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下手したら死ぬまでモラトリアムかもしれない

高校の時、国語の先生が授業で頻りに「自分探しという言葉が俺は嫌いです」と言っていた。探すも何も自分はここに居て、今存在している自分以外自分ではあり得ないから、という事らしい。何だか哲学のようではあるが。

例えば「自分探しの旅」というのは、人生に迷うなどした人が己を見詰め直し今後の生き方について考える時間を指して使われる表現ではあるが、成程確かにそれならば「自分を見詰める旅」とかで良い気はする。「自分探し」と言うと自らの名前も素性も何もかも記憶を失くしてしまった人がそれらを探し求めるという方が本来の言葉通りの意味としては正しい気はする。
何となくかっこいいし雰囲気が出るから、というだけの理由で流布した表現のようにも思われる。(まあ本当に言っている人は身近では見た事は無いけれども)
「自分探し」というのは実際のところは、“自分はこういう人間だから仕方ない”と今の自分を受け入れ飲み込むか、“今の自分のここが不満だからこんな風に変わりたい”と未来の自分の目標を設定するか、ざっくり言うとそのどちらか、もしくは落とし所を見付ける作業なのではないだろうか。
そうなると、「なりたい自分探し」と言えばまだ言葉の意味は通るのかもしれない。

「なりたい自分」になるのに、外面的なところ―容姿やファッションから変えるのは比較的手っ取り早い。……痩せるのは難しいけど…。

(※ここから私のぐじぐじとめんどくさい過去の話)

私は高校までは地味だった。特に中学生の頃などスカートは一歩間違えばスケバンくらいの丈の長さ、髪はいつでも低い位置で1つしばり。
高校はいわゆる進学校で服装に関しては割とゆるかった。ビビって膝下丈のスカート、白いソックスで行った入学式で、周りの子達のスカートの短さとオシャレな紺や黒のハイソックスに慄いた。慌てて膝にかかる程度の丈にしたものの、眉を整え始めたくらいで学校にメイクをして行った事は無かったし、地味なのは変わらなかった。
見た目が急激に変化したのは大学に入ってから。まあ分かりやすい大学デビューである。軽音楽サークルに入った事と、上京して好きなバンドのライブに好きなだけ行けるようになった事が大きい。
人生で初めての染髪を赤色っぽい茶色にした事を皮切りに、黒い服や髑髏柄を好んで身に着けるようになり、高校卒業時に3つ開けたピアスは直ぐに7つに増え、メイクは濃くなった。髪の色はどんどん派手になった。
私は可愛いモテる女子大生になる事には興味が無く、とにかくかっこよくなりたかった。男の人よりもかっこよくなりたかった。
見た目は手を加えさえすればいくらでも変わる。鏡の中の自分の変貌に私は酔っていた。そしてまた、 かつて地味だった自分がそういう格好をしている事や、学歴的には良いとされる大学に通っている自分がそうしている事自体に、酔っていた。

しかし内面は外面ほど簡単には変わらない。
人によってはメイクやファッションが1つの“スイッチ”となって自信を与えてくれたりするのかもしれないが、私の場合そうでもなかった。
人見知りなのも小心者なのも上がり症なのも、何も変わらなかった。(勿論その努力が足りなかった訳であるのだが)
軽音楽サークルで私はボーカルをしていたのだが、その派手な成りで歌う時の棒立ちっぷりと言ったら無かった。音が鳴ったら自然と身体が動く、なんてかっこいい事を言ってみたかった。私の頭の中はいつも、歌詞を忘れない事や歌いながらどう振る舞うべきかでいっぱいだったし、特にシャウトしなくてはいけない場面など少し前からめちゃくちゃに緊張して身構えていた。全然ロックじゃない。
流石に4年もやっていれば終盤はまだマシだったようにも思うが、卒業後趣味でバンドをやっていた時も本質的には何も変わっていなかったように思う。

そして急に話が飛ぶが、私は就活に大敗した。派手にしていた髪を黒く染めて自分なりにはやったつもりだったが、周りの友達がみんなやり遂げた“大学を出て社会人になる”というコースを私だけが辿れなかった。
他にやりたい道を見付けてそっちに本腰を入れるために大学を中退したとか、割り切ってフリーターになったとかならまだかっこよかったのだろうけど、何者にもなれず半ばお情けで大学を卒業させて貰った私は実家に帰った。

