです。あと、出来れば現在の湘南の価値観も知っていただきたいということもあります。特に富士石さんの意見に同調している方々に届けばいいなと思っております。

何故なら、監督やクラブの方針は選手の成長にかなりフォーカスをしており、監督やクラブへの批判は選手の成長を信じていないということに近いものとなってしまうからです。サポーターなのにそれは悲しいじゃないですか。この説明は後ほどするとして。

私も記者じゃないので十分解析できてはいませんが、ある程度その価値観が見えてきました。
そして、その価値観の一端に触れれば、ある程度歩み寄りは可能かと思います。

では、現在の湘南ベルマーレがどのような取り組み(価値観)をしているかですが、これを説明するためにスペインサッカーの潮流について話をさせてください。

スペインでは各クラブにメソッド部という研究機関のような部署があり、チーム戦術についての研究はしつくされたのだそうです。
そして、各クラブが今おこなっていることは個人(個人技術、個人戦術)にフォーカスをした取り組みです。

各クラブには”4局面とプレイエリア”に応じたシチュエーション毎のプレーモデルが存在し、それが評価軸となって個を育てるという取り組みをしているのだそうです。バルセロナでは500シチュエーションが存在しているのだとか。あるクラブを例に出すと、クラブとしてそのプレーモデルにコミットしているため、そのクラブは監督に重要度を置いておらず、フォーメーションも固定なのだそうです。

では、湘南ベルマーレにはそういったプレーモデルが存在するなのか。
私はあると考えており、フットボールライターの新垣さんの記事にもそのような事が書かれています。所謂、「湘南モデル」に関する記事です。

この記事ではフレームワークという単語を使用しているが、プレーモデルという言葉とほぼ同じと捉えて差し支えないでしょう。なぜなら、プレーモデルは分析のフレームワークとも言えるからです。

ピッチを4✕4の16分割した上で、そのエリア毎の4局面。優位性や時間経過など、様々なシチュエーションにどういったプレー(原則)が正しいのか。それを定義したものがあるのではないか。ということです。

この湘南モデルをクラブと監督が共有すると何が良いか。

様々ありますが具体例を挙げると、補強ポイントが明確になります。阿部選手と中野選手は湘南モデルにおいて必要なピースとなる選手だったと言えるかもしれません。残念ながら、湘南モデルの言質をクラブから取っていないので、断定はできませんが、もしあれば、明確な基準があるわけですから、監督とフロントが連動しやすいわけです。湘南サポーターの間には外国人ガチャという言葉が存在しますが、こういった現象が起こりづらくなる可能性があるということです。(あと、トレーニング内容も明確になります。)

そして、山口監督はその湘南モデルを持ちつつも、選手達の創造性を奪わないために、気付き系の指導をしていると推察しています。公開練習を見る限り、気付き系なのは間違いないかと。
原則を教えず、選手達にトレーニングによって気づいてもらう。オシムもベンゲルもホッフェンハイム時代のナーゲルスマンも恩師である西野監督も気付き系の指導をしていました。

では、湘南モデルにはどういった原則があるのか。
公開練習や試合を見る限り、山口監督の目指すサッカーは現在のバイエルンに近いのではないかというのが私の見解です。

原則1:最小限の幅
原則2:ウイングバックがゴール前で 「ジョーカー」になる
原則3:止めて蹴るの 「2タッチ」を心がける
原則4:シュタイル・クラッチュで奇襲する
原則5:狭いポジショナルプレー

5個ほど本に書かれている原則を挙げましたが、試合の選手達の選択を観ると、湘南にほぼ当てはまります。

で、富士石さんのツイートにもどりますが、
アンカーへの依存性の高さですよね。
依存性が高いのは客観的に見ても正しいと思います。

ただ攻撃面において、今後その依存性は低くなっていくと考えています。
何故なら湘南モデルでやりたいのは3人のゲームメイカーを後方に配置することだから。右CB(右HV)、アンカー、左CB(左HV)の三人です。
そして、鹿島戦では米本のプレーもかなり改善されています。(問題は相手がマンマーク気味に来た時の米本の振る舞いなのですが。。。)

