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辛いけど、ペットを看取る大切さ

人間は「死」を理解する事ができるけど、犬や猫は人間程は理解できないと思います。既婚者などであれば「夫(妻)より先に旅立ちたい」という冗談とも本音ともつかない話がでますね。

また、看取るのが辛い(辛かった)からペットと暮らさないという方もいる位、看取るという事は大きな出来事となります。


だっこでお散歩 既に5kgで重い

人間同士だとゆりかご~墓場まではみれない

人間はおよそ80年生きるとされています。赤ちゃんから老人までずっと一緒に過ごせる人は存在しないのです。生まれた時点で母親は20歳位になっているので、子供側から親が成長してきた様子を体験する事はできません。祖父母から聞くことしかできないのです。
人間に関わらず、同種で寿命が倍違うという事も無いでしょうし、他種と家族の様に暮らすという事が無いのです。

手塩にかけた愛犬

親の看取りよりペットの看取りが辛いと思うのは

やはり手塩にかけてお世話してきて、かけがえのない存在になった後で自分より先に旅立ってしまうからではないでしょうか?

ペットと暮らす以外では経験できない事ではあります。親を看取る事で失う悲しみやさみしさはありますが、手塩にかけられてきた側の事が多く、未熟な時から愛情を注いで来た存在が無くなるのとは感覚が違うのではないでしょうか?

犬は「居ない」のを認識できても「死」を認識できない

先日、夫が用事で外泊する事がありました。キルシェにとって夫が夜居ないお留守番は初めてです。実家に帰省する時や、冠婚葬祭時にはペットホテルに預けてたので、キルシェも夜は別の場所で過ごしていました。

夫が遊びに行ってても、夜になれば帰ってくるのですが、この日は帰ってきません。
待ちくたびれて寝るのですが、朝起きて夫のベッドを見て「あれ?」という顔をしていました。戻ってきてるかも?と思ったのか、帰ってきてない事を忘れてるのか?

いつものルーチンで、朝早く起こしてくるキルシェと一緒に私はリビングで2度寝をします。そして2度目の起床時に夫を起こします。起きて使ってたタオルケットを片付けるため寝室に行くと、キルシェはいつものルーチンで夫の寝てた場所に向かいます。また「あれ?なんで居ないの?」とアイコンタクトを私に送るのです。

「そうだった昨日から居ないんだった」

とはならないのです。
その後、散歩から帰宅をすれば、寝室に向かいまた「あれ?」ご飯を食べて褒めてもらう為に寝室に向かい「あれ?」

そうなんです。朝、夫が体調が悪く寝てる時は、その度にキルシェは寝室の夫に報告に向ってたのです。ちなみに同居してる猫は夫が居ない事に気づいてはいるものの、探してる様子はありません。

これは私が看取る側でなければ

たまたま1泊空けただけでこんな状態。月日がたてば頻度は下がるのでしょうけど、犬が理解できる事は無いでしょう。飼い主からすれば、犬が衰え虹の橋を渡るのを見るのは辛いでしょう。急な病気で想像よりはるかに早くお迎えが来ると、とても心の準備ができるとは思いません。でも、私が辛くても見送られるペットは最後まで飼い主さんと一緒に居られる訳です。

辛い看取りをしてもまた暮らすと思う

おそらく金銭的、体力的に可能な限り私はペットと暮らす人生を歩むのだろうと思います。旅行も行けんし、登山だって行きづらい。災害時の対策はしっかり考えなければいけません。大型犬と暮らす私は避難所に行かずとも生活できるようなシステムを考える必要があります。それでもきっとペットと暮らしていくと思います。

 それはペットと暮らす日々がかけがえのない日だからです。朝、キルシェが乱暴に起こしに来てくれるのですが、小突かれながら起きてるのに、こんなに機嫌良く朝を迎えれるなんて。毎日起こしに来てくれるなんてなんて律儀なんだろう。そして私が起床する事を楽しみにしてくれてる・・・。生涯を誓った伴侶でも私が毎朝起床する事をあんなに喜んではくれません。 
 毎日の散歩に行くことで季節の移り変わりを楽しめるようになりました。夫婦でそろってでないと、散歩全然行ってくれないので、自然と「今年は桜が早い」だの、「もうすぐあの花が咲く頃だ」など、そばから見れば老人みたいな会話かもしれませんが、共に暮らすを謳歌しています

へそを曲げてたてこもり中


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