(新)競馬のデッサンその1 《終花》終に咲く花は
人生には三度花が咲くという。
一度目は生まれたとき。
誰もが同じ小さな真っ白の花を咲かせる。
二度目は人生の最盛期。
仕事の成功であったり恋の花であったり十人十色の色も形も違う、でも艶やかな花が咲く。
そして…人生の最後にも花が咲くらしい。
正直どんな花が咲くのかよく判らない。
これはどこにでも咲いている様なありふれた花のお話。
【親父】
僕の親父は小さな漁師町に生まれ大阪に大工見習いとしてやって来た。そこでお袋に取っ捕まり結婚、以来ずっと大阪で人生を過ごしている。
僕の若い頃は怖い親父だった。学生時代大学進学についてお袋と口喧嘩をしていた時の事、TVを見ていた親父がむっくりと起きて近くにやって来た。
一瞬お袋と僕が口喧嘩を止めて親父を見た瞬間、親父は側にあった電子炊飯器をおもむろに掴んで次の瞬間には僕の頭に振り下ろしていた。
頭から星が出るというのを初めて実際に経験した僕が頭を押さえ呻いていると、お袋の慌てた声が聞こえてくる……(大丈夫!??)
腐っても母親だなとボンヤリ考えていたのだが…
「大丈夫!電子ジャー!」
別の意味で頭を殴れた僕は必ず家を出てやると決意したのだ。
暫くして何とか大学入試をパスして同時に家を出て、奨学金とバイトで学費と生活費を稼ぎ何とか四年で卒業してサラリーマンになった。バブル最後の年だったと思う。
それから十数年商社マンの営業として過ごしたが、海外生産の波などでどんどん国内の職場は縮小されそんなに成績の良くなかった僕はめでたくリストラの対象になりなかなかえぐい扱いを人事から受けて退職をすることになった。
その後も暫くは他社に拾って貰って営業をしていたが、根本的に営業には向いていなかったので数年でやめ、暫くは派遣で過ごしていたのだが何十年かぶりに幼なじみに街中でばったりあい、そしたら明日からでも来いと言われて今の職人に至っている。
人生何がどうなるかなんて判らないけれど、その間お袋には色々言われたが親父から文句を言われた記憶がない。いつも、真っ直ぐ僕を見て一言「ほーか」と言うだけだった。
職人の割には大家族の八男坊ということもあり知らない人でもニコニコ話しかける明るい性格だが僕とはそんなに話さなかった。
というよりは話さなくても何となく言いたいことも判ったからかも知れない。
親父が大工を引退してから暫くして僕は実家に戻って親父、お袋と暮らし始め暫くしてからお袋が病気がちになり親父が面倒をみて僕は朝から夜まで休みもなく働いていた。でも、数年後にお袋は亡くなりその後すぐ親父が呆け始めた。
親父の為に引っ越し、病院の付き添い、病気を治すための食事を作成、介護のあれこれで心身ともに疲弊したのを見かねて親族が親父を老人ホームに入れるように行ってきた。色々揉めたが親父をホームに預かって貰ってからは随分楽になったのでまた、以前の様に親父と笑える様になった。
そしてコロナが来た。
【電話】
僕は、夜に掛かって来る電話があんまり好きじゃない。彼女がいたときはまあ、甘い甘ったるい会話もしたので、それはそれ笑。
その日は順調な1日で、コロナになってから始めたTwitterに昼御飯のラーメンの画像を上げたり穏やかに1日が終わると思っていた。ただ、コロナの緊急事態宣言から後、中々親父との面会も出来ず最後にあった時の手首の細さ、手のひらの冷たさが気にはなっていた。
家に帰り次の日の仕事を準備し朝早いからと床についたが何故か何時まで経っても眠れない。お酒も何故か呑む気になれず深夜までボンヤリしていた。
深夜2時。
電話が不意になった。
通話をする前から何故か親父の事だと判った。
深夜に倒れて酸素濃度が下がった為に緊急搬送しますから受け入れ病院が決まり次第すぐ来てほしいとの事、近くの救急にあたりをつけて、どこにでも行けるように車でそれぞれの中間地点を割り出して待機する。
病院に、ついてすぐ付き添いの老人ホームの人に礼をいい帰って貰った後、先生から聞かれたのが
「延命措置は希望されますか?」
「…えっ?」
頭が真っ白になった。
色々説明はしてくれるのだが中々頭に入らない。唯一の肉親の兄にも繋がらない。
誤嚥(ごえん)で間違って肺に細菌が入り肺炎を発症していること、延命をしなければ今日明日で亡くなるかも知れないこと、治っても通常の食事はもうできないから鼻や胃から栄養を入れなけれはならないかも知れないこと……
どうしても返事を出来ない僕を見て、医師は兄の携帯番号を聞いた後、話しかけてきた。
「お父様の考えが知りたくてすこし老人ホームの方とお話させて頂きました。アンケートの様なもので最後にお父様に老人ホームでどう過ごされたいですか?という質問があったのですが答えが(他人の迷惑にならない様にしたいです)だったそうです。多分お父様の意志はそういう生き方なのでしょうね。意識もなくただ、管に繋がれて生きるのがお父様の意志に添うのか……もう、88歳といえば充分に頑張られたと思います。酸素吸入と抗生剤投与で出来るだけの事はしますが良く考えてみて下さい」医師はそういって治療室に戻って行った。
【Twitter】
暫く待つしかなく、頭が回らないなか携帯の通知がなった。大好きなT田さんという方の新作記事の通知だった。ぼんやりしながら記事を開いてみた。
そこに描かれていのは1人の男と家族のお話。そしてその夫婦が大好きな馬のお話。
ゴールドシップから連なる系譜に思いを乗せるその夫婦の話は何故か心に染みた。
僕も競馬歴は長いが,ライスシャワーやサンエイサンキュー事件、沈黙の金曜日のサイレンススズカなどの事で少し離れ気味の時期があった。
それを引き戻してくれたのがステイゴールドでありドリームジャーニー、オルフェーヴルの兄弟でありステゴの子供達である。
当然ゴールドシップもその一頭であり某アニメのヒットもありゴールドシップの子供達も応援していた。
ユーバーレーベン。
この名前がT田さんの物語にでて来たとき不思議な思いがした。
僕はユーバーレーベンの名前の由来を知っている。
《生き残る》
何でこのタイミングなんだろう…
ここで、T田さんの物語からの引用を記したい。
《今一度、「会話」という行為の大切さを改めて皆様にも考えて貰いたい。相手の表情を見ながら、言葉に触れることでしか生まれぬ縁や絆は必ず存在しているのだ。
家族。
恋人。
友人。
いつでもSNSで繋がれるから時代だからこそ、会話が疎かになってはいませんか。
最近いつ、大切な人の顔を見て自分の言葉で想いを伝えましたか。》
看護師の方にコロナの為面会は出来ないと言われていた。
まだ。
まだ話したい事はいっぱいあるよ、親父。
その後、兄に連絡がつき延命治療について話後は待つだけで二時間位が過ぎて扉が開いた。
「投薬が効いたのかお父様の意識が戻りました、今から病室に移動しますが一度病室に入ると退院するまでは面会出来ません。どうぞ入ってください」
親父がいた。声をかけるとうっすら目を開いて何か言っている。
「何?」
出来るだけ優しく話しかけると親父は一言
「饅頭あるか?」
「饅頭~!?」
思わず叫んだ僕の後ろで看護師さんの笑いを噛み殺す気配がする。
(かなわないなぁ…)
親父は何時だって回りを和ませる天才だった。
お袋の葬式の時でさえ回りに下らない話をして笑わせていた。回りの親族は輝さんらしいねと笑っていた。
やっぱり親父には何時まで経っても敵わない。
【秋華賞前夜】
結局その後は手続きを済ませ、その足で仕事に向かった。昼頃に引き継ぎの当直医師から電話があって治療は順調で、車椅子に乗ったことやこれからの事を少し話した。昭和の爺さんは存外しぶとい。
まだまだ、色々考えなければならない事は沢山あるけれど、土曜日は競馬を少しして笑ったり泣いたりすることが出来た。
そんな当たり前が凄く幸せに思えた。
今午前3時。
記憶が鮮明な内に書き残したいと思ったこの記事は予想ではなくただの手記です。
明日の秋華賞本命はユーバーレーベン。
普段の予想なら大苦戦必死のこの馬から買おうなんて思わないのだけれど。
逆境で、輝くステイゴールドの血に。
岡田総帥が亡くなった時に激走した青い目の、浪花節ミルコに
思いを託したいと思います。
こんなおっさんの暑苦しい想いを託すのは斤量を余計に増やすようで気が引けるのだけど
昔自分は涙もろくないとお袋に言ったとき、生きた車海老を焼いて皆で食べていたらお前だけ可哀想だといって、ワンワン泣いて食べなかった子が何を言っているのと鼻で笑われたけど、泣かないわい。
でも
もし
ユーバーレーベンが先頭でゴールを駆け抜けたら
僕は少し泣いても良いですか?
fin
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