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父方祖父のホロスコープを読んでみた 2

さて、父方の祖父のホロスコープを読んでみた第二弾です。

まずは、早速。
祖父のホロスコープを載せてみましょう。

治郎出生図

毎回書いておりますが、彼の出生時間は不明ですので。
この企画の前に、一通りホロスコープを読んで。
一生の出来事に、当てはまる様に時間修正を掛けております。

さて、今回は、4ハウスから読んでいきたいと思います。
4ハウスは家庭を読み取る場所です。
家庭といえば、心休まる場所でも有るわけでして。
彼がリラックスできるシチュエーションを読む事も可能だと思っています(拡大解釈ですが)

彼の4ハウスは魚座です、水星座であることもあり。心の寄り添い、心が通い合うことも大事になります。そして、柔軟宮になりますので有る程度の自由を求めます。

そんなことから、家族同士思いやりを持ちつつ接し。束縛しないそんな家庭環境をモットーとして結婚生活を積み上げていく人なのだと分かります。
しかも、木星がIN。
木星は拡大の星と言われているので、彼の家族という枠は実はかなり広いと読んでも良いでしょう。家族枠が広がる?どういうこと?と思われがちです。実は、孫である私にはこの現象に心当たりがあります。

祖父は、大正時代産まれにしては珍しい2人兄弟。
理由は、母親が30代で亡くなってしまったこと。
そして、父親が後添えを迎えなかったことです。

しかし、その父親(私からみて曾祖父)には兄弟が多く。
その兄弟姉妹達は、非常に仲が良く子供も含めて家族のように付き合うという生活をしています。

最初に出生図を読んだ曾祖父、磯吉。
彼の直ぐしたの弟が、勘藏。
実は、この二人の子供達が非常に親密に高度成長期まで暮らしていました。

まず、磯吉の長男と、勘藏の長女が結婚します。
そして、磯吉の二男(治郎)と、勘藏の四女(さかえ)が結婚します。
この2夫婦が、協同で起業し成功したのを頼って戦後生活に困った勘藏の子供達がやってきます。そして、その兄弟姉妹が肩を寄せ合って。
1つ屋根の下で暮らしはじめ、それぞれの生計が立てられる状態になるまで共同生活をしていました。そこに、従業員が3名ほど住み込みということで。実質20名ほどの大家族だったようです。


昭和23年頃家族で海水浴 次郎は一番右

どうやって、あの狭い家に(私は当時の家を知っているので)20人住んでいたのかと思うと驚くほどですが。祖父治郎にとって、ここに居る人は総て家族だったのだろうなと思うのです。

拡大の星、木星がソフトアスペクトで、先祖を現す8ハウスの水星・金星・海王星コンジャンクションにくっついています。太陽が10度オーブ取れるというので・・・。結局、このアスペクト壮大なアスペクトになって来るのですよね。
私、アスペクトの線で繋がれた惑星は、総ての要素がミックスされると思う人ですので。祖父は大事な家族と思う人が多くて。
その関係には、積極的に声を掛けたり愛情を注いだり。
そして、時には自己犠牲もいとわなかったり。
自分の事のように喜び、そして悲しむ。
愛情深さを心から感じる私なのでした。

1つだけ、面白い秘話を出すとしますと。
治郎の兄の孫が、高校受験の時。
本命高校の受験を失敗したそうです。
そして、滑り止めに行くことになったとき。

彼の兄は、酷く孫を叱ったそうです。
その孫を見て、彼は必死に励まして凹んでいた心をすくい上げたそうです。
私は知らなかったのですが、孫が私に話してくれて彼の優しさに触れた気がしました。爺ちゃん良い感じだよ。

次の5ハウスは牡羊座。
5ハウスといえば、恋愛とか楽しみという物を読む場所になります。

治郎の5ハウスは、楽しみに全力疾走。ひたすら、それに没頭する。
という感じなのですが、残念ながら私は彼の楽しみ方を知る前に、死に別れてしまっているので・・・。
語ることが難しいと思い。母に少し話しを聞いて見ました。

母曰く、オジイチャンはDIYが趣味だったのよ。お酒飲まないから。
あと、貴女知ってるかな?良くハーモニカ吹いてたよね。
貴女が生まれてからは、孫と過ごす時間が一番楽しかった見たいけれどね。

母に聞いたら、私が生まれてから10歳まで暮らした家。
なんと、祖父がDIYで作った住宅だったそうです。
正直、えっ!?でした。
2階建てなのに、祖父が自分で作ったという・・・。

私からしたら、ある意味恐怖なんですが。
どこから、建物を建てる技術を得た?とギョッとしたのですが。

そういえば、我が家。
高祖父の代までは宮大工やってたのでした。
祖先には大きなお寺の国宝五重塔の建築に携わった方や。
藩の江戸藩邸の修善をしていた方も。

そのような技術が、少なからず代々伝わっていたのかと想像しました。
多分、曾祖父も高祖父も、自分で家を建てていたのだろうし。
それを、見よう見まねで(手伝いもしたのだろうけれど)覚えたと考えれば十分有り得る線だと思うのです。

先祖が影響してると思い、8ハウスを見て見たら・・・。
(8ハウスは先祖からの賜物もあるので)
豪華過ぎる。

また8ハウスな、そこで読みますが。
どう考えても、家を自分で建てちゃったは先祖絡みの恩恵ですね。

祖父が亡くなること、30年程遅れ祖母が亡くなり。
その後に、祖父の写真を捨ててしまうというので譲り受けた所。

彼が、楽しそうに友人達と馬鹿やってる写真が沢山あり。
そうか、こうやって楽しむ事に一直線だったのかもな・・・と彼に思いを馳せた出来事でした。ということは、11ハウスも見たいよな。って。
あれ?星はないのだな。あはは。

続いて6ハウス。
ここは、仕事のハウスと言われています。
彼は、五感を生かす仕事が向いていそうだな・・・と感じます。
牡牛座の支配星は金星ですしね。
例えば、料理人とか、美容師とか。

ただ、マイペースを大事にしたい牡牛座であることから。
締め切りや納期に追われる様な、菓子工場などのお勤めでは無く。

上記の五感生かせて、尚かつマイペースで=仕事の仕上がりを追求できる。
自営業で、自らの五感を生かしてとことん好き!を突き詰めるられる
お仕事が向いているのですよね。

では、実際。
彼は何の仕事をしてきたのか?といえば・・・。
尋常高等小学校を卒業して、餡子(あんこ)製造者に丁稚奉公します。

手に職をつけてからは、人に使われないで自分で仕事をした方が絶対に良い!と言いだし独立します。
最初の起業は何をしていたのか、いまいち分からないのですが。
どうやら、写真からは日常に必要な、食料品全般を扱うお店だったのでは無いでしょうか。お砂糖とか、大豆とかそんな物。

終戦後の仕事は、製菓業。
しかも、看板商品を作り出し相当ヒットし。
スーパーに卸すなど。
五感を使いお菓子を作るという仕事を選んだというのも、ホロスコープから読み取れると思います。

菓子製造現場でS30年代初頭

こうやって見て見ると、面白いなとしか言えなくなるのです。
ホロスコープ(出生図)深いなぁです。
では、今回はこの辺で。

次回は、7ハウスから読んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。

では、最後に少しだけ宣伝をさせて下さい。

私、星占いとヒーリングのお仕事をしております。
もし、私も出生図読んでもらいたい!というご依頼がありましたらご用命くださいませ。詳細は下記URLにてご案内いたしております。
よろしくお願いいたします。