エリートリーグの札幌戦で、こんなシーンがありました。
後半から出場した秋山虎之亮はアンカーとしての役割を与えられました。後半の札幌はフォーメーションを変えたこともあり、秋山はフリーの状態が多く、華麗にゲームメイクを行います。運ぶドリブルとボール裁き、縦パスは田中聡を彷彿とさせました。しかし、札幌側の選手達もまずいと感じ、ピッチ内外でコミュニケーションを行い、秋山にマンマークがつきます。
そうしたら、ボールを持った左CBの石井大生は自身へのプレッシャーが弱まったことを感じ取り、運ぶドリブルで前進。決定機につながるシーンに繋げました。

以前の湘南はボールを前進する時にアンカーへの依存度が非常に高く、対策されると前に運べない。そこからこういった変遷を辿ります。
調子が良かった時期の湘南は左からゲームが作れるようになっていました。
磐田と札幌では左サイドの杉岡を徹底的に対策され、前に運べません。
鹿島戦では、岡本の右サイドでボールを運べていました。アンカーの米本も良い縦パスを入れていました。(舘も割り切ってチャレンジしようという行動があったので、今後に期待しています。)

しかしながら、アンカーは非常に重要なポジションです。バイエルンにおいても、アンカーのキミッヒ(フォーメーションは4-4-2のときもあるが、ボール保持時に可変でキミッヒがアンカーの位置に入る)の出来が攻守において重要な役割を果たしていることは間違いありません。だから、自分達のサッカーを成り立たせる上で依存度の高いポジションが存在するのは、チームマネジメント上リスクが高いと言えるかもしれません。

ただアンカーを採用するのはメリットがあります。中盤の底に人数をかけないことで、前線に人数を増やす。二人のインテリオールが相手DFとMFの間に入り込み、そこに縦パスが入れば縦へ早い仕掛けができます。
湘南スタイルで大切にしていた、アグレッシブで縦に早く。これを現代サッカーにアレンジして湘南モデルに変貌させたと考えて良いと思います。

そして、フォーメーションの固定にも理由があると考えています。最初の方に申し上げたスペインのクラブの件です。すでにチーム戦術の議論はしつくされており、フォーメーションを含むチーム戦術をコロコロ変えたところですぐに対策されます。Jリーグのスカウティング能力は世界的にみても既に高いレベルにあります。ですから、そこにフォーカスするよりも個人戦術や個人技術にフォーカスしたほうが良いということです。ですから、湘南モデルという評価軸を持ちながら山口監督とクラブは選手の成長にフォーカスとコミットしているのではないかと思うわけです。

監督やクラブへの批判は選手の成長を信じていないということに近いものと思うのはこれが理由です。

磐田戦を見ても、チーム戦術変更などの手を打たないのはこの要素が強いかと思います。ただ、例外としてコロナだとか、ボロ負け試合で試合を壊さないための変更だとかはありましたが。

問題はアンカーのポジションの人材難に関してです。これについては議論余地があると思います。米本が出場不可の今、鈴木淳之介は果たしてリーグ戦で活躍できるほどのレベルであるかどうか。アンカーの代役は鈴木か舘か茨田か秋山か。永木を残したほうが良かったの議論よりも、アンカーを獲得した方が良かったのではないかという方がまだ建設的だと思います。

次節の川崎戦は、この湘南モデルの存在有無がはっきりするのではないかと思います。
もしこれでダブルボランチ(ドイスボランチ)を使用したら、今まで頑なに3-1-4-2を使用していたのは何だったんだろうと。永木を何故出してしまったのだろうと思うわけです。
だから、こうなったら私も富士石さんの意見を支持します。

あと、湘南モデルについての価値観についての議論(そもそも論)ですが、これも議論余地があると思います。だから、まずは湘南モデルとは何かをしっかりと解析した上での議論が大事かと。

コーランを知らずして、その議論はできないのですから。

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