見出し画像

どっちが先に手を出した?

2023年11月5日付『毎日新聞』「時代の風 中西寛・京都大教授 イスラエル・ハマス戦争 世界を揺るがす衝撃」

 戦争報道は時々刻々と動くから当然、外部依頼原稿には新しいことは求められない。今起こっていることをどのように考えたらよいのか。その方面の専門家がどうみているのか、現象の捉え方のヒントを読者は探す。だがこの原稿は要するに「びっくりしました。これからどうなるのかわかりません」という驚きに過ぎない。とはいえ、それしか書きようがないのだろうなあとも思う。

 大好きで何度も読み返した小説に鈴木隆『けんかえれじい 12』(角川文庫、1998年)がある。鈴木清順監督、高橋英樹主演の有名な映画の原作。岡山の旧制中学生、南部麒六の物語。「喧嘩となると、奇妙に、先手を取るのが得意である」麒六と級友のけんかの仲裁に入った先生に「どっちが先に手を出した?」と聞かれると、相手は決まって「先生、そらあ南部君ですらあ」と答える。すると先生は「そうか。なら南部が悪い」とあっという間に裁定する。麒六には彼なりの理屈がある。「ほんでも先生……」は考慮されない。彼は「わしゃ満身創痍じゃあ」と叫ぶ。そして喧嘩の上手なすっぽん先生について喧嘩修行を重ねる。本当は心優しいキリスト教徒なのに、麒六はけんかがどんどん強くなる。やがて岡山にいられなくなり、引っ越した先の会津の中学でまた派手な喧嘩をしてしまう……。

 「時代の風」を読んで、なぜかこの「先に手を出した方が悪い」という素朴単純な田舎の先生の判定を思い出した。

 コラムの末尾に「ロシアのウクライナ侵攻は正邪がはっきりした戦争だった。対してパレスチナでは、地上で最も正邪のつけがたい紛争が大規模な暴力へと拡大している」とある。先に手を出したのはハマスだから、ハマスが悪い。ではなぜハマスは手を出したのか。ではなぜイスラエルは国連決議を無視し増殖し続けることが黙認されるのか。などと考え始めると、あっという間に数千年をさかのぼってしまう。「どっちが先に」は通用しない。そもそも原因をつくっておきながら口をつぐんでいるずるい連中がほかにいるのだ。だから『時代の風』は「正義という観点から見て対照的な二つの戦争を世界が経験しつつある状況は、現代の国際政治の複雑さを端的に物語っている」という、唖然とするほどつまらない終わり方をする。

 戦争を始めたのは誰か。考えると終わりがない。どっちが悪いではなく、これからどうすべきかを考えるしかない。どちらかがいなくなれば問題は最終解決するが、それは昔、ドイツでやろうとしてできなかった。戦争が続けば過激派は新たに生まれるから、殲滅はできないのだ。ならば共存するしかない。だが無理が通れば道理は引っ込むしかない。ネタニヤフとプーチンがいなくなれば世界は多少まともになるだろうか。これまた昔、「アメリカとソ連がなかったら、世界はどれほど平和であることか」というのを聞いたことがある。次々に新たなネタニヤフとプーチンが出てくるから、これもだめだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?