ダサい。
圧倒的に、ダサい。
そして、滅茶苦茶な親不孝者。

大学生が自由を謳歌して派手にしたり遊んだりというのは、本来は最終的にきちんとした大人になるから許される事なのである。
一緒にバンドをしていた友達が内定を決めて、それまで一度も染めた事の無かった髪を少し明るめの綺麗な茶色にしていたのが私には酷く眩しくて、そして自分が痛々しかった。

私は大学の単位こそ割と真面目に取ってはいたが、目先のお手軽な「なりたい自分」になる事に夢中で、少し先の「なりたい自分」、もっと言えば「なるべき自分」を見据える事が余りにも足りなかった。
大学卒業前後の事は人に言えない程色々と酷い事もあるし、親にも周りの人にも多大な迷惑を掛けた。卒業後はそれまでろくに利用した事も無い○ちゃんねるの「大卒ニート、フリーターは○ね」というスレをわざわざ覗いて自分の傷を無駄に抉ったりしながら過ごしていた。

その後何やかんやあって、縁あって結婚してまた東京に暮らす事になった。
ある時読んだ唯川恵さんの小説に出て来た表現に、私は衝撃を受けた。

“結婚という免罪符”

その登場人物と自分の境遇はまるで違っていたが、私はこれは自分の事だ、と思った。
就職に失敗し、物凄い親不孝をした自分にとって結婚は唯一出来る親孝行だったし(勿論結婚が親孝行というのは随分と自分に都合が良いし、その価値観が絶対だとは思ってはいないけれども)卒業後も結婚後もアルバイトやパートで働いてはいたものの、何者にもなれなかった自分には“妻”という肩書きだけが、揺るがないものだった。こんなにもぴたりと自分の心情を表す言葉があるとは、と私は震えた。
そして子供を産んで、私には母という肩書も加わった。当然旦那とは好きで付き合って結婚したのだし、子育ては未知過ぎて大変だが子供は信じられないくらい可愛い。
自分がしでかした様々な事の罪深さを思えば(法に触れたりはしていないけども)本当に恵まれているし幸せだと思う。
ただ、この歳(想像にお任せします)にもなっていつまでモラトリアムなんだと思われるだろうけど、私は未だに「なりたい自分」を探しているのだと思う。そんな悠長な事を言っていたらあっという間に一生終わっちまうぞ、という感じではあるが、生涯で1つくらいは“これがなりたかった自分だ”と言える事を何かしたいなあと思う。小さな事でもいいから。

ちなみに見た目の「なりたい自分」に関しては今も割と好き勝手やっている。大学を出てしばらくはこのままずっと喪に服しているかのような地味な出で立ちで生きていかなければいけないくらいの気持ちでいたが、元来自分に甘いので時間と共にまあいいか、という気になっていった。
私の人生は中々にクズだと思うし散々色んな人に許されて来た癖に、この上まだ自分くらいは自分を許してあげてもいいのではないか、などと思っている。
甘い、本当に、甘い。

自業自得だがこの大学卒業前後の正に「黒歴史」は死ぬまで引き摺って後悔するだろう。のうのうと生きているが、今でも思い出さない日の方が多分少ない。
結婚前の旦那に、「自分が如何に駄目かを他者につらつらと語って理解して貰おうとするのは無理があるし自己満足だ」という旨の事を言われた事がある。本当にその通りだと思う。
変えられもしない過去の事をウジウジと語って、忘れられないからと言ってそれを誰かに聞いて貰って懺悔したような気になるのは本当に自分勝手で重たい行為だと頭では理解している。
忘れられない事を吐き出してほんの少しでも自分が軽くなりたいという、押し付けがましい自慰行為だと思う。なのでもし最後まで、いや途中まででもこのクソみたいな話を読んでくれた方がいたら、心からありがとうございます。そしてすみません。

圧倒的に駄目な現状を飲み込んで来た事の方が多い人生ではあるけれど、せめて少しでも上書き出来るような事をしていきたい。
………出来る範囲で。(自分に甘いので…)

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