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柔道の段証書の読み方

免状について調べていた際に、柔道の段証書の文面を見かけました。昇段する際に受け取る証書は、段位によってその文面が異なります。意味についての解説はありましたが、読み方(読み上げ方)についての詳細はどこにもなさそうなのでここの載せておくことにしました。
……と、気軽に書き始めたこの記事ですが、調べてみると沼が深いことがわかりました。この記事は、あくまでそう読んでいた可能性が高い読み方を淡々と示すものです。過度な期待はしないでください。


段証書の意味

段証書の意味については、講道館館長の上村春樹先生が2016年の年頭所感で解説しています。簡潔ならがらこれ以上はない説明ですので、次に引用しておきます。

(前略)修行の年限によって目標として期すべきものを先達から師範へと高めています。
 初段から三段は「柔道の修行に努力し進歩したので、今後ますます技を磨いて下さい」、四、五段では「長きにわたって柔道の修行に励み、技が精熟しました。今後ますます技を磨き、先に立って後進を導く人になって下さい」、六段以上では「長きにわたって柔道の修行に励み、技が熟達しました。将来修行者の模範となって下さい」と示されたもので、今後とも段の持つ意味、証書の意味を再認識して更なる修行に取り組んで行かなければならないと、気持ちを新たにするところです。

 今月のことば「年頭所感」 2016年1月号、上村春樹、講道館


段証書の読み方

それでは段証書の読み方です。段証書の文面は段位ごとに異なり、(1)初段、二段、三段、(2)四段、五段、(3)六段以上の3種類に分かれています。それぞれの段証書の文面とその読み方を次に示します。

(1)初段、二段、三段の、二段、三段の段証書

日本傳講道館柔道ノ修行ニ精力ヲ盡シ大ニ其ノ進歩ヲ見タリ 依テ初段ニ列ス 向後益々研磨可有之者也

初段の段証明書の文面(段位以外は二段、三段も同様)

【初段の証書の読み方】
日本伝(でん)講道館柔道の修行に精力をつくし、おおいにその進歩を見たり。よって初段に列(れっ)す。向後(こうご)、ますます研磨あるべきのものなり。
※二段、三段の証書では「初段」の部分がそれぞれの段位に変わります。

【読み方のポイント】

研磨可有之者也

この部分が、漢文読みになっています。
」は返り読みして「べき」とよみ、全体で「研磨あるべきの者なり」となります。「之」はここでは「の」と読みます。なぜこう読むかは、作成者である嘉納治五郎先生が受けた起倒流の免状を見るとわかります。この免状の文面に「向後指南可有之者也」とありますが、この「之」が小さく書かれており格助詞の「の」であることがわかります(この「之」の書き分けは、よく用いられます)。

飯久保恒年から嘉納治五郎に授与された「日本傳起倒柔道」免状
1883年(明治16年)飯久保恒年から嘉納治五郎宛の免状

文としては「今後より一層、技を磨くことができ、それにふさわしい人です。がんばりましょうね。」といった意味合いになります。
※「べき(べし)」は推量・意志・可能・当然・命令・適当と複数の意味合いを持つ語なので、解説しようとするとこのように長くなりがちです。ひとことで示している上村先生の簡潔な解説が、いかに優れたものであるかがわかるでしょう。

余分な話
「研磨可有之者也」は「研磨これあるべき者なり」とも読むことができそうです。「有之(これある)」は「ある」を強調した言い回しで、江戸から明治半ばくらいまでの文にはよく見られる表現です。そう読んでいないのは、先述したとおり起倒流の免状の表現に倣ったからです。

(2)四段、五段の段証書

多年日本傳講道館柔道ノ修行ニ精力ヲ盡シ業精熟ニ至レリ 依テ四段ニ列ス 向後益々研磨シ斯道ニ於テ可期為先達者也

四段の段証明書の文面(段位以外は五段も同様)

【四段の段証書の読み方】
多年、日本伝(でん)講道館柔道の修行に精力をつくし、業(わざ)、精熟にいたれり。よって四段に列(れっ)す。向後(こうご)、ますます研磨し斯道(しどう)において先達(せんだつ)たらんと期(ご or き)すべきものなり
※五段の証書では「四段」の部分が変わります。

【読み方のポイント】

可期為先達者也

この部分が、漢文読みになっています。
初段までの証書と同様に、「」は返り読みして「べき」とよみます。
「期為先達」がポイントです。ここは次の5通りの読み方があり得ます。
①「先達となるを期す」
②「先達となることを期す」
③「先達とならんと期す」
④「先達たるを期す」
⑤「先達たらんと期す」
ここでは、作成者である嘉納治五郎先生の他の文での言葉づかいから(※注)⑤「先達たらんと期す」と読んでいた可能性が高いと判断しました。とはいえ、他の読み方が誤りなわけではありません。嘉納先生が実際にどう読み上げていたかは、当時をご存知の方に聞かないとわからないかと(もし、定まった読み方があればの話ですが)。

※注 たとえば、「教育家」、国士、第4巻、第35号、明治34年8月(嘉納治五郎体系 第5巻 pp.310-318に掲載)など

また「期す」ですが、古語では「期待する、予定する」という意味合いのときには「ごす」、「約束する、時日を定める」という意味合いのときには「きす」と読みます。現在はどちらも「きす」と読んで誤りではありません。明治生まれの人は「ごす」と読んでたのではと予想していますが、定かではありません。

(3)六段以上の段証書

多年日本伝講道館柔道ノ修行ニ精力ヲ盡シ技熟達ニ至レリ 依テ六段ニ列ス 向後益々研磨シ他日斯道ニ於テ可期為師範者也

六段の段証明書の文面(段位以外は七段以上も同様……だそうです)

【六段の段証書の読み方】
多年、日本伝(でん)講道館柔道の修行に精力をつくし、技(わざ)、熟達にいたれり。よって六段に列(れっ)す。向後(こうご)、ますます研磨し他日(たじつ)、斯道(しどう)において師範たらんと期(ご or き)すべきものなり。
※七段の証書では「六段」の部分がそれぞれの段に変わります。

【読み方のポイント】
読み方は四段までの証書と同様です。
ここでは、業(わざ)と技の違いについて指摘します。
四段までの証書には「業、精熟に至れり」とあったのに対し、六段以上では「技、熟達に至れり」とあり、業と技が区別されているのがわかります。
技は修行して身につけた技能を指し、業はその技能によって発揮される術理を指します。柔道だとわかりにくいですが、例えば鍛冶のような職をかんがえればわかりやすいかもしれません。刃物を打つ職人の技能が「技」、その職人が打った刃物が「業」になります。
切れ味の良い「業」を生み出すための「技」の熟達という、師範には一段上の視点からの理解が必要なことがわかる文になっています。

以上です。いかがだったでしょうか。
訂正やご意見ありましたら、ご指摘いただければ幸いです。

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