見出し画像

求む My familyヒストリー

 最近、某放送局が有名人の先祖を調べました!という番組を放映しているからか。自分の先祖に興味を持つ人が増えてきているように感じます。
ただ、先祖というと「宗教じみている」「怪しい人に思われないか」などと心配になり手を出せない方も少なからずいらっしゃるようです。

 実際、いろいろな宗教が「先祖供養」と称して、信者に先祖を調べさせたり、家系図を作らせたりしているという話を聞きます。

 しかしながら、よく考えてみると。先祖がいなかったら自分は存在しない訳で。一人でもご先祖様が欠けたら自分は生まれなかったと考えると生命の不思議は感じる。まあ、そんなレベルの感覚は誰でもお持ちなのではないでしょうか。

 先祖が何をやっていたのか、答えられる方は少ないと思います。ただ、親や祖父母程度ならスラスラこたえられる方は多い気がします。

私の場合だと、父親は会社員で。母親は若いころは保母をやっていて。父方の祖父母は製菓業を商っていて。母方の祖母は洋品店、母方の祖父は将棋倶楽部をやってた時期と、古物商をしていた時期があった。

祖父の将棋倶楽部

このくらいは、実際に顔も知っていて誕生日も祝ったことがあるので覚えています。ただ、人によっては祖父母が早死だったとか、遠くに住んでいて年1回くらいしか逢ってないので良く知らないという人もいらっしゃるでしょう。

 じゃあ、曾祖父母はどんな人ですか?ここまでくると、難易度は上がります。私の周りでも、少なくともそこまで分かる方はごく少数です。

 家系図の様に名前を書いていくと分かりますが。父母で2人、祖父母で4人、曾祖父母で8人、高祖父母で16人と一機に先祖が増えていきますので知らなくて当然ともいえるでしょう。

 話が完全に脱線しましたので戻しましょう。
立派な家ではなく、ごくごく普通のお宅だと「知る必要はない」と思われるかもしれません。

私の周りでも先祖代々「多分農家だと思う」という方が多く。よく言われるのが「調べても面白くないと思うし、そもそも調べても何も分からないと思うし。調べるだけ無駄だと思う」この言葉が一般的な返事みたいです。

 一つだけ言わせてもらうのならば、全員誰しも先祖がいて。日本には戸籍制度があるので。戸籍さえ残っていれば、明治19年(日本で初めて戸籍が作られた年)に生きていたご先祖様まではすんなり調べることができます。
※災害や、戦火などで既に無い地域もあります。

 また、今は家族単位(夫婦とその子供)の戸籍になっていますが。昭和のある時期までは『家制度』というものが残っていて。家長(戸主)を1人決めて、家族だけでなく家長の兄弟とその子供まで1つの戸籍に入っていました。また、家制度の頃の戸籍は祖父母など、家系図を書くと真上(真下)に線でつながる人(直系尊属・卑俗といいます)が一人でも入っていれば、全員分の戸籍を取ることができて、結果的に生年月日等までも見ることができるのです。

 例えば、祖父の、弟の子供夫婦とその子供。このくらいの範囲は、同じ戸籍に入っていることが多いです。昔は分家といって、新しく家を持つことが非常に難しい時期がありました。江戸時代や明治初期などでは「長男以下は冷や飯ぐらいか部屋住み」と言われた時期があります。

 理由は簡単で、家の財産は家督を継いだ人がすべて相続します。今のように、父親が亡くなったら母親が半分、残りを子供で分ける。とかそんな優しい時代ではありませんでした。

 財産が少ない家だと、長男が家を相続して。二男、三男は家に置いてもらえるだけまだまし。男の子の居ない家に、養子として貰われていくか。娘しか居ないお宅にお婿入りするか、食べていくにもやっとだと一生独身で実家で生涯を終える。こんな感じだったようです。

だから、多少余裕があっても、二男、三男は嫁を貰っても実家に籍がある。ということも珍しく無い状態でした。

皆さん、ご存じの通り。日本ってめんどくさいのですが、本籍と住所は別なのですよね。それは、今も昔も同じでした。親や兄弟の籍に入っていても、実際に暮らしている場所は全く別ということが多かったようです。

 現在の感覚からすると「別に暮らせる余裕があるなら、戸籍も独立させればいいじゃん」と思うのですが。一説によれば、分家させる場合は常識としては「財産を分ける」物とされていて。分家させると、少なからず財産を分け与える必要があり。当主本人から、独立しなさいとはなかなか言い出せなかったとか。(身内の高齢者談)
 ただ、本人から「家庭も持ちましたし、子供もできましたし。自分で生活できるだけの稼ぎもできましたので分家をしたいと思います。私の家族だけの戸籍を作ってよいでしょうか」と言い出せば「分家祝い」レベルのご祝儀は出したでしょうけれど。いわゆる「財産贈与」は発生せず、分家となった例が多かったとか。

