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怒りの浜松市長「やらまいか!」

昔、浜松支局で仕事をしていたことがあるので、興味深い記事だ。静岡県には静岡大(本部・静岡市)と浜松医大(本部・浜松市)の二つの国立大学がある。2018年に2大学が話し合って「1法人2大学」でまとまりましょうという基本合意を締結した。一つの運営母体の下に二つの大学がぶら下がるイメージだ。

 ところが2020年に静岡大学長選があり、統合慎重/反対派の日詰一幸氏が当選。2021年に統合は「延期」になってしまう。で、前進しない統合に業を煮やした浜松市の鈴木康友市長が中心となり2023年2月、「期成同盟」をつくる。御殿場市や富士宮市など県東部も含め県内21市町(県全体は23市12町)のほか、有力メーカーなど県内財界からも賛同者を得たという。

 期成同盟の動きを見た静岡大の日詰学長は、①これは大学同士で決めることだ②「1法人1大学」も検討すべきだと思う、と発言した。

 ここまでの前段があって、2月27日の鈴木康友浜松市長の「学長失格」発言がなんとなくわかってくる(ような気がする)。

 さらに古い古い因縁が絡む。浜松市内に静岡大工学部がある。「1法人2大学」というのは、浜松にある浜松医大と静岡大工学部を一つの大学にしようという意味だ。この静岡大工学部は1919年創立の「官立浜松高等工業学校」が起源で、地元は用地獲得などに協力した歴史があるらしい。陸軍航空隊があり工業集積地でもあった浜松市と、県庁所在地で行政の中心地だった静岡市とはもともと色合いが異なり、遠州と駿河の昔まで遡らなくても、よそ者から見てもあまり仲がよくない。この官立学校の浜松市への誘致に県内から「西部偏重」の批判があったらしく、そのために旧制静岡高等学校(のちの静岡大)が1922年に静岡市に設置されたのだとの説もある。さらに昭和40年代に各都道府県に一つは医学部があるようにしようとなったとき、浜松市が用地を確保しカネも集めて政治運動を展開して国を篭絡し、あっというまに国立単科医科大ができてしまった。電光石火の早業である。県民の多くは「静岡大医学部」になるものだと思っていたらしい。

 こういう次第で静岡大工学部も浜松医大も、浜松市民から見れば「元からうちらの学校」なのであり、そもそも「静岡」大工学部という名前も面白くなかっただろう。テレビ受像機開発などの実績も多々ある地元の誇りである。

 だから「1法人2大学」となれば、浜松側にすれば浜松医大と旧浜松高専がめでたく一つの大学になる。他方、静岡からみれば、現状から工学部を浜松に持っていかれるだけ。しかもテキは工学部と医学部だ。でかいカネが動く。そもそも学部数が8になればAランクの総合大学になれるという見通しがあったればこその統合案だったのに、これじゃなんのための統合かという反対派の声が大きくなった。

 だから「やっぱり1法人1大学でもいいんじゃないの」という合意をひっくり返すような声が表に出てきた。浜松医大の今野弘之学長は2月23日、「正直大変驚き困惑しました。浜松医大としては当初から単純な大学統合は選択肢に全くないということを申し上げ、ご理解いただいていると思っていたから」と話したという。まあそうだろうな。もし「1大学」になると、浜松医大は「静岡大学医学部」になるかも。本部は静岡市になる。地方税収にも影響するのだろうか。ともかく浜松市としても容認できない。もはやまちのメンツの問題である。こういうのは浜松が強そうだな。

 地元はだれでも知っているが、浜松最大の政治フィクサーは昔からスズキ自動車の鈴木修氏である。「期成同盟に経済界も賛意」ということだが、修氏は93歳だがご存命で政治が大好きな人である。殊に地元浜松の名誉とかいう問題には至極敏感な人だった。修氏の号令一下、スズキ、ヤマハ、浜松ホトニクス、一条工務店、ハマキョウレックス、Roland……浜松の経済界は一致団結する。今もそうだと思う。康友市長のネジを巻いているに違いないと私は思う。その康友氏は現在4期目で4月の市長選には立候補しないと表明済み。それゆえ怖いものはなにもないというわけだな。

 県知事の川勝平太氏は2月16日の会見で、「今、日詰私案というのが出されて、従来の合意とは違う案ですね。ですから、それは合意した者としては、どうなっているんですか?というのは当然でしょう」と話したという。静観の構えだ。当然である。こんなややこしい問題に手を突っ込んでわざわざ火傷しにいくアホはいない。ではどうなるか。だれもしらない。

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