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軍歴と祖父

こんにちは、珍しく読みたい本をnoteで見つけました。

まだ、著作は読んでいないのですが。
個人的には非常に気になる内容です。

先祖調べをしていなくても、30代以上の方は子供の頃に
「お爺ちゃんは、戦争に行ったことがあるんだ」
などという話を聞いたことがある人が居るのではないでしょうか。

大人になって、あれ?お祖父ちゃんどこに出征していたのだろう。
「元気な内に聞いておけば良かったなぁ」
と、思って残念に思う方も多いのでは無いでしょうか。
実は、私もそんな一人でした。

同居していた、父方の祖父の昔話を幼い頃に膝の上で聞いていた関係で出征先が知りたくなり色々と調べていました。
すると、とある方が軍歴を取り寄せて見てはどうか?と、アドバイス下さいました。

早速、県庁の健康福祉部福祉長寿局地域福祉課援護恩給班という非常に長い名前の課に連絡することに。担当者さんとお話をし、そこではすんなりと軍歴を取得することが出来ました。

出して貰った軍歴から、祖父が話してくれた戦争体験を追体験できたのでした。

その後に、ついでに母方の祖父の軍歴も取り寄せてみよう!と思い付いたのです。

母方の祖父の軍隊時の写真は、一度だけ見た事があり。
「やだぁ、オジイチャン。これ誰?凄いイケメン!」と騒いだら。
「これ?俺だよ、俺!色男だろ?モテてモテて、大変だったんだぞ」謎なことを言われたので記憶にあったのです。

正直、オイオイと思ったのですが。その写真から、セーラー服であった為。海軍で有ることは、無意識で理解していました。
偶々でしたが、知って置いて助かりました。

一番右に座っているのが祖父

なぜならば、海軍の場合は県ではなく。厚生労働省に請求することになるからなのです。

その後、厚生労働省に軍歴の請求を出し無事取得。祖父の軍歴、取り寄せて驚きました。
横須賀海兵隊に入り、基礎訓練を受けた後に乗務していたのが軍艦長門。

長門の文字が確認できます

終戦近くなってからは、南鳥島に赴任し。戻って来てから、どうやら特攻の桜花を訓練する部隊にいたようです。

722航空隊 通称:龍巻部隊

昭和10年代後半には、40歳近い年齢と、高校を出ていたからか電話手として仕事をしていた関係か?
父方の祖父と違い、事務方で内地勤務だったようです。

戦争について話さなかったのは、特攻に関わった自分への自責の念も有ったのでしょうか。
まさか桜花の関係者だったとは、思いもよりませんでした。

叔母が言うには
「父はね、自分の子供の様な年齢の子供達を、特攻に向かわせるのは辛かったと、1度だけ言っていたよ」とのこと。
だからこそ、自分の意志で話さなかったのでしょう。
母は、一言も桜花の話なんて聞いたこと無かったと証言していますし。一番自分に似ている、子供にだけ話したと思われるのです。

祖父の心の痛みを、実感した私は最初に張ったリンクにある。
桜花の提案者さんの話を始めて知り、読んでみたいと思ったという投稿です。近いうちに、読んでみたいと思っています。

いつもちゃらんぽらんで、女好きで「駄目ジイジ」だと思って居た祖父の後ろにも、影の部分がある事を先祖調べで知る事ができたのでした。