 そんなことから、古い戸籍を取ると
・名前
・生年月日
・両親の名前と、親子関係(長女・長男、養子等)
・いつどこで生まれて、誰が出生届をいつ出したのか。
・結婚や、養子縁組などの場合、相手の住所、その時期。
・死亡年月日、または除籍(この戸籍から抜けた)年月日。

このくらいの内容は読み取れることが多いです。

これを読んでいくと
「あれ?この人どんな事をしたら、こんな戸籍の流れになるの」という不思議な人が必ずいます。想像を膨らませると、家族の中で起きたストーリーが読み取れたりします。これもまた、先祖を知る醍醐味だと思うのです。

例えば、私の祖父 治郎さん。
本籍は静岡にあるのですが、生まれた場所は今の神奈川県横浜市。生まれた住所も書かれており、横浜港から歩いてすぐの住宅街だったようです。

両親ともに、静岡の人ですし。
治郎さんの両親も、結婚前までは、静岡にいたようです。

治郎さんの兄が生まれたとき、二人はまだ入籍(結婚)していなかったようです。子供が生まれてから、二人は入籍。時代は大正初期、この時代は親が家の格が釣り合う相手を見つけてきて結婚させる時代です。

そう考えると、親に反対されるような「つり合いの取れない家」どうしで、親の反対を押し切った恋愛結婚だな。と想像がつくわけです。しかも、農家の長男がなぜ身内も居ない横浜にいるのか?

安易ではありますが「駆け落ち結婚したんじゃないか」と想像します。
横浜なら、仕事も多いでしょうし。港の近くなら、何かしら仕事にもありつけることでしょう。二人は、身寄りの無い土地で同居を開始し。子供が生まれた。当然、今と違って戸籍をいじるには親や当主の許可が必要になってきますので。
「子供ができたので、籍を入れたい。許可をしてほしい」
そんな感じのやり取りがあったのではないでしょうか。

子供の出生届に遅れること、半月ほどで夫婦は入籍し。子供は「嫡子タル身分」=「正式な子供」として認められるわけです。これは戸籍に記載されています。

その後、数年経過して。
次の子供・・・私の祖父である治郎さんも、兄と同じ住所で産声を挙げました。曾祖父は、故郷に戻らずに横浜で働き続けていたのでしょう。

さて、ここで疑問が湧くわけです。
私の知っている祖父は、静岡に戻ってきてましたし。
父も静岡で生まれています。

いつ静岡に戻ったんだろう?
戸籍を見たり、古い写真を見たり、昔祖父に聞いた話を思い出したりしてジグソーパズルのパーツを集めて完成図を作っていきます。
(某局の番組は仕上がったジグソーパズルを見せてくれる番組です)

私の祖父は、良くこんな話をしてくれました。
「俺が小学校の頃、9歳だったな。学校の登校中に大きな地震があって。家の近くの大きな池の横を歩いている時だったよ。子供だったから、転んだとおもったんだな。でも、大地震で道の横の民家に干してあった物干しが落ちてきて、このオデコのところに当たって頭がパックリと切れた、ほらこの傷だ。痛かったなぁ」
古い傷痕を見せながら、よく話してくれたのでした。

他には
「母親が死んでしまったので、農家で貧しくて。父が仕事をしている間に、良く茶畑で兄さんとお茶の実を拾ったよ。家計の足しにしてさ」
という話。

時系列が全く分からずにいましたが、戸籍を取ると
横浜で生まれた祖父は、10歳で母親を亡くし。この時の母親の死亡場所は静岡になっていますので。10歳までには、横浜から静岡に戻ってきているのです。で、なぜか9歳で大地震に遭遇している。

祖父の生まれた年に、9年を足すと・・・。
大正12年、あれ?何かなかったかな???
はい、ご名答!関東大震災でした。

曾祖父母夫婦は、横浜で関東大震災に遭い。
すべてを失い、生まれ故郷に子供を連れて戻ってきたことが分かりました。
戻った直後に、曾祖母が亡くなり。稼業の茶業は、あまり振るわず。
親と一緒に、農業をしていた二男夫婦が、兄夫婦が帰ってきたので入れ替わりで川崎(神奈川県)の工業地帯(鉄鋼の町)に家族で移り住んでいます。

当然、貧困農家で息子夫婦2組が暮らしていけれる程の収入は得られなかったのでしょう。ここから先も、いろいろなストーリーがありましたが。

どんな家庭にも、こういった戸籍から読み取れる家族それぞれのストーリーがあります。結婚して家族を守り、子供を育てていくことすら今よりもずっと難しい時代だったのだと戸籍を見ると感じます。

ただ、今。ここに自分の生があることすら、先祖に感謝をしたくなる。そして、自分の存在は命のバトンを大事に守ってくれた人達からしたら「尊い物」と感じると丁寧に生きようと思えるのです。

思いっきり脱線しましたが、どうでしょうか。
皆さんも”求む My familyヒストリー”と、言いたくならないでしょうか。

次回は、戸籍って簡単に取れるの?ということでも書いてみようと思います。読んでみたい、と思われたら♡をポチっとして貰えると励みになります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。