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【未公開インタビュー】骨法 堀辺正史創始師範

1995年に週刊新潮でコメントをいただいたとき、1時間ぐらいお話を伺いました。フルで公開するのはこれが初めてです。いろいろな疑問に答えていただきました。1万字インタビュー!


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●『喧嘩芸骨法』が『日本武道伝骨法』に名前を変えましたが、それはいつのことですか?また何故ですか?

名前を変えたのは一昨年、後楽園ホールで『第1回骨法の祭典』を行った頃です。それまでの私は武道とは実用一辺倒であるべきだと考えていた。それがすなわち『喧嘩芸』だった訳です。しかし、単に相手をやっつけてしまえば良いというのではいけない、と考えるようになったのです。武道には実用性は当然必要ですが、それに加えて美しさがなければならない。また、人間の道に即したものでなければならない。そうして私は名称を『日本武道伝骨法』に変え、今言った「実用性」「美しさ」「人間の道」の3つを一言で表現した『用美道』というコンセプトを打ち出したのです。嘉納治五郎先生が『柔術』を『柔道』に変えたのとなぞらえてもらえれば分かりやすいと思います。ただ、嘉納先生の場合の『道』は人間としての道もいくぶんかはあると思いますが、どちらかと言えば学校で教える『教育』としての意味合いが強かったと思いますね。

●全日本骨法家『連盟』とありますが、他に道場はあるのですか?

いや、将来的に道場を増やすこともあろうかと思って、今のうちに連盟としておいたのです。

●『連盟』としての活動内容は?

年1回行う『骨法の祭典』と先日渋谷BEAM HALLで行ったイベントなどの企画・運営などが中心です。

●先生は『古流骨法』の一子相伝の伝承者とのことですが?

ええ。『古流骨法』は奈良時代から伝わっていると言われていますが、それは文書に残っている訳ではない。資料としてあるのは平安時代に『中右記』の中で骨法が相撲と対比するかたちで記載されています。
堀辺家が骨法の司家になったのは戦国時代末期からではないかと考えられています。しかし『司家』という表現は奈良時代のものですから、奈良時代から何かしら骨法に関わる一族だったのは確かでしょうね。
もちろん当時の文献があるわけではないので絶対それが本当かと言われれば分からないとしか答えられませんが、じゃあ「裏千家」の家元だって一体いつからあったのか、なんて言ったら分からない訳でしょう。だから証拠はないから嘘だ、ということではないと思います。
『一子相伝』という言い方が誤解されやすいのは、親が一人にだけ教える訳ではないということです。一族の人はみんなやるんですよ。その中で後継者にふさわしい一人にだけ最高の奥義を授け、権限を与える、という意味なんです。

●お父様は東条英機のボディガードだったそうですが、先生が子供の頃はお父様の職業は何だと思ってらしたのですか?

子供だったからよく分からなかったですね。でも表向きの仕事としては特高警察に務めていたようです。それで終戦の頃には警部ぐらいになっていたようです。
父は東京と茨城を行ったりきたりしていて、1年ぐらい帰ってこない時もあれば、半年ぐらいずっと家にいる時もありましたね。だから私は子供の頃は父の仕事を知りませんでしたし、終戦直後だと東条内閣といったら悪人扱いでしたから、家でもあまり話題に出ませんでした。

●お父様は終戦時に戦犯にはならなかったのですか?

いや、なりませんでした。

●今でもお父様はお元気なのですか?

ええ、今でも元気ですよ。若いうちに身体を鍛えていたのが良かったんでしょうね。私より身体も大きいし。

●それで先生が9歳の頃お父様に呼ばれて、実は先生が後継者だと言われたそうですが、その時の気持ちはどうでしたか?

いや、面倒だな...と。確かに驚きはしましたが、それまでの家風が何となくそういう雰囲気がありましたので、それほど天地がひっくり返るほどは驚きませんでしたね。父は毎朝起きると教育勅語を読んでましたし。それでああ、そういうものかな、と思って、中学の頃までは基本を学びました。

●先生が伝承者である古流骨法と現在の『日本武道伝骨法』は違うものだと聞きましたが?

ええ。全然違います。中学ぐらいになると生意気になって、ケンカなんかもするようになりましたから、いろんな格闘技でケンカに使える部分をミックスしていったんです。名前こそ『骨法』に愛着があるのでそのままですが、内容的には古流骨法は現在の骨法の一要素に過ぎません。つまりラーメンを食べたりフランス料理を食べたり、人間はいろんな栄養をとらねばなりません。それで私はボクシングをやってみたり、空手をやってみたりして消化吸収することによって、自分の技術を高めていったのです。

●そうなると先生は古流骨法の伝承者としての立場は放棄してしまったのですか?

私が思うに伝承者の役目とは巻き物に書いてあることをそのまま丸暗記するだけではなく、それを現代に合ったものにして、高めていくことだと思うんです。だからおそらく祖父から父に伝わった骨法と父が私に教えた骨法もかなり違っていると思います。骨法は伝統芸能ではなくて、戦う技術なのですからね。

●かつて先生は『浴びせ蹴り』『鬼殺し』『通し』などのかなり視覚的に派手な技をプロレスラーに伝授していましたよね。あれは古流の骨法の技なのですか?それとも先生のオリジナル?

あの技は古流の伝統骨法にもありましたが、私が改良したものです。ただあの技はいつでも使える技ではない。たとえば浴びせ蹴りは長期戦になって相手が消耗した場合の技です。いつ使っても決まる技じゃありません。でも一発決まれば相手をKO出来る技です。『通し』の場合は『用美道』の『用』のみの部類に入る技ですよね。『通し』で内臓が破裂してしまう。『用』の部分では相手を倒せるけど、美しくもないし、人の道から外れます。

●話は戻りますが、伝承者に任命されてからもかなりケンカなどをされていたそうですが?

ああ、父は絶対反対でしたね。ただ父の生き方と自分の生き方は違いましたから。父は天皇制国家の中で官僚として一歩一歩位が上がっていくたびに天皇陛下のそばに近づける、そんなことに使命感をおいている人間ですから。だから私みたいに無頼漢と戦うなどとんでもない親不孝だと思っていたみたいです。

●その親不孝のひとつだと思うのですが、先生が中学生の頃寝ていると枕元にヤクザが日本刀を持って切りかかろうとしていたというエピソードを読んだのですが...。



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