日の本に新しきものなし?んなこたない。

日の本に新しきものなし。そんな事言われても、新しいものを作ろうと日々もがいている俺たちはどうすりゃいいのさ?とはいえ、新しいものがないのか?いやいっぱいある。じゃあ先のことわざが間違っているのか?それは感じ方の違いだという結論した。物理法則レベルで言えば新しいものなんてない。昔からそこにあるのが物理法則だ。それを数式化、証明、実験、立証なんかによって「新発見」になっている。新しいのだ。人間にとって新しいのだ。今生きている俺達にとって新しいのだ。先のことわざは旧約聖書の言葉らしい。なるほど、神の目から見れば新しいものなんてないだろう。でも僕らは人間なので、神の視点で言われても困る。もしかしたら数万年前に高度文明が一度リセットされているかもしれない。その時の人類はとっくに今の文明を越えていたかもしれない。だからどうした?人間として、この時代に生きるものとして、新しいと感じる何かを追い求めているんだから、そんなことわざで水をささないで欲しい。うるせーってことだ。30年経てば世代が変わる。30年たてばレトロなものが「新しい」と感じられる人がいる。人間は何も知らずに生まれてくるのだから、見るものすべてが新しいのだ。ネットによって情報が蓄積されている昨今、30年周期でやれば新規性を与えられる技は封じられたかもしれない。とはいえ、サーバー料金を払わないと消えるので、紙のほうが保存性がいい説もあるが。俺にとって古いことでも、今の若い人にとっては新しいことも多々あるだろう。まあ、それを「新しい!」と主張するのは憚られるが、背に腹が変えられないならそれもありだろう。同世代にはバレバレだ。パロディ、オマージュ、インスピレーション、作品には流れがある。無から有を作るのもいいが受け手にとっては流れに乗っているものの方が心地よいのだ。商用主義ならばそれでいいし、そうあらねばならない。価値観をひっくり返すような「アート」に憧れるがまあそんな簡単ではないだろう。

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