注)江談抄を読む前に

江談抄の成り立ちについて少しだけ知っておくと、読み解くときに非常に役立ちます。

江談抄は、平安時代の説話集で、話し手である帥中納言の大江匡房の談話を聞き手である進士蔵人の藤原実兼が筆記したものです。

ですので、地の文(「」がついてない文)で『云わく』とあれば、別の主語がない限りそれは『(語り手である大江匡房が)言うには』という意味になります。『語られて云わく』仰せられて云わく』、『命(おほ)せられて云わく』も同様です。
一方、地の文で『問いて云わく』とあれば、別の主語がない限り『(聞き手の藤原実兼が)質問して云うには』という意味になります。
江談抄は、藤原実兼が筆記したものですので、地の文で『予(われ)』『余(われ)』とあれば、『私(=藤原実兼)』となります。大江匡房の名が出てくることはほぼありませんが、まれに地の文に『帥答えて云わく(帥中納言である大江匡房が答えて言うには)』のように書かれることもあります。

江談抄に限らず、古典文学では主語が省かれて記述されることが多々あります。説話集、歴史物語では、聞き手と話し手の関係を把握しておくと解釈の助けになりますので、是非、読む前に確認してみてください。

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