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慌ただしい転職の末、帯状疱疹になりました

今年2月に帯状疱疹、発症。
自分でも予想外。このご時世で免疫力が低下しているということは、
あらゆるリスクにさらされる前提であること、少し、いや、
かなり恐ろしい。

思い起こせば2020年の4月から育休を明けて復帰しようと思いながらも、
コロナ禍で自分の希望する時間帯で働ける出向先がない、とかで保留状態。私はSIer(協力会社に出向して勤務するITエンジニア)として働いていたため、あの時の世の混乱で、のこのこ復職することもできず。自分の力量もわかっているけど、残念ながらコロナ禍の会社の進め方に対して少し不信感も湧いてきていました。

この先のことを会社頼みにしてもいいものか?
あの時の自分は子どもを保育園に通わせ続けたい気持ちと、このまま会社に自分の未来を任せていては危険な気がして、思い切って辞めることにしました。

会社を辞めてから復職するまで、3ヶ月の猶予があり、それまでに仕事を始めれば保育園を継続できる仕組み。有給などを使い、5月で退職。6月から本格的に職探し。
なんだか知らないが、とにかくいろんなところに、しかも「派遣」ばかりに登録してしまい、やたら求人は多いものの、自分の時短希望や駅チカ条件を探すも、元の職種ではなかなか見つからず。完全に転職の失敗組。

求人の記事を見るのも嫌になりかけていた時に、これまでやったことのない(というよりは避けていた)職種を選択。子育て中のママも多数ということで応募しました。

なんとか8月には採用が決まり、9月から勤務。新しい生活が始まりました。

が、これがまたかなりの時間的拘束が強いもので、
週末の休み明けは何が何でも出勤!という事態。
朝は職場に8時半にはいないとで、前職と比べると早すぎる・・・
おそらく子どもがいなかったら、わりと容易いミッションなはずなのだが、子どもは予定問わず発熱するし、夫もつられて風邪引いて発熱するし、
当時はコロナじゃないかと心配するも、なんとか乗り切るが職場には休みを伝えると胃がキリキリしたし。
自分ではどうしようもないことが起こって、結果休まざるを得ない。
いくら子育てに理解がある勤務先でも、不在で困るとザクッと刺してくる。

このころの食事をどう用意していたか自分でもよく覚えていなし、
ジャンクフードを幼子に食べさせていたことも否めません。

私はとにかく派遣先と勤務先の両者に迷惑をかけてはいけないという一心で、なんとかやっていた、が実際は本当に大変だったんだろう、体と精神が、どんどんかけ離れていたのかもしれない。
しかしながら、自分としてはそんなことに気を留めることなく、ビジネス系の動画を観たり、見逃したドラマを観たり、夜な夜な「自分時間」と称して睡眠時間を削っていった。午前2時に寝る毎日。

数ヶ月してやはり自分には合わない仕事に感じていたが、保育園の素晴らしい環境にいさせてあげたい親のエゴが出てきて、派遣先にも特に何も言わず(実際なんの問題もなく仕事はこなしていた)、淡々と日々を過ごした。その仕事は家に持ち帰って勉強できるものでもなく、その場にいないと成立しない特殊なもので、正直あの短時間で身につけるにはしんどい。

そうして自分は自分の体の悲鳴に耳を塞いで生活していたに違いありません。
事は無理して過ごした日々の終わりに始まりました。
退職してから間髪入れずに出てきた帯状疱疹・右のおでこにブツブツ、右目に変な充血、右側の頭痛、右側の肋間神経痛。

この病気を発症していることにも1週間ほど気づけなかった。というかそれぞれ別の症状だと思い、追々病院かなと呑気にかまえていましたね。

薬もしっかり飲んだけど、肝心の「安静にする」ことができなかったため、その後一ヶ月後遺症になり、その時目も危うく悪くするところ(虹彩に少し病気が。。。。)だったけど、なんとか危機は脱したものの調子は上がらない。しかもコンタクトレンズが付けられず、毎日眼鏡生活。

この帯状疱疹で一度やられた右目は(なぜか左目も)いまだに目ヤニと充血を繰り返し、何やらアレルギー症状を出して止まりません。目薬をつけない時間が経つと、目ヤニ、充血が出てきます。そして大嫌いな眼鏡をかけて、目が実際よりも小さく見えて貧相な自分を呪います。
最近まで通っていた眼科から、もううちではお手上げ、と告げられます。
根本のアレルギー症状を出している治療をしてみては、と。

もう9月、今年ってまだあるんですね。この文章も長いな。。まだ闘っているのかな私の体、健康になりたい、いや、なるのだ。



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