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京都らしい学生時代の過ごし方

京都は私の第二の故郷であるという認識を、友人からいただいた。そうか~故郷になのか。いや、違うな。いつまでたっても恋焦がれるので、故郷とはまた違う。

そんな学生時代の甘酸っぱい、狂おしい記憶がいっぱいの京都に子どもたちと家族で行ってきた。2泊3日。当然見える景色も行えることも違うのだけど、「京都で息を吸っている」だけで大満足だった。

帰ってきたばかりだけど、また行きたい。でも贅沢だが大人だけで行きたい。語り合える友人と行きたい。

よく関西出身の友人に、「本当に京都の学生らしい学生生活を送ってたのが羨ましい」とよく言われる。自分では特段と素晴らしき学生生活だったのか?と思うのだけど、勉強ばかりしていた夫の話を聞くと、それは、バランスのよい生活だったのかもしれない。

というわけで、「京都らしい学生生活」を振り返ってみる。

●彼氏がジャズバンドマン

付き合っていた彼氏は、大学のジャズ研に所属していて、大学のメインBIG BANDでトランペットを演奏していた。私よりも遥かに学生生活を堪能していた彼のおかげで、私もずいぶん素敵な思い出がたくさんある。

例えば、京都のライブハウスといえば磔磔。そこでのワンマンライブもたくさんあって、観客にいた私は彼女です~って紹介されたことも。メジャーなアーティストも演奏している磔磔で彼女紹介される優越であった。

また、そのジャズ研の面々が面白い人ばかりで、お金が無いから料理酒を飲んでひっくり返ったり、彼女に振られて百万遍から北野白梅町まで、ブランデーのボトルを引っ掛けながら泣きながら帰ったり、大事な楽器を百万遍の交差点にぶん投げたり…。おかしな集団であった。

ちゃらんぽらんな人たちがステージに立てば、カッコよくスイングするので、目が離せない。大ファンだった。

そんな彼は、「社会に縛られたくない」とか言って、気が付いたら内定を辞退していて、資格試験に邁進。私が社会人3年目くらいまでは働いていないことは確認できていたけど、その後は知らない。でも、大好きな人だったので、元気で幸せに暮らしていて欲しいし、今でも音楽をやっていてくれたらいいなと思う。

●京都御所でソフトボール

私が所属していたサークルは、毎週2回御所で練習をしていた。

京都御所には、今出川と富小路にグラウンドがあり、私たちは富小路グラウンドで毎週練習していた。お上のご意向を受け、何度もR大学リーグ戦で逆転勝ちするのであった。

あの頃は特段と何も感じていなかったけど、「御所でスポーツ」って。どんな贅沢ですか。ボールが御所の壁側まで行くと当たり前のように危険アラームが鳴り響くという環境。近くにはあの有名な蛤御門の変の、蛤御門もあった。(使っていたのは堺町御門だったけど)

練習後は、河原町丸太町のびっくりドンキーに行くのが定番。懐かしきルーチンワーク。今でもびっくりドンキーはあるらしい。

●鴨川には飛び込むもの

私たちのサークルの飲み会は、だいたい三条、木屋町付近で行われることが定番で、三条土下座前集合からの移動だった。R大Kキャンパスと、R大BキャンパスとO大のインカレだったので、(伏字の意味なさそう)そこが中間地点?だったようだが、私は川に飛び込むためにやっていたのではと推測している。

そう、フィナーレは、鴨川への入水。酒癖の悪い先輩がいて、入水を必死で止める後輩たち。風邪ひいちゃうからやめて~と叫ぶ女子たち。でも、何度もやっていると、それが定番になってきて、笑いがこみ上げる。新喜劇にような茶番。先輩は受講登録OCR用紙をぐちゃぐちゃにして、ダメにして教務課に怒られていた。そして、私はその先輩にむちゃくちゃ好かれてしまい卒業後のネタもたくさんありすぎて仕方がない。

学生って川に飛び込むよね?と友達に話したら「どんな常識だよ」と言われたので、普通ではなかったらしい。

ちなみに同じ基礎演の友達の初体験の場所はデルタでした…。デルタ…。それも京都あるあるなのか…。

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進学先を京都にするということは、並々ならぬ憧れがあったという背景もあるし、それに付随して、強烈な思い出もあるわけで、故郷とは到底言えない。今でも憧れ、懐かしみ、新発見もある場所。

進学先に京都を選んだ自分と、許してくれた親には感謝をしなくてはいけない。人生の大きな贈り物になっているから。

また京都に行きたいな。

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