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自己紹介

注意:めちゃめちゃ長いの略歴はサムネを参照してください。

こんばんは、ご覧いただきありがとうございます。少し自己紹介を書いたほうがいいかなとおもってこのNoteを書いています。このNoteでは主に障害者雇用について書いています。

兵庫県神戸市出身
岡山理科大学理学部応用物理学科卒業
大学卒業後。ソフトハウスと呼ばれる主にメーカーから仕事を受託してソフトウェアを開発する仕事していました。やっていたのはIP電話(岩通)、無線LAN映像出力(コマツトライリンク)、携帯電話アプリ開発(東芝)、携帯電話キャリア交換機OS構築(NEC)、プロッター(富士ゼロックス)、Felica対応、なんかです。この時にうつ病を発症。トータル1年半休職して退職しました。

その後デイケアに通いながら独立行政法人の兵庫障害者職業センターに行きました。ここでは訓練内容で自分より年下の指導員の方と方針でもめにもめました(笑)二度といくかと当時は思っていました。この時に私の地域のハローワークの担当の方にはかなりお世話になりました。

センターを卒業したあと障害者トライアル雇用でB型作業所の職員として主に喫茶店のホールをやったり、お弁当を作ったりしていました。この時、この施設ではトライアル雇用をしていましたが、正規職員にする気がセンター長にはありませんでしたのでトライアル雇用期間満了を待たず辞めました。ここでもそれは制度の悪用ではないかとハローワークの方と大分話をしました。今思うと法律のハックをしているような形であってもハロワークがどうこうできるわけではなかったんだなと思います。

退職後、兵庫六甲農業協同組合の情報部署で働き始めました。やっていたのは危機管理、Excelで何か作ったり、Perlでシステムを作ったり、ヘルプデスクなんかをやってましたが、やらないといけないシステム開発と自分の体調とスケジュール、そもそも部署でシステムをまともに作れるのが私しかいなく、うつが酷くなってやめました。

その後、相談できるところが欲しいなと思って地域の就業・生活支援センターにお世話になるようになりました。

そのコネクションで兵庫労働局にチャレンジ雇用という形で働かせてもらいました。兵庫労働局では高齢・障害の部門に配属されたのですが、私が兵庫障害者職業センター卒業時にお世話になっていたハロワークの担当の方が労働局で障害者担当官になっていて思わぬ再会をはたしました。この時にやっていた仕事が障害者雇用統計資料の作成でした。ダブルチェック、トリプルチェックというレベルはなく、何度もA3びっしりに埋まったデータの間違えがないか確認をしていました。その後、Excelでちょっとしたシステムを作ったり、労働局、厚生労働省主催関連のセミナーの文字起こしをやってました。その関係で労働行政というのはえげつないほどのデータを分析し、予算を効率的に使うためにどういった最大公約数を出せばよいのか死ぬほど考えていることを知りました。今の障害者雇用のことを発信していることもこのことで学んだことが大きいです。

労働局で働いてたときに体調もよくなってきたころ、集団面接会で何社か受かりましたがP&Gに入社することに決めました。内定がでたときは、ちょうど就業時間中だったこともあり、労働局のほとんど会話したこともないような厚労省から出向しているえらい方にもおめでとうといっていただけました。ただ入社が5月からとなって、労働局との契約が3月末だったので、労働局のコネクションをフルにいかされ、空いた1か月間、兵庫障害者職業センターに通いなと入れていただきました。。。
行った1日目で当時の兵庫障害者職業センターのかなり偉い厚労省から来ている方に過去のトラブルについて謝罪をされました。私にとっては逆に針のむしろでした(笑)

P&Gではシェアードサービスセンターという部署の中で主に発注書を作る仕事をしていました。このときに契約社員を5年以上雇う際には無期雇用にしないといけない法律ができました。P&Gでは内部試験を合格すれば正社員にするように内部規定ができました。逆に言えば試験に落ちたら5年以内に切られるようになりました。私は発注書を作るチームのリーダーもしており、パフォーマンスとしても1,2を争うレベルでした。得意分野はR&Dチームの発注書をまとめることで多くのことを学べました。ですが契約解除がきまったときに私は労働局に相談にいきました。労働争議を起こすか起こさないかまで真剣に考えました。かなり差別的で高圧的に書類にサインするよう求められました。その会議は議事録をとられていましたが、私にはシェアされませんでしたし、録音も禁止されました。当時のHRの担当者、マネージャーを私は今でも恨んでいます。もし、当時のマネージャーがやめてなければ今でもP&Gの日本のHRカントリーマネージャーじゃないかと思います。彼がマネージャーになったとき、喫煙所にいたP&Gの誰もが最悪だといっていました。理由は簡単で彼の得意としていたのが首切りだったからです。ちょうど日本がアジアヘッドクォーターでなくなった時でもあったのに日本はほんと終わりだと言っていた人もいました。彼は同期100人の中からの最後の生存者でした。この時にラストマンスタンディングの体現者だと思ったことを強く記憶しています。

その後私は法律も変わったところだし正社員にしてくれる仕事が良いと考えていました。当時お世話になったハローワークの担当者の方が労働局で一緒に働いていた方だったので話がスムーズで人数は少ないけど、かなりの大手のベンチャー会社を紹介していただきました。そこの会社は全社員、最初は契約社員から初めて半年たてば自動的に社員にするという会社でした。

しかし、そのベンチャーの会社の文化が私と全然あわないのと、私に難の仕事をさせるかについて決まっていなかったのと、決算時期というかなり忙しい時に入社したのもあって1か月くらいですぐに休職してしまいました。私の主張が悪かったのもあって、企業より私の言い分のほうが子供じみていて説得力がなく、ハローワークや支援センターの心情を最悪にしてしまったと私個人は感じてしまいました。

その後、私はどうしたものかと考えて正社員は難しいかもしれないからと思いつつ、支援センターも失ったと感じていて私は就労移行支援かA型の作業所に行こうと考えていました。いくつか就労移行支援施設をめぐりましたが、労働局で実際の障害者雇用の現場、企業の方の話などの情報を浴びまくっていたせいで、就労移行支援の方のリテラシーの低さが気になりました。今思うとかなり生意気だったと思います。なのでA型作業所にいくことにしました。

たまたますぐ入れるA型作業所が見つかった私は、ITスキルが学べるとうたっているA型作業所にいくようになりました。そこの同僚、上司との人間関係は良好だったので、もうちょっと給料よければいいのになくらいの感じでしたが、えげつないくらいパワハラに罵倒したおす社長だったのでここにいたらヤバイ、逃げないと思い必死で就職先を探しました。

それで私の今までの就業経験と勘でこの会社は誰でも取りそうだと思われる会社を見つけ入りました。そこはヒューマンリソシアです。上司や社員と野中も良好で、当時は正社員になった人はいませんでしたが無期雇用でずっと働ける会社で悪くないなと思っていました。しかし、会社の常なのですが話がわかる上司や社員の方が定年や移動でいなくなってしまいました。その当時私は契約書のスキャンや名前付けなどの主に契約書に関連する仕事をしていました。そこで変わりに東京からやってきた社員が最悪でした。会社として障害者をいっぱい雇わなければいけない(派遣会社は派遣させている方も社員としてカウントされる)ので新しい試みとして受託の仕事を障害者にやらせてみるというものでした。その担当上司が東京から来た最悪の人でした。私はいきなり呼ばれ、新しい受託の仕事はこの中にいる優秀な人間だけを集める。そのメンバーに選ばれたことを光栄に思うがいいといわれました。私はすぐに当時の上司だった社員の方に辞退させてください。無理です。あの人と一緒に仕事をするの精神的に無理ですと訴えました。ですがその方からホームページの改良などシステムに詳しい人じゃないとこの仕事は無理だ。というよりお前ありきで受けてきた仕事だからあきらめろと言われました。その嫌な東京から来た上司が来る前までの1年半で私は障害者メンバーの中では最高の時給になっていました。そこから三年間最悪な時間を過ごしました。あらゆるトラブル解決をし、交渉をまとめ、仕事のマネージメントからマニュアルの作成、実際の仕事の割り振りまでやっていました。ですが時給は一円も上がりませんでした。東京から来た上司の上の方と何度も話し合いました。その時に痛感しました。仕事は何をやるかより誰と働くかのほうが重要だと。私は会社と徹底的に戦うことにしました。私自身がマッチョな思考なのもあって、指導する障害者にはもっと仕事で成果をだせ、結果がすべてだといい、上司や会社にはもっと障害者の地位を向上させろ。法律に適応させて福利厚生を正社員と同等にしろと訴えました。障害者の労働組合にも入り、そこから会社と話をしてもらう段取りも付けました。そして私自身もDAOに興味があってLinkedinからしか応募できない仕事があったのでLinkedinを始めました。ハローワーク、リクナビ、en、グローバー、atGP、kaienのマイナーリーグ、リクルートエージェント、すべてに手を出しました。LinkedinでAmazonが募集していたのでとりあえず受けてみるかで応募しました。

Linkedinにちゃんと情報を入力してなかったのでAmazonからメールが来ました。情報がちゃんとそろってないので履歴書などをシステム経由で送ってほしいと来ました。まさかAmazonからコンタクトが来ると思ってなかった私はあわてて資料を作成して送りました。そうすると、今度は今回英語を使う仕事ですが留学経験など英語を使用したことはありますかとメールが来ました。私は正直に英会話はできませんが、資格としては英検準2級はとっておりますが、2級は面接で落ちました。留学経験はないですがP&Gで英語のメールやチャットでの受け答えは4年半していました。と返信しました。すると面接に進みますので希望日を送ってくださいと来ました。

Amazonの面接はめちゃくちゃ丁寧でした。AmazonにはOLPというのがあるのですがリンクを張っておきます。
https://www.amazon.co.jp/b?ie=UTF8&node=4967768051

面接ではこれを実践できる人をみたいので具体的に回答を考えてください。面接はSTARに沿って行います。STAR面接についてはこちらのリンクを参照してください。とメールがきました。びっくりしました。面接で何を重視しているのか、何を聞くのか全部書いてありました。私は自分の中でSTARに沿った回答ができているのか想定問答集を自分でつくり、考え、推敲しました。面接はオンラインでAmazon Chimeというツールで行われました。

私は面接でSTARに沿って用意していた回答をこたえました。突っ込んだことも聞かれましたが面接の方は圧迫的な質問はなにもしてこず、本当にこれで大丈夫なのかと思いました。Excelで実際にする業務のようなものも行いました。めちゃくちゃ丁寧な会社だと思いました。

そして、なぜか正社員として雇用されました。しかもいきなり電話でおめでとうございます的な感じではなく、メールでおめでとうございます。内々定を出したいと思いますのでいつお電話したらよいか返信をくださいときました。面接から1週間くらいたって、そろそろ、こちらから聞こうかどうしようかと思うタイミングで少し選考に時間がかかって申し訳ありませんといった内容の丁寧なメールも頂きましたが、そのメールが来た翌日くらいに内々定の連絡がきました。内々定というのはAmazonではバックグラウンドチェックというのを行っていて、私が反社会組織のメンバーだったり、テロ組織とつながりや関係があれば落とされるからです。神戸にすんでいますが、別にやくざがやってる飲み屋と深いつながりがあるわけでもないし、外国人の知り合いがSNSなんかでつながっているけどテロメンバーとは知り合いいなかったので大丈夫でした。

そして、現在、Amazonで正社員として日々研鑽しています。障害特性に合わせた配慮もしてくれます。何より私がヒューマンリソシアの時に死ぬほど望んでいたフルフラットの評価方式があります。要求レベルはものすごく高いです。ですがそれをクリアしたら障害者もそうでない人も一律平等に扱われます。そしてものすごくデジタルです。あなたのやっている仕事の件数が何件で、その正答率が97%だから基準をクリアしていますのような形です。労働時間についても9時間の拘束時間のうち1時間半は休憩につかってよくて、残りの7時間半のうち6時間半は仕事に充ててくださいのような形です。私はスマートウォッチやアプリで自分のデータを取って分析するような人間なのでものすごくあっています。ただ、要求水準はものすごく高いのでそれに見合うパフォーマンスを出し続けられるのかは私でもわかりません。そこに疲れてまたうつが酷くなってしまうことがあるかもしれません。ですが私は本当に今、望んでいたような会社で働けているのでとても幸せです。


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