【江談抄】4-111 酈県の村閭は皆潤屋 陶家の児子は垂堂せず

【原文】
酈県の村閭は皆潤屋 陶家の児子は垂堂せず (菊は一叢の黄金を散ず)

 善相公初めは「酈県の村閭は皆富貨」に作ると云々。心に褒誉有るべきの由存り。しかるに菅家ただ紀納言の「廉士路の裏に」の句を美めて、この詩に感ぜられず。宴罷んで退出する時、相公鬱結を散かず、建春門において菅家に尋ねらる。仰せて云わく、「『富貨』の字、恨むらくは『潤屋』に作らざることを」と。相公開削すと云々。

【現代語訳】
菊の咲き乱れた様子はまるで黄金をまき散らしたかのように見えるので、(南陽郡の)酈県の菊の咲いた村里は皆、財で潤っている家のようであり、陶淵明の家の子どもたちは(良家の子女ということで、落ちてけがをすることをおそれて)堂の端近くにすわるようなことはしない。

 三善清行は初めは「酈県の村閭は皆富貨」のように作っていたとか。内心、人々から褒められるであろう思っていた。そうであったが、道真公はただ紀長谷雄の「清廉な人は路の途中で(菊を見て黄金ではないかと疑っても、拾いはしない)」の句だけを褒めて、清行がつくったこの詩には感心することはなかった。宴が終わって退出する時、清行はもやもやした気持ちが晴れず、建春門のところで道真公にお尋ねになった。(道真公が)仰るには「『富貨』の字を『潤屋』と作っていれば良かったのに。残念だ。」ということだ。清行は(それを聞いて)改作した、とか